映画『メッセージ』 言語が持つ能力を考える

映画『メッセージ』を再鑑賞

ある日地球の12の地点に、ばかうけというか柿ピーというか、そんなかたちをした宇宙船が降り立つ。中にはイカみたいな宇宙人がいる。主人公のルイーズは言語学者で、軍の要請を受けて、イカとコミュニケーションをとる任務に就く。彼らは一体なんのために地球に来たのか?

 

一回目は難しくてよく分からなかった。二回目でようやくだいたいの内容を把握できた。ヘプタポッドと呼ばれるイカは、音声を発することができ、文字も持っている。最初、ルイーズたちは音声を解読しようとするがよく分からず、文字を使ってコミュニケーションをとろうとする。自分を指さし「HUMAN」の文字を見せると、ヘプタポッドは手から墨みたいなのを発射して「〇」に似た文字を表す。人類はその文字がいったい何を意味しているのかを解読する。そういったやりとりをとおして、ヘプタポッドが何のために地球に来たのか目的を探る。

 

以下ネタバレ

彼らが地球に来たのは、3000年後に人類の助けが必要だからで、それを伝えに来たらしい。彼らは未来が見えるのだ。ルイーズはヘプタポッドの言語を習得することで未来が見えるようになっていた。彼女がフラッシュバックで見ていた過去の記憶は、じつはこれから彼女が経験する未来だった。ヘプタポッドの言語に、時制はないのである。

 

人間の持つ言語には時制があって、だからわれわれの時間認識は、過去から現在、未来という直線的なものになる。しかしわれわれがそのように世界をとらえるのは、言語という「メガネ」をかけているからで、世界そのものに時間があるかどうかは定かではない。物理学の方程式には、時間の要素は絡んでこない。物理学の世界では過去や現在、未来はない。ヘプタポッドのかけているメガネは人類のメガネとは異なっていて、そこに時制はない。だから、ルイーズが経験したように、過去と未来の区別はない。

 

ヘプタポッドは3000年後人類に救ってもらうために地球に来たのだが、ヘプタポッドが来たことで人類は混乱し、市民の暴動が起きたり、中国がヘプタポッドに先制攻撃しようとする。しかしルイーズがその混乱を沈めることもヘプタポッドには分かっていたはずで、だからこそヘプタポッドは地球に来たのだろう。そしてルイーズは大学でヘプタポッドの言語を研究し学生に講義するようになる。個人的な解釈では、人類がヘプタポッドの言語を習得し未来を見通せるようになることが、3000年後のヘプタポッドを救うことにつながるのだと思う。

 

未開社会とかゾミアと呼ばれる地域に、歴史はない。歴史と時制のある言語、どちらが先に生まれ発展したのか分からないが、歴史というのは発展の歴史であって、歴史を語るには過去や現在、未来の時制が必要になってくる。でもヘプタポッドの言語にあるように、言語には必ずしも時制は必要ないのであって、もしかしたら歴史を持っていない人たちの言語には時制はないのかもしれない。それはつまり、未開社会やゾミアの人たちは未来を見通せるのかもしれない。あるいは、国家のなかでも巫女とかシャーマンは、われわれが通常使う時制のある言語とはべつの、時制のない特殊な言語を使うことで未来を見通せ、それは預言というかたちで国家内で機能していたのかもしれない。

 

われわれは時制のある言語で世界をとらえてしまっているから、なかなかその枠組みから外れることができない。われわれからすれば、ヘプタポッドは3000年後の未来が見える超能力者だが、ヘプタポッドからしてみればそれは普通のことである。とすれば逆に、時制のある言語を使うわれわれにはヘプタポッドからしてみれば何らかの点で超能力がある可能性もある。他の『メッセージ』の解釈サイトを見ていると、ヘプタポッドには感情がなく、感情がヘプタポッドの3000年後と関わっているのかもしれないということが書かれてあった。感情があるというのは、ヘプタポッドからすれば超能力なのかもしれない。

 

今ふと思ったが、ヘプタポッドの使うような根本的にわれわれの使うものとは別物の言語をAIは生み出し、AIネットワークはその言語によって会話し始めるかもしれない。グーグルはAIがそのようなことをし始めたのですぐにシャットダウンしたというニュース記事を見たことがある。AIの思考過程は完全にブラックボックスで、人間はあくまでそれを解釈することしかできない。ヘプタポッドはまさにAIのようなもので、彼らは人間を支配するためではなく、3000年後に救ってもらうために訪れたのだが、人間側の一部は支配しにきたのだと解釈して武力攻撃をしかけようとした。ヘプタポッドはAIのメタファーといえるかもしれない。そのように考えると、この映画は人類とAIのこれからの関係を見せてくれる映画だともいえる。

 

この映画は、時制のある言語を使う人類と、時制のない言語を使うヘプタポッドのコミュニケーションを通して、言語の本質、言語の持つ能力について考えさせてくれるいい映画だった。普段当たり前のように言葉を使っているが、言葉の持つ能力についてはあまり考えたことがなかった。言語の奥深さに気づかせてくれるいい映画だった。