変わった夢だった

 

今日のは変わった夢だった。

 

学校にいて、なぜかその中に手術室があった。

 

教師は病気を患い、自分が臓器を提供することになった。

 

手術台の上で、尻あたりにまず麻酔をうたれ、そして歯茎に麻酔を打たれた。

 

麻酔を打たれ意識が失われていったところで目が覚めた。

 

尻に打たれたときに痛みがあり、歯茎に打たれたときにも痛みがあった。

 

夢のなかでも痛みがあるんだわ。

 

夢のなかでも意識が失われるってのも面白い。

 

寝ている最中に、さらに寝るっていう。二重睡眠。

 

二重睡眠したところで、現実に舞い戻った。

 

二重睡眠ができるんなら、三重睡眠も四重睡眠もできる。クリストファー・ノーランの『インセプション』みたいに。

 

というか逆に、メタ認知という言葉があるように、現実でも(現実ってなんだ?)自己を見る自己、その自己を見る自己というように二重認知、三重認知ってのもある。

 

そうなると、自己の立ち位置があやふやになってくる。

 

おれは果たして現実に存在しているのか?そもそも現実ってなんだい?

 

荘子の「胡蝶の夢」を思い出すね。

 

夢の中で蝶として飛んでいた自分。目が覚めたが、果たして自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのかってやつ。

 

普通は前者だと決めつけて自己を安定させ日常を送ろうとするが、今の自分は蝶が見ている夢にすぎないという可能性を否定はできない。

 

これを壮大なかたちで表現したのが映画『マトリックス』。夢見ている自分は、現実ではただの乾電池だったわけだから。

 

まぁそんなふうに考えていると、現実なんてものは所詮幻想であって、もっと自由に、いい意味でいい加減に生きたらいいというふうに思えてくる。

 

これもある意味では、悟りなんだろうか。