モリス・バーマン『神経症的な美しさ』感想

モリス・バーマン『神経症的な美しさ』を読み終わる。

最近観たNHKの番組にモリス・バーマンが出ていて、ひきこもりに対してポジティブな解釈をしていたので驚いた。番組で上の本が紹介されていたので読んでみようと思った次第。

自分も、ひきこもりや、あるいは不登校に対してポジティブな意見を持っているが、自分以外で日本にひきこもりや不登校にポジティブな考えを持っている人を知らない。

そんななか、アメリカ人であるモリス・バーマンが、日本のひきこもりに対して以下のような表現をしているのは素晴らしい。

…社会が「ひきこもり」を治療するのではなく、むしろ彼らこそが治療薬となるのかもしれない。ひきこもりはいわば影を演ずる者たちだ。見方によっては助けを求める叫びであるが、別の見方をすれば、抗体のように、調子のおかしくなった文化、真の自己からひどく疎外された文化のバランスを取り戻そうとしているのである。教育や雇用において、日本は極度の競争社会であるーだが何のために?ひきこもりは鏡のような役割を果たし、つまりはこう言っている。「機能不全に陥っているのは本当に私たちなのか?」あるいは、「嫌だ、絶対に行かない!」と。彼らはこのようにして、「まっとうな」社会を告発し、目を覚ませと呼びかけているのだ。 P306

バーマンのように物が見えている人間はどれほどいるのだろう?

アメリカによって日本は強制的に開国させられ、日本はそこから急速に近代化を遂げていく。欧米諸国は200年近くかけてゆっくり近代化してきたところを、日本は何十年かのうちに国を発展させてしまったので、そのあまりの変わりようの速さに日本人自身が追いつけず神経症的になってしまったとバーマンは説く。

バーマンは若い頃から日本という国をつぶさに見てきたようだ。日本の文化や精神、歴史を日本人以上に勉強している。1908年に北海道の人口が千八百万と記してあるなどミスがあるが、どの本よりも近代の日本のことが分かりやすく記してあった。

それに、たとえば今の国会議員の裏金問題や、ダイハツなど企業の不祥事、日大や宝塚の問題、こういったものが結局すべて、日本という国、日本人のアイデンティティからなる根本的な問題だということが本を読んでいてよくわかった。だからこそ同じような不祥事が延々と繰り返されるわけだ。すべて受動的なのだ。だから誰も責任をとらないし、自分の引き起こした問題なのに他人事なのだ。

資本主義が行き詰まっている中、アメリカも日本も、それにかわるオルタナティブなシステムを見いだせないでいる。見いだせないから、行き詰まっているにも関わらず、あいかわらすこれまでと同じように経済を発展させようとする。そういった状況のなかで、バーマンはひきこもりやオタク、日本人の心の底を揺蕩う伝統的な精神に可能性を見出している。

2009年に政権交代が起こり民主党が政権の座についた。バーマンの本を読んでいて、もしかしたら民主党政権のほうが希望があったのかなと思った。しかし、結局何もできず、いつの間にか政策は自民党と似たりよったりになり、国民の信頼を失い自民党が政権の座にかえりついた。

難しいのが、たとえば首相時に鳩山由紀夫脱原発を推し進めようとしていたが、既得権益層がそれを許さず、結局何もできなかったことだ。今の岸田にしても、首相就任にあたって新しい資本主義を掲げていたにも関わらず、今ではそれに触れることさえしない。一番権力のある人間でも、既得権益やら他派閥やらに根回ししておかないと何もできず、何もできなかったと批判を浴びて支持率が落ちる。もちろん既得権益や派閥の利益にならない改革は進められない。

で、既得権益というのは、資本主義システムのなかで成功してきた者たちであり、結局そいつらが改革の足かせになっているわけである。資本主義システムが袋小路に陥っている以上オルタナティブな道を探らないといけないのに、既得権益層がそれを邪魔しているのである。更迭された松野やら橋本聖子などは、多分最初はまっとうな政治家であろうとしたはずで、しかし物事を動かすには悪事に手を染めないといけない構造がすでに出来上がっていたのではないか。悪事に手を染めなければ何もできないし、何かをなそう、それができる地位にまで行こうとすれば悪事に手を染めないといけないのだろう。だからこそ、あんなに他人事なのだ。彼らからすれば仕方ないじゃないかという話になる。

一方で、ひきこもりや不登校、オタク活動というのは個人的な反応や行動であって、これは政治の世界にある構造的な問題とは無縁である。だからこそしがらみなく始まる。ひきこもりや不登校が増えていけば、どこかの時点で社会システムや教育システムは崩壊する。教師もすでに限界寸前に達しているから、もう間もなく公教育は破綻を迎えるだろう。先に述べたように、この国は受動的だから、誰かスーパーマンみたいなのがリーダーシップを取って改革するということは起こらない。システムが破綻を迎えるという状況になってはじめて物事が動き出すだろう。そういう意味では、日本は今、夜明けが近いのかもしれない。あらゆるシステムが破綻を迎えつつあるわけだから。