村上龍『共生虫』感想

村上龍の『共生虫』と合わせて『共生虫ドットコム』を読んだ。

考えてはいるけれどまだ言語化できていないことを、読んだ本のなかで表現されていたりすると、なるほどと思ってノートにそのまま書き写すようにしている。日常で、こういったブログにではなく、紙に書くという行為をほとんどなくしてしまっているが、紙に書くという肉体行為でないと心に染み込んでいかない気がするのは気のせいだろうか。

以前『共生虫』を読んだときに、真実というのは細い川を流れていて、たしかな目的を持った者だけが偶然の助けを借りてやっと見つけられる、一度見つけてしまえば見失うことはない、というような表現をノートに書きつけていて、それをノートで見つけて再読することにした。

内容はだいたい忘れていた状態で再読した。あぁそうだ、ウエハラというひきこもりが「共生虫」という虫を体内に宿し、それをサカガミヨシコというテレビキャスターの運営する掲示板で相談したんだった。それで、サカガミヨシコではなく、べつの人間が、掲示板にある秘密の窓口に招待し、そこでのやり取りを通じて、ウエハラは外に出ていき、しまいには窓口でやり取りしていた人間を毒殺するのだった。やべぇ話である。

村上龍の『ストレンジデイズ』が、今まで読んだ本のなかでも5本の指に入るくらい好きで、それにも、体内に虫を宿していると感じる女の子が出てくる。彼女の場合は、ひきこもりではなくトラックドライバーで、観る者を圧倒させる演技力を持っている。

真実を観た者は世界とのギャップに苦しむ。世界のほとんどの人間はもちろん、真実なんて見えておらず、大多数のそういう人間によって世界は構築されているわけだから、真実を観ている者からしたら欺瞞の世界になる。キリストやムハンマドブッダには真実が観えて、それをわざわざ説いて歩いて、それによって宗教ができたわけだが、実際のところ、どの宗教に属していてもほとんどの人間には真実が見えない。だからこそ、宗教組織の内部での権力争いや、宗教がらみの戦争やテロが起きる。

体内に虫を宿すというのが、リアルでそうなのか、あるいは妄想かどうかというのはさておき、そういう虫を設定しないと、真実を観る者には、このクソみたいな欺瞞の世界をサバイブできないのである。

『共生虫』は2000年ごろ出版されて、その頃はインターネットが一般に浸透し始めた時代で、ネットにおけるコミュニケーションの不完全性を村上龍は題材にしたかったようだ。『共生虫ドットコム』で、田口ランディとの対談でそう述べている。話が逸れるが、田口ランディって女だったのか、ずっと男性でしかも俳優やってる人だと思ってた。 

ウエハラも、掲示板で共生虫のことを相談して、自分のことを理解する人間がいたのだと知るが、掲示板の向こう側の人間は、ウエハラという引きこもりを妄想をするバカだと思っていて、彼を操って人殺しさせようと企む邪悪な奴らであった。

村上龍田口ランディも、インターネットでちゃんとしたコミュニケーションなんて取れるわけがないと思っていて、せいぜい連絡事項をやり取りするぐらいのキャパシティしかないと思っている。それから20年以上たって、インターネットは完全に一般に浸透して、スマホが出てきて外でもネットに繋がれるようになって、SNSが登場して人々はどんどん疲弊して不幸になっている。

村上や田口がいうように、インターネットでまともなコミュニケーションなんてとれないのに、むしろコミュニケーションの大部分がネットになってしまっている現在、ウエハラ予備軍はたくさん生まれているし、実際のウエハラもいる。

『共生虫ドットコム』には、殺人願望はあるかとかいろんなテーマに対する回答が読者から寄せられていて、それを読んでいると、若い読者が多いが、時代が変わっても本質的な部分は20年前とそんなに変わらないような感じを受けた。全体の印象で、具体的にどうとかいえないけど。あるいは1990年代の後半から、すでに日本は閉塞的な状況でそこは今と共通だから、それを反映しているのかもしれない。

これだけネットの存在が大きくなってしまうと、距離をとって生きていくことなんて不可能で、ほとんどすべての人が文字通りのストレス、圧迫を受けている。何年立ってもネットとうまく付き合えないことは変わらないし、この先も変わらないだろう。そうして多くの人がネットのせいで苦しむのだ。

ウエハラは共生虫を体内に宿していると感じ、引きこもりだったのが外に出て、そして人を殺す。真実を知ったと思い、新宿で目にする人々をバカだと見下す。端からみれば、狂った人間だが、ウエハラはある意味において、それで精神が安定している。こういう、明らかな狂った状態でも、本人が安定している場合、周りの人間はどうしたらいいのだろうかね。もちろん殺人を犯しているわけだから逮捕されるわけだが、本人はそれで安定してはいるのだからそれでいいのかもしれない。真実を観た人間からすれば、むしろ狂っているのは社会のほうなわけで。

村上龍には今の時代がどう見えているのだろう?