「哲学とは何ぞや?」ツァラトゥストラはこう言った

 

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

 

 

 

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

 

 

 「哲学」と聞くと、何をイメージしますか?

 わけの分からない難しい言葉を使いまわす、何を言っているかよく分からない。変人が一人で黙々とやっている。中二病。まぁこれは僕が昔思っていたことです。というか、今でも思っています。たぶんみなさん同じようなイメージを持っているのではないでしょうか。

 哲学者の代表格といえば、ニーチェです。哲学が何なのかよくわからない人でも聞いたことがあると思います。ニーチェ中二病だし、頭のおかしい人間です。

 

 僕は勝手に哲学者と名乗っています。ですが、僕はニーチェのように狂ってはいません。少しだけ他の人より変わってはいますが、ニーチェの足元にもおよびません。でも僕には、ニーチェの立っている地点よりはるかに下ではあるけれども、同じ山に登っているという自負はあります。

 僕の考える哲学は単純です。自分が疑問に思ったことを自分の頭で考えてみること。簡単な定義でしょ?でもこれを実践するのってけっこう難しいんです。少なくとも僕にはとても大変なことだった。

 プロフィールにも書いてあるように、僕は中学生のころから「社会はどんどん便利になっていくけど、それは本当にいいことなんだろうか」という疑問を持っています。僕は最初その問いについて考えようと思っても、どう考えてよいのかわかりませんでした。車輪を回すハムスターのように、頭を回転させるんだけどそこから一歩も進んでいないような感覚に陥ることが多々ありました。ただ言葉遊びをしているだけのような感じでむなしさを覚えるだけでした。あれはとてもしんどかった。

 僕はたくさん本を読み始めました。でも、情報が蓄積されていくだけで、自分の頭で考えることがどういうことなのかは分からなかった。自分の考えだと思ってしゃべっているその言葉は、読んだ本の受け売りにすぎず、そんな自分にげんなりすることも多かったです。

 それでも、そうやって何年も何年ももがきつづけているうちに、僕には質的な変化が訪れました。「自分は自分の頭で考えることができている」という確かな感覚を得られ、自分の頭の中でたしかな手ごたえのある言葉が紡がれ始めました。それまでA4のレポート半分を埋めるのにも苦労していたのに、何枚も書けるようになりました。

 そうやって自分の頭で考えることができるようになると、物事を少しだけ俯瞰できるようになりました。

 山に登ると、ふもとからでは見えない景色を堪能できます。遠くまで見渡せます。ふもとの町が隣接する他の町とどうつながっているのかわかります。

 これと同じことが僕にも起こったわけです。つまり、自分のなかにあったさまざまな情報が組み合わされ自分の知識となり、それをもとに自分なりの考え方が形成されていった結果、それまで見えなかった景色が見えたのです。ふもとにいたころには見えなかった景色が俯瞰できるようになったのです。

 それまでに見えなかった景色が見えたというのは、ぼくたちの生きているこの世界の見え方=解釈ができあがったということです。

 ぼくたちはみな同じ世界に住んでいますが、物理学者は原子とか素粒子といった「色メガネ」を通して世界を見ています。経済学者はかつてはマルクスの理論という「色メガネ」で、今ではミクロ・マクロ経済という「色メガネ」を通して世界を見ています。

 僕は、苦労して自分でつくった「色メガネ」を通して世界を見ています。

 自分の頭で考えるとは、ちょうど山に登るようなものです。山に登るのはしんどいですが、登れば登ったぶんだけ世界が俯瞰して見えるようになるのです。ふもとにいては見えない絶景が見えてきます。そう思うと、考えるって苦しくも楽しい営みだと思いませんか?

 

 僕が今登っている山のはるか上にニーチェがいます。

 ニーチェは若くして大学教授になりました。しかし、天才は同僚のやっかみに遭い、大学を出て一人孤独に物事を考えます。そして発狂します。

 ニーチェの代表作『ツァラトゥストラはこう言った』は、山で一人孤独に考えていたツァラトゥストラがふもとに下りて民衆に語りかける物語です。

 正直に言うと、僕は二回読みましたが意味がよく分かっておりません!

 それでも、ニーチェツァラトゥストラを通して、ふもとにいる民衆(何も考えずぼーっと生きてる人たち。ニーチェは彼らのことを「畜群」と罵倒しています)に、チコちゃんのごとく「ぼっーと生きてんじゃねーよ!自分の頭で考えろ!考えれば今まで見えなかった絶景を見ることができるぞ!」と言いたかったのだと思います。

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