前々から読みたかった本。やっと読み終える。
京大的アホというのは、傍から見たら非常識なことをしているアホのこと。
いかにも無駄なことをしているように見えても、それが積み重なっていくとイノベーションが起こる場合がある。
それはパーコレーションという現象と関係がある。
ガラクタにしか思えない知識や道具が一つや二つあるくらいでは、それはゴミにしかならない。しかし、そのようなゴミでも、何百個もたまってくると、ある瞬間それらが急につながって一つの大きな成果になる。
このような、臨界点を超えたとき、それまで何のつながりもなかったことが有機的につながる現象をパーコレーションという。
イノベーションというものは、それまで何のつながりもなかったものどうしが、うまい具合に結びついて新たな価値を持つことによって生まれる。一見ゴミにしか思えない研究や知識でも、それがべつの分野の知識とつながって大発見につながる例は数多くある。イノベーションは、ガラクタの混在したカオスな状況から生れることがよくある。
これは実は自然界の摂理と非常に似ている。
自然界もまたカオスで、そこには目的も意志もない。
このような仕組みを、スケールフリーネットワークという。スケールフリーネットワークの特徴は、自己組織化する点にある。自分のなかから生れた結果がその組織に影響し、そして再組織化されるのが特徴。
この組織の構造のおもしろいところは、フラクタルという全体と部分が自己相似している点。シダの葉っぱや雪の結晶みたいに、全体と部分が同じかたちをもっているのだ。
自然界がこのようなネットワークを持っている理由は、このような組織のほうが強靭だから。
一部のノード(点)に多くのリンク(線)が集中し、他の多くのノードにはほとんどがリンクがないというスケールフリーネットワークの構造は、何か問題があったときでも一部のノードにそれが集中しない限り、全体に支障が生じないからだ。
人間社会もこのようなスケールフリーネットワークのような構造を持っているほうが強いが、今の企業や政府はそれとは逆の方向に進んでいる。企業や政府の、「役にたたないもの」「すぐに成果がでないもの」には投資しないという方針では、パーコレーションは起きにくい。
近年多くの日本人研究者がノーベル賞を受賞しているのは、何十年も前にやっていた「役に立つかどうか分からない研究」がノーベル賞に値する成果につながったからだ。かつての企業や政府は、大学に無駄にも見える研究を自由にやらせていたので、結果的にノーベル賞級の成果がたくさん出た(もちろんそれ以外の数えきれないゴミもたくさん生んでいる)。
イノベーションはこうした山ほどのゴミのなかからポコッと生まれるものであって、「利益を出せ、役に立つものだけを生め」という雰囲気のなかからはなかなか生まれない。だからこそ、社会は京大的アホを許容するおおらかさを持ってほしいと筆者は願うのである。
感想
面白かった。
社会にも個人にも余裕がなくなっているせいか、多くの人がコスパを意識し無駄のないことをしようとしている。それは京大的アホとは正反対だ。
たしかに、無駄は無駄なんだから、やらないほうがいいのだ。
でも、そうした無駄のなかに実は大きな宝が眠っていることがよくある。
他人がいくら無駄だと言おうとも、本人が好きだったり価値があると思うなら是非ともそれをやるべきなのだ。そして社会はそれを許容すべきなのだ。それが社会を救う萌芽になりうるのだから。
結局筆者の酒井さんが言おうとしていることは、この前引退されたイチローさんの言っていることと一緒なんだと思う。
遠回りすることってすごく大事ですよ。無駄なことって結局無駄じゃない。遠回りすることが一番の近道。
キャンプでいろいろ試すことは、無駄なことではありません。無駄なことを考えて、無駄なことをしないと、のびません。