才能とかに関する雑感

自分は、人の話を聴くのはわりと得意だと思っているが、人に話をするのはすごく苦手だと思っている。

説明をするのって、考えてみるととても難しくて、まず結論を言ってからそれに関する説明を始めればいいのか、それともあれこれ説明してから最後に結論を言えばいいのか、どっちがいいのかわからない。日本ではおおむね後者が採用されているから、自分もたいていあれこれ説明して最後に結論を言うのだが、今度はあれこれ説明するにも、その説明をどれぐらいしたらいいのかで迷う。

話をするということは相手がいるということで、相手の理解力とか知識量もなんとなく頭に入れたうえで話すが、初対面の人に話をする場合はそういうのがわからない。10説明するのに、5から話し始めればいいのか、1から話し始めればいいのか。

もちろん普段はなんとなく適当に話しているわけで、上のことをいちいち考えているわけではない。自分には話すことに関して苦手意識があって、今初めて言語化してみたわけである。

一方で、聴くことに関してはわりと得意だと思っていて、実際に相手から、話しやすいとかちゃんと話を聴いてくれるという評価をもらうから、客観的に得意なんだと思う。

聴くということについて意識をしていることは特になくて、自然に聴いている。自然に聴いているとはどういうことかというと、相手の話を話し終えるまでちゃんと聴いている、相槌をうちながら聴く。まぁそれぐらいだ。

自分にとっては簡単なことだが、経験上ちゃんと話を聴くことができる人ってあまりいなくて、特に男性の年齢が上の人ほど、人の話を聴かないし、延々と自分の話、特に自慢話をしている。相手が話しているのに途中でさえぎり自分の話をし始める。だから人の話を聴くというのは、一般的には簡単ではないのかもしれない。

得意だと思っている聴くことについては、意識していることはそれほどない、一方で苦手だと思っている話すことに関しては、あれこれ考えて結局わからない。

才能というのは、物事をシンプルに考えて実行できる能力のことをいうのかもしれない。

世の中にはいろんな才能を持っている人がいて、才能のある人はその分野についてたぶんシンプルに見えているのだろう。具体的にいえば、ゴールまでの道筋が見えているから単にそれを辿っていけばいい、という感じ。数学で考えてみるとわかりやすい。正解にたどりつくまでに、いろんな作業が必要で、数学が得意な人はどの作業をこなしていけば正解にたどりつけるかが最初から見えている。一方で、苦手な人には何をすればいいのか見当がつかない。

 

書くことは、話すことほどではないにせよ難しいなと感じる。書くということは、相手に説明するということであり、上に書いたようにどれくらい説明したらいいのかわからないからだ。このブログに関しては、べつに沢山の読者がいるわけではないし、仕事でやっているわけでもないから、誰を意識することもなく気楽に書けている。相手を想定していないから、もっといえば自分に向けて書いているので、説明云々とかまったく考えることなく書ける。

ブログをやっている人は、おそらくけっこうな数の人が他のブロガーと交流していると思うのだが、自分は誰とも交流していない。始めた頃はお互いのブログを行き来する仲間もいたが、いつのまにか「読んでくれる人のためにも良い記事を書かなきゃ」と勝手にプレッシャーを感じていた。自分は勝手に自分を追い込む癖があって、人生でだいぶ損をしている。いつの間にか仲間はブログを閉鎖していったので、今はとても気楽だ。

だからこそ、多くの読者を抱えるブロガーや、もっといえば小説家や漫画家はすごいなぁと感じる。彼らは、いくつものキャラクターを動かしている。そのキャラクターは、物語のなかでべつのキャラクターに説明している。そして同時に、その小説や漫画を読む読者にも説明しなければならない!これって相当すごいことだと思うんだけど。ミステリーものなんかは、容疑者は他のキャラクターを欺きながら、同時に読者も欺かなければならない。これってよくよく考えれば至難の業じゃない?

でも、プロの小説家や漫画家は才能があるからそれをいとも簡単にやってのけてしまうのだ。もちろん簡単なことではないにせよ、作品という完成形まで持っていける力がある、それは才能があるからだ。そして、上に書いてあるようなことをいちいち考えていたら作品なんて完成させられないだろう。彼らはゴールまでの道筋が見えていて、そこから外れるものはいちいち考慮しない。余計なことは見ない、これも一つの才能だ。

物語の構造についてだとか、表現の効果とか、作者の死だとかは、それを評論する者が言うことで、物語を作る側は作っている最中、そんなことは考えないだろう。もちろん、評論できるのも才能の一つで、作者は同時に評論家にもなれる。

つまり何が言いたいかというと、話すのが苦手な自分にとって、話すのが得意な人はすごいし、小説家や漫画家はそれ以上に尊敬しているということだ。