片づけの奥深い世界

知り合いの家が売れて8月に明け渡しするので、家の片づけを手伝っている。

他の家の片づけをしていたときもそうだったが、昔の人はほんとうに何でも、われわれがゴミとして捨てるようなものでもとっておくので家はモノであふれかえっている。段ボールから空き瓶から木箱から発泡スチロールから何でもかんでも。捨てるのはもったいない、何かに使えるからととっておいたものが結局何年も何十年も放置してある。一番片づけるのに辟易するのは、袋。空になった箱とかが袋にまとめて入れてあって棚に放置してあるのだが、袋は何年も何十年も放置してあるとパリパリになって触れるとバラバラに割れる。それで紙吹雪みたいに地面に落ちていく。これを片づけるのが一番面倒でイライラする。

まぁそういうこともあるのだが、モノであふれかえっている家の片づけをするのは楽しい、そして奥深い。昔の家に置いてある昭和のモノを眺めるのは、平成生まれの自分には新鮮である。今片づけている家の主は、ナショナルの家電を愛用していたようで、いろんな古いナショナル製の家電がある。ラジカセやレコードプレーヤー、扇風機、天ぷらをつくる家電などいろいろ。家電が入れてあるぼろぼろの箱の、昔を感じさせるデザインは眺めていてとても楽しい。一度も使っていない、一体いつ買ったのだというような洗濯粉のパッケージにある、聖子ちゃんカット?のモデルの昭和もまたいとおかし。

モノであふれかえっていればいるほど家の片づけは楽しい。このゴミの山をどのように処分していけば最小限の出費で抑えられるか、それを考えるのが楽しい。一口にゴミと言っても、捨てる場所が違えばゴミはむしろ金になる。イスひとつとっても、イスから鉄製の脚を取り外せばその脚は鉄くず屋が買い取ってくれる。座る部分の布と木だけ燃えるゴミとして出す。昔の鉄製の家具は今のと比べてとても重い。鉄くず屋はキロ40円というように重さで買い取ってくれるので、昔の家具にくっついている鉄は今のよりも金になる。こんな感じで、鉄やアルミなどを家具や家電から分離させ鉄くず屋に持っていく。まだ途中だが、軽トラ3杯分の鉄をすでに買い取ってもらった。昔の家電は鉄くず屋は無料で引き取りしてくれる。ヤフオク!やメルカリで調べてみると、それなりの値段で取引されているので、一応出品してみる。売れなければ鉄くず屋で無料で引き取ってもらえばいい。本や雑誌、新聞紙なども、持っていけばクオカードにかえてくれるコンテナがあるのでそこにもっていく。家具も解体して薪に使えそうなものは持って帰ってサウナの燃料にする。こんな感じでゴミの山を解体していく。何をどこにもっていけばゴミは金になるのか、あるいは金にならないにしても出費を最小限に抑えて処分できるか、解答しがいのある方程式を解いているようで面白い。

今片づけている家の主はお花の先生をやっていたので、お花の道具や茶器、絵画といった工芸品がたくさんある。自分にはそういった工芸品の一つ一つに一体どれほどの価値があるのか分からない。それらを鑑定士に見てもらって、これにはこれくらいの価値があるのかと知るのもまた面白い。こんなものにこれくらいの価値があるのか、こんなものでもお金になるのかと驚くこともある。自分の目が勝手に養われていく。

人の家を片づけていると、モノを通して歴史が見えてくるから面白い。それと同時に、たった一軒の家だけでこんなにもモノがあふれているのかと嘆息する。今、全国で7軒に1軒は空き家になっていて、おそらく空き家には大量のゴミが放置されているはずだ。そして今後空き家が加速度的に増加することは確実だから、日本中の家に大量のモノが放置されることになる。一方で、日々工場でモノは作られ続けているわけで、そりゃこんなことしてたら地球環境はもたんわなと思い知らされる。こんな途方もない問題をどうしていけばいいのか自分には分からないが、少なくとも自分の生活に不必要なモノは買わないということを意識して生活していこうと思う。