科学の外側の世界を知る 『精神科医の悪魔祓い デーモンと闘いつづけた医学者の手記』

非常に興味深い一冊を読み終えた。

 

タイトルを読めば、精神科医が悪魔祓いをしているように思えるが、そうではなく著者である彼はあくまで精神科学という科学の世界の見地から、患者が精神病を患っているのかそれとも悪魔に憑りつかれているのか、判断を下しているだけだ。本書には、悪魔に憑りつかれていると思っているが実際はそう思い込んでいるだけにすぎない精神病の患者と本当に悪魔に憑りつかれている患者が登場する。その違いがちゃんと描かれているだけに、この世界には本当に悪魔と呼ばれる存在がいるのだということが認識される。

 

自分は、科学というのは所詮この世界を認識する一つの物語にすぎないと思っている。しかしどんなにそう思っていてもやっぱり科学という物語は強力で、この世界のさまざまな現象を科学という色メガネで見ようとしてしまう。科学という物語以外にもたくさんの物語があるわけだが、現在は「科学」という物語をみな信仰しているので、その物語では語ることのできない存在についてはふたをする。悪魔という存在は当然ふたをされる存在で、日本で悪魔が存在すると思っている人はまずいないだろう。しかし、本書を読めば、悪魔は存在するということがよく分かる。もちろん、存在というのは、車とかケーキみたいな物質的な意味での存在ではなく、別次元での意味での存在だ。

 

本を読んでいる途中、日本に悪魔はいないのだろうかと思いながら読んでいた。構造主義的な観点から本を読んでいた。日本で仮に悪魔に憑りつかれている人がいたとして、悪魔に憑りつかれている人は突然汚い言葉を発したり奇怪な行動をとったりするわけだが、まず医療機関を受診するだろう。で、悪魔に憑りつかれているわけだからどうやっても精神科学的な見地からでは病名がつけられないわけだが、それでも日本ならむりやり何らかの精神病を名づけると思う。悪魔に憑りつかれているという発想は出てこない。こういう意味で日本に悪魔は存在しないのだ。アメリカはキリスト教圏だから悪魔という観念は一般的で、だからこそ悪魔祓いもあるのかなという文化的な意味で悪魔は存在するのだろう、最初はそういった視点から本を読んでいた。しかしこういう見方はどうやら違っていたようだ。

 

著者のリチャードは悪魔は存在すると断言している。実際に悪魔に憑りつかれた患者を目の当たりにしているからだ。当人が知らない別言語の言葉を流暢にしゃべったり、空中に浮かんだり、べつの場所にいる著者の仲間が何をしているのか透視したりと、明らかに科学の範疇で説明できない能力を悪魔に憑りつかれている人は発揮する。本にはこうした事例がたくさん載っている。確かにこうしたことを目の当たりにしたら、誰だって悪魔は存在すると思うだろう。

 

著者がカウンセリングした悪魔に憑りつかれている人は、ほとんどがサタンをはじめとする悪魔と交流を持とうとしたという経験を持っている。中途半端に知識を持って、闇の世界と関わろうとしたことによって本当に悪魔に憑りつかれてしまったのだという。こういうふうに書くと、サタンとか悪魔とかそんなものはおとぎ話の世界で架空のもののように思えるが、本を読んでいるとそれは本当に現実の世界の話なんだと思わせられる。日本に悪魔がいないと思われるのも、文化的な意味で悪魔になじみがないからではなく、日本人が悪魔と交流するための機会がないからである。ヴィジャ盤(こっくりさん的な遊び)をやったり、悪魔に忠誠を誓う集会に参加したりとかしたら悪魔に憑りつかれるようだ。

 

普通に生きてると自分がいかに科学的な世界観でこの世界を見ているか気づかなくなる。気づいていないことにすら気づかなくなる。こういった科学の外の世界に言及している本を読んでいてもまだ科学的な視点で悪魔を見ようとしている自分に気づいた。世界は本当に広い、本当に広い。