カスハラをするのは、60代の男性、続いて50代男性、70代男性でこれが全体の7割を占めている。
このデータをみて思うのは、われわれがサルじゃなくなってきているということ。
理性で感情を制御できない人間をサルと定義すると、今の高齢者はまさしくサルである。もちろん高齢者全員がサルではなく、高齢者のなかにサルが多く、その結果が上のデータとなって表れている。そして、裏を返せば、今の若者にサルは少ないという事実も示している。
「老害」という言葉が一般化したが、老害という言葉は昔存在しなかった。おそらくそれは、昔は社会が老害で満たされていたからである。全員が老害ならそれは老害ではないのである。それが普通なのだから。社会がサルではなく人間を求めるにつれて、社会に占める割合が人間のほうが多くなった結果、相対して老害という問題分子が炙りだされたのである。社会に突然老害が現れたわけではない。太古の昔から文字通りのサルで、社会の変化とともに、少しずつサルは人間になっていったのである。変化は緩やかだった。しかし、資本主義が社会を急激に変化させ、それに伴って人間も急激に変化した。その結果、世代間のギャップが大きくなり、目に見えるかたちで老害の若者の違いが明らかになったのである。
高度な資本主義社会になるにつれて、ホームレスの排除だとか、歌舞伎町の浄化、そして老害の排除がすすんでいる。質の悪い人間の排除がいっそう推し進められている。社会がわれわれに求める人間の水準が上がるということは、その水準以下の人間が増えるということであり、それが生きづらさにつながっている。これが発達障害が増え続ける理由だろう。
精神科医ではてなブロガーでもある熊代亨は、こういったことを分析しこれでいいのかと問うている。難しいのは、社会は明らかに老害であるサルを問題視していることである。サルを排除することと生きづらさは表裏一体の問題であり、トレードオフの関係にある。そして、われわれは生きづらい社会になったとしても、サルを排除するほうを選んでいる。
ということで、今の高齢者よりも30代40代のほうが、そしてさらに10代20代のほうがサルが少ない。穏やかで、暴力を好まず、合理的に行動する。
で、これは少子化ともつながっている。なぜなら若い世代は文字通り、サルではなくなってきているからだ。セックスは衝動的な欲求に従って行われるものであり、理性は関係ない。
誤解を恐れずいえば、それはサルによって行われる野生の営みであり、人間による理性的営みではない。衝動で行われる行為に対して、同意書を交わさなければ逮捕されるかもしれない社会になった現在、少子化はいっそう進むだろう。
出生率が下がり続けているのは、サルではなく人間が増えたからであり、それはわれわれが人間を求めてきた結果である。どうしようもない。
だからおそらく、若者の給料をもっとあげるとか結婚や出産の支援をするという政策は、全く効果がないということはなくても、ほとんど効果がないだろう。若者が子供を作らないのは、経済的要因というよりはむしろ、サルではなくなってきているからだ。
いっそのこと、お一人様国家を作ってみるというのも一つの手かもしれない。日本に限らず先進国の出生率は軒並み下がってきている。これはもちろん、先進国も日本同様にサルが少なくなってきているからだ。
お一人様用にサービスや制度設計された国家として日本は先進国である。一人カラオケとか一人焼肉は普通だし、なにより一人でいることに対する社会の受容が他国とは比べ物にならないくらい寛容だ。
日本が移民を嫌がるのは、秩序を乱す可能性が高いからで、問題行動さえ起こさなければ日本人の多くが受け入れるだろう。上で述べたように、社会の秩序を乱すのは老害のようなサルであり、人間ではない。理性的な存在である人間に限るなら、日本も移民を受け入れるだろう。