なぜ婚活の場が辛くなるのか、考えれば考えるほどわからない。

 

ta-nishi.hatenablog.com

 

この記事は、読者の反応も含めて面白かった。おぉなるほどーっていう感じ。

婚活が辛いのは、人間が物象化され、疎外の場に晒されるかららしい。

物象化、疎外はマルクスの用語。物象化とは、人間を「機能」として扱うこと。疎外とは、機能を常に他者と比較され、条件付きでしか認められない苦痛のこと、と書いてある。資本主義社会では常に、人は機能で査定され価値づけされる。スペックで比較され、他者より機能しないなら交換の対象になる。

婚活では年収がいくらとか、昇進の可能性はあるかとか、いくらの車に乗り、時計を身に着けているかとか、そういう観点から男性は査定されるらしい。結婚は本来、情が育まれ「この人といっしょになりたい」とお互いが想った結果、いっしょになるものだ。「この人でないといけない」というのはつまり、他者とは交換がきかないということだが、婚活の場では常に他者と交換可能な「機能」でしか選別されない。それが婚活する男性に疎外されているという感情をもたらし、婚活が辛いものになっている。

べつの哲学用語を使って説明すれば、男性は「これ性」で結婚したいが、女性は他者と交換可能なスペックしか見ないために乖離が生じて、婚活が辛くなっている。「これ性」というのは哲学者ジル・ドゥルーズの言葉で、「これでないといけない」という唯一無二の感覚を意味する。男性は、好きなものやこと、趣味、性格など、「その人をその人たらしめているもの」をみてほしいが、女性がまず見ているのは機能なので、男性は「それなら俺でなくてもいいじゃないか」と疎外感を感じるわけだ。

 

この記事を読んでいて、どうして人材とか人脈という言葉が嫌いなのか分かった。人材とか人脈という言葉は、人を機能でしか見ていない言葉だからだ。そこには「これ性」が欠けている。

とはいえ、こういった言葉はビジネスで使われる用語であって、利益を生み出すことが第一で、機能で判断する企業にとっては、「これ性」が欠けているのは当然といえば当然である。まぁでも昔はもっとおおらかだったはずで、会社の売り上げには貢献していないけど、いるだけでその場があたたかくなるような人の存在は、今のあくせくした社会よりは承認されていたんじゃないかなぁ。

 

もちろん、機能ではなく情で結ばれたカップルもたくさんいるわけで、上の記事にも書いてあるように、情で人間関係を構築できなかった人たちが婚活しているんだよねという胸の痛む指摘がされている。

しかし、そもそも昔から人々は、機能ではなく情で結ばれ結婚してきたのだろうかという疑問も思い浮かぶ。恋愛結婚なんて日本ではおそらくこの数十年の現象であって、そもそもお見合い結婚においては親族どうしが勝手にくっつけていたわけだから、情も機能も関係ない。

そもそも、情とはいったい何なのか?相手になぜ惚れるのか?

たぶん遺伝子レベルの本能が「こいつだ!こいつといっしょになれ!」と命じ、われわれはそれを恋愛と呼び、「これ性」をもたらしている。で、本能というのは、根本的には狩猟本能のことで、なぜ「こいつだ!」と思うのかというと、こいつは獲物を捕る能力が他者よりもあって、いっしょになることで、自分もそして自分らの子にもエサが与えられ、生存確率が上がるからである。

そして現代では、この狩猟能力が金を稼ぐ能力に置き換わっている。当然現代は狩猟社会ではなく獲物をとってくる能力など必要ない。お金を稼ぐ能力があれば、風雨に耐えられる頑丈な家が手に入るし、栄養のある食べ物が手に入るし、あったかい布団で眠ることができる。さらに、金があれば自分の子に上等な教育を受けさせてやることもでき、これは将来自分の子も金を稼ぐ確率が上がることにつながる。だからお金のある男性がもてるのだ。

そうなると、情と機能はもはや区別ができなくなる。恋愛でもスペックでもって情を抱いている可能性は高いし、婚活の場でお金に絡むことしか聞いてこないのもそれが本能と分かちがたく結びついているからだ。

 

それならばなぜ、男性が疎外されていると感じるのだろう?お金を稼ぐ力は、自分の本能と結びついている。お金を稼げるということは、男として優秀であることを示している。なぜ趣味とか性格は「これ性」と結びつくのに、お金を稼ぐ力は結びつかないのか?

ある人に、なぜその人といっしょになったの?と聞いてみるとする。「あの人はやさしいのよ」と答える。「じゃあやさしい人ならだれでもよかったの?」と尋ねる。その人は「やさしくてかっこいいのよ」と答える。「じゃあやさしくてかっこよかったら誰でもよかったの?」と尋ねる。その人は「やさしくてかっこよくて、背が高かったのよ」と答える。「じゃあやさしくてかっこよくて、背が高かったら誰でもよかったの?」と尋ねる。その人は「うるせぇ!!!」と答えた。

ということで、たぶんその人をその人たらしめる「これ性」というのは幻想のようなものだ。あるかもしれないけど、その存在はよくわかっていないというようなもの。なんでいっしょになったかなんて、よくよく考えてみたら分からないというような人がほとんどだと思う。

 

俄然、わからない。なぜ疎外感を感じるのか。一つには、慣れていないからかもしれない。人類は何万年も狩猟をしてきて、そういう意味ではお金を稼ぐ力が重要視されたのは最近の話だ。だから、男性はお金を稼ぐ力だけで選別されることにとまどっている。一方で女性は社会にちゃんと順応していて「今は狩猟能力じゃなくて、お金を稼ぐ能力よ」と思っている。で、乖離が生じているのだ。女性は本当の俺のことをみてくれていないと感じる。

 

しかしあれだな、査定している女性側も婚活は辛いらしい。

anond.hatelabo.jp

 

上で述べたように、「これ性」ってよくよく考えてみたら、あるのかないのかよくわからないものだし、それならもう「ええぃ、誰でもいいや」てな感じで選んでもいいような気がするものだが、それができないからこそ色々と苦しんでいる人がいるわけで…

そういう意味では、むかしのおせっかいおばさんって偉大だったんだなぁ。ま、今はAIがマッチングしてくれるサービスもあるようだが。

自分なんかは「そんなに苦しんでまで結婚ってしたいものなのかねぇ」と思うけどな。自分の場合は、本能も煩脳もそがれてしまっているから少数派なんだろう。

ブックマークした記事を読んで、なぜ婚活が苦しいのか分かったが、よくよく考えたら余計に分からなくなった。