穴に落ちたことで日常がざらついていく芥川賞受賞作『穴』

小山田浩子の『穴』を読み終わった。

再読だったのだが、この作品のタイトルも、以前読んだことも忘れていた。しかし内容だけは頭に残っていた。読み始めて「あれ、これ読んだことあるわ」と思い出した。

派遣社員として働いていた主人公あさひは、夫の転職に伴って退職、夫の実家の隣にある空き家に引っ越した。専業主婦として不平不満のない、だが膨大な時間を持て余していたあさひは、ある日土手沿いの獣の堀った穴に落ちたことで少しだけおかしな日常を生き始める…

 

不思議な作品だった。

獣を追い穴に落ちたことで、それまでの日常が変わっていく。これは何となく村上春樹の小説を思わせるが、あさひはまったくべつの世界に行くわけではなく、それまでの日常に別の世界?がかさなっている二重写しの世界を生き始める。あさひの目の前に獣が再び現れ、それを追っていくと夫の実家の裏へとたどりつく。そこには物置小屋があって、夫の兄が住んでいた。しかしそれまで夫も夫の家族も、あさひに兄がいることは知らせていなかった。というか、一人っ子と聞かされていた。しかししばらくして夫の祖父が亡くなったとき物置小屋を訪れると、裏の物置小屋に誰かが住んでいたような形跡はなかった。

 

夫の兄は、自分がひきこもりで家族の恥だから家族はあなたに自分の存在を言わなかったのだと言う。人は見たくないものは見ないのだと。こういうくだりを読んでいてハッとした。人々が生きている日常は、自分の都合のいいように構成された世界で、自分の目には見たいものだけが映るようになっているのだ。目に映らないがたしかにそこにある日常は異界として存在しているのだ。このように考えると、獣はあさひにとってトリックスターであって、獣は兄のいる異界としての日常をあさひにもたらしたわけである。

 

人間は時間がたつとそのときどきで興味も変わって見えるものが変わってくる。

この前、子どものときから何百回と通っている道の途中に、かなり古い銭湯を見つけてめちゃくちゃ驚いた。何百回も通っているのにそこに銭湯があることにそれまでまったく気づいていなかったのだ。子どものときは銭湯や温泉にそんなに行ってなかったが、大学生のころから足繫く通うになった。それでアンテナがそっちのほうに向くようになって、そこに銭湯があることをキャッチしたのだろう。

 

結局、夫に兄がいるのかそれともいないか分からない。あさひは夫にも義母にも、兄がいるのか聞かなかった。ある日、あさひと兄が獣の掘った穴を見に行こうとしたとき、義祖父が口を大きく開けて兄のほうを見ていた。義祖父の目には兄が映っていたんだろうな。義祖父はそれからしばらくして真夜中にどこかへ行こうとして、それが原因で体調を崩し亡くなる。義祖父はたぶん獣を追って穴に向かっていたんだと思う。兄のいる異界に触れたことがきっかけで亡くなったような気がする。

 

この物語はとても興味深いが、なんせ自分の解釈と語彙が足りないせいであまりうまく書けない。いろいろと書きたいことがあるけど、うまく言葉にできない。『穴』はぐいぐい読ませる物語ではなかったが、それでも心をざわつかせるいい物語だった。