この国には本当にいろいろなものがある、だけど希望だけがない。

 

村上龍の『希望の国エクソダス』を読み終わった。

 

全国の中学生100万人が集団不登校をし、北海道に希望の国を作ろうとする話。

 

インターネット上に中学生だけのコミュニティを作り、そのネットワークを使って国内外の企業と連携し莫大な利益をあげる中学生たち。このネットワークがすこしずつ影響力を持っていき、世界の金融市場にまで影響を及ぼすまでになり、最終的に北海道に独立政府を作ろうとするまでの過程を描く。

 

このネットワークを組織した中心人物である中学生のポンちゃんが、国会に参考人招致され国会議員とやりとりするのだが、そのやりとりのなかでポンちゃんが放ったのが、この国には何でもあるけど、希望だけがないという主張。

 

この作品が書かれたのはもう20年近く前になるのだけど、そのときからこの国は全く変わってないよな。むしろ、20年前からものはどんどん増えているが、それに反比例して希望はどんどん減っているような気さえする。

 

作品では、この国に絶望した中学生が希望の国を作ろうとしている。

個人的には、現実でもそういうことができる能力を持った中学生たちはいると思う。

今回のオリンピックを観てもよく分かったが、日本にも若くして突出した能力を持った中高生は普通にいる。本番でも普通に能力を発揮してメダルをとり、それでいてインタビューでの受け答えもすばらしい。能力的にも、人間的にもすばらしい10代はたくさんいるのだ。スポーツの世界だけでなく、ゆたぼんのように自分の意見をyoutubeで発表して稼いでいる子もいる。

 

日本人は、平均値は高いけど突出したとんでもない天才は少ないということをたまに聞くが、それは間違っていると思う。とんでもない天才は普通にいる。だけど、それを政治家などの俗物が潰しているのだ。とんでもないプラスを、どうしようもないマイナスが邪魔するために、とんでもない天才が少ないように見えてしまうのだ。

 

今回のオリンピックでもそういったシーンが垣間見えた。

開会式は、MIKIKOという女性振付師をはじめとする才能ある人たちが担当するはずで、実際に彼女たちの案はIOCにも絶賛されていたのに、電通がそれを邪魔して佐々木宏とかいう差別野郎が任命され世界に恥をさらした。

 

正確にいえば、この国には希望がないのではなく、希望がないように見える。

そのように見えてしまうのは、利権にしか興味がない電通パソナといった企業、国会議員が希望を覆い隠しているからだ。台湾にはオードリー・タンというITの天才がいて、彼は台湾政府の大臣を若くして務めていて、実際にコロナ対策で大きな成果をあげている。日本にもそういった人物は絶対にいるのだ。だが日本政府は台湾政府と違って、有能な人材を無能な政治家が潰してしまう。そのせいで希望が覆い隠されている。

 

小説に出てくる中学生のポンちゃんたちには物欲がなく、名誉欲にも利権にも興味がない。数十万の中学生からなるネットワークを使って莫大な利益をあげるが、それによって私腹をこやすようなことはしない。シンプルな服を着て、お金がないころから利用しているビルの一角に住み続けている。ネットワークを使って全国の中学生を支配したり利用したりもせず、中学生のための職業訓練所を建設するなど、全体の利益につながるようなことに投資している。この中学生ネットワークは全国に支部があって、緩やかなつながりがある。ポンちゃんなどのように役割がある中学生もいるが、権力を持っているわけではない。このネットワークへの加入も各個人の意思にまかされていて、強制ではない。

 

こういった組織のありかたって現実にもあって、5年くらい前に盛んだったSEALDsを思い出す。彼らは秘密保護法に反対してデモをする学生が組織した政治団体だったと思う。自分は彼らの主張を肯定していたわけではないが、組織のありかたは理想的だと思った。ツイッターでデモの日時を知らせ、参加したい人は参加する。1960年代、70年代のガチガチに固まったあの学生組織とは違って、緩やかで個人の自由にまかされたネットワークなので、組織内部にありがちな権力闘争がない(自分は組織の内側にいた人間ではないので断言できないけど)。

 

こういう組織のありかたって理想的だと思うんだよな。

多くの組織、特に自民党なんかを見てても分かるように、組織内部に噴出する利権の闘争に議員は振り回されて、本来の目的を見失い国民のほうをまったく向いていない。当初の目的を見失って、組織内部のしがらみに振り回されてしまっている政党や企業なんて腐るほどある。それはある意味で組織の持つ運命だと思う。そういった意味でいけば、SEALDsのような緩やかな連帯を持った組織は理想で、目的を遂行したら解散したのもよかった。

 

 

小説での主人公は、ポンちゃんたち中学生ではなく、彼らと関わりのある中年の記者である。この記者は、ポンちゃんたち中学生に協力しながらも、彼らの組織するネットワークがどんどん強力になっていく様に言いようのない不安と危惧を覚えている。中学生の底知れない力が、自分たち大人がどうすることもできない現実を動かすことに嫉妬しながらも彼らの応援をする。同時に、中学生であるがゆえに経験値が浅く抑制することを知らないから、このまま突き進んでしまっていいのかと不安な気持ちを抱いている。中学生ネットワークは、利益を産まず社会の足かせになっている高齢者を介護施設と称して監禁しようともしている。そうした闇の部分を中学生ネットワークは内包している。

 

村上龍はすごいな。

たぶん、日本を変えられるのはこういった力しかないと思う。中学生が突然100万人不登校になるといったような巨大なインパクトじゃないと、この国はもう変わらないと思う。国会議員はもう国民に信頼されていないし、既存の巨大メディアの二枚舌の報道をうのみにする人はいない。電通パソナのようなオリンピックを利用して金儲けを企んだ企業も見放された。こういったがんじがらめになったろくでもない連中をつぶせるのは若い子どもたちで、だから村上龍はこの小説を20年も前に書いたのだ。それでいて、その若い力はたしかに国会議員やメディアを出し抜いたわけだが、その若い力はとんでもない方向に暴走する可能性もはらんでいることを村上はちゃんと描いている。主人公に中年記者を据えた村上龍はすごい。

 

 東京オリンピックはいろいろなことを教えてくれた。

 選手の活躍を見ても日本人はすごいし、それを支えたボランティアや警察といった選手の周りもすごい。有能な人間はこの国にはたくさんいる。しかしそれを組織する上の人間、システムは世界に恥をさらす無能ばかりであったことがよく分かった。今まで曖昧に認識されていたこれらの事実が東京オリンピックを通じて浮き彫りになった。

 

 オリンピックが終わりこの国にはもう精神的にアガるようなイベントは何一つとしてないが、突出した若い才能がこの国にはたくさんあることが分かったのは一つの希望である。