苦もなくやれることを才能と言うことにしたい

才能というのは、それが得意だから、人よりできるから才能があるということになっている。だけど、もう少しグレードを下げて、それをやることが苦ではない、あるいは楽しいといえることでも、才能があるということにしたいのです。

得意とか、人よりできるということになると、他人と比べることになる。そうすると競争になる。でもまぁ、分野によってはべつに競争する必要ないじゃない。

最近、自分はゴミを片づける才能があることに気付いた。自分の家は片付いているから今までゴミを片づける才能があることに気付かなった。たまたま人の家を片づける機会があって気づくことができた。自分は片づけるのが速いかどうか分からないし、人より処分費用を抑えて片づけられるかもよく分からない。しかし、汚いゴミを片づけるのはそこまで苦ではないし、ゴミの山を見ても辟易しない、というよりワクワクしてくる。こういう気分になれることも、才能があるということにしたいのだ。

そうするとどうなるのかというと、自己肯定感が高くなる。才能が何か一つでもあると、自己肯定感が高まるよ。

自分には何もない、という言葉をよく聞くけど、それってたぶん全部競争で考えているからそんな言葉が出てくるんだと思う。人との競争で勝てるものがないと、自分には何もないという考えになってしまう。でも、誰にだって苦にならずやれることが一つや二つあるはずで、それはべつに片づけが苦にならないとかそんなことでいいのだ。で、それはもう才能と言ってしまおう。

小学生のとき、「算数が得意だと思う人、手を挙げて」という先生の質問に、べつに勉強が得意でない同級生が自信をもって挙手していた。当時、それを見て「なんでこいつ手をあげてんだ?」と思ったが、今は彼女をまぶしく思う。

人がどう思おうと自分がそう思えばそうなのだ、と思っていても、なかなかそういうマインドになれない。だから、才能があるという言葉自体を拡大解釈したい。