皇室制度の是非について

 

 眞子さまと小室さんが結婚することについて、デモが起きたりと反対する声が多く挙がっているが、個人的には「個人の自由だしええんちゃうか」と思っている。

 小室さんの母親が怪しい人間であることが大きな問題になっているが、小室さん自体はべつに普通の人そうだし、親ガチャを外した小室さんは災難やなと思っている。眞子さまも一時金を辞退されたようだし、税金をなるべく使わないように配慮しておられるのだろう。

 

 今回の皇室に関する一連の出来事は、皇室という制度について考えさせられた。とはいえ、自分は皇室に関する知識がほとんどないから、一冊チョイスして皇室について考えた。

 

 内田樹の本はよく読んでいるから、彼の街場シリーズの天皇論をチョイスした。

 

 印象に残ったのは、天皇というシステムがあることで国民の精神が安定しているという件。天皇という象徴があるおかげで、国民は道徳・倫理的な意味で精神が安定している。

 本文中には、韓国の知識人が日本に天皇という象徴があることが羨ましいと内田に語る件が出てくる。なぜうらやましいのかというと、道徳的な意味で見習える模範像が日本には天皇というかたちで存在しているからである。韓国では、本来それにあたるべき大統領が汚職で逮捕される事例が相次いでいる。韓国には、道徳的、倫理的に模範とすべき像が存在しないのだ。

 日本には天皇という模範がある。日本における首相も、韓国の大統領と同様に道徳的に見習える存在ではない。むしろ、ああいう人間にはなりたくないという思う輩ばかりである。天皇という象徴は日本人にとって拠り所になっている。あの気品あふれる存在は日本人のあるべき姿として模範である。皇室制度は日本国家の根幹をなしているし、日本人の精神の拠り所になっていることは大きな事実である。

 

 しかし自分が考えたいことはこの本ではほとんど言及されていなかった。

 それは今回の眞子さまの結婚とも関わっている。皇室の方々の個人の想い、考え、人権についてである。

 

 眞子さまがこれほど結婚を強く望まれたのは、もちろん小室さんを愛しているからだと思うが、それ以上に皇室を離れたい、一般人になりたいからだと思えた。今回の結婚に対する国民の反応が、皮肉にもその思いに拍車をかけたように見えた。

 皇室の方が、今まで一般人と普通の意味で触れ合うのは学校や大学あるいは職場だけだったと思うが、そこでも学習院とかいわゆる上級の、気品や教養がある一般のなかでも上の人ばかりが集まる場ばかりで、普通の人がいる空間に出入りすることはなかったと思う。

 しかし、スマホというものが登場し、普通の人たちのいる空間にいつでもどこでも普通にアクセスできるようなったことで、眞子さまや佳子さまは一般人として自由になりたいと強く願うようになったように感じる。特に佳子さまはその気持ちが眞子さま以上に強いように見える。

 

 世界は多様性を尊重する流れになり、多様性を尊重するということは自分が自分らしく自由でいられるということだ。しかし皇室の方は自由に動くことも発言することも許されない。眞子さまや佳子さまの友人は自由に交際し自由にSNSで表現できるが、自分にはそれが許されない。スマホやインターネット、SNSが普及したのは眞子さまや佳子さまが思春期に入ったころあたりだから、自分だけが自由にできないのはとても苦しかったと思う。しかもその境遇は自分が選んだわけではないのだ。こんな不条理なことがあるだろうか。この感覚は国民には理解できないだろうし、それ以上に父である秋篠宮さまはもっと理解できないだろう。自身が思春期のころに置かれていた状況とあまりに違うわけだから。

 

 この前、眞子さまの結婚に対する国民の冷ややかな反応を扱った新聞記事に、宮内庁幹部の「生まれたときからずっと人権や自由が抑圧されてきたことのつらさがまったく理解されていない」という話が載っていた。

 それを読んで、そこまでして皇室というシステムを残す必要があるのかなと思った。

 内田樹がいうように、天皇という象徴が国民の精神的安定に寄与しているという話はよく分かるし、天皇が国民に寄り添っていることも、そして日本に天皇という存在があることのありがたさというかすばらしさも分かる。しかし国家のために、皇室の方々の人権や自由を犠牲にしてほしくないと思う。

 今まで国民はそのことについて強く考えたことはなかったと思う。皇室の方々が自己の人権や自由について発言してこなかった、あるいはできなかったことをいいことに、皇室の方々の人権や自由について政府も国民も深く考えてこなかったと思う。

 

 悠仁さまも今後スマホをお持ちになって、自己の置かれている状況をより客観的に把握するようになるだろう。これまでの天皇は思春期のころは本当に制限された情報しか得てこられなかっただろうが、悠仁さまの場合は違う。汚い情報も含めて、さまざまな情報に触れていくだろう。そうして、眞子さまや佳子さまの苦悩を理解するだろう。そして、自分は皇室のなかでしか生きていくことができないことに愕然とするかもしれない。

 

 個人的にはやはり、国家や国民のために、個人の人権や自由を犠牲にしてほしくない。天皇という象徴は日本のために存続してほしいとは思うが、皇室というシステムを解体してもかまわないと思う。