大谷翔平選手の本当にすごいと思うところ

 今日春のセンバツの出場校が発表された。僕の出身県の高校も選出されていて嬉しいかぎり。

 

 2012年春のセンバツでは、優勝した大阪桐蔭高校大谷翔平選手のいた岩手の花巻東高校が一回戦で対決した。僕は甲子園でその試合を観戦していた。現在阪神にいる藤浪晋太郎投手が大阪桐蔭のエースで、彼の放ったボールを大谷選手は態勢を崩されながらもライトスタンドにつきさした。彼はすでに怪物だった。

 

 野球ファンならずとも知っている大谷選手は日本球界では二刀流で結果を残し、去年はメジャーでも大活躍し新人王を受賞した。間違いなく彼はすごい。

 

 でも、僕が彼を本当にすごいなと思うのは成績云々ではなくて、彼が心の底から野球を楽しんでいるところだ。

 

 僕は小学校から高校までずっと陸上をしていた。先生に誘われて陸上を始めた。はじめは、ただ純粋に走るのが楽しかった。そして、大会で一番になったり、タイムがどんどんよくなっていくことが快感だった。中学で陸上部に入り長距離を専門にした。中学ではどんどんタイムがよくなっていったのもあって楽しかった。苦しい練習が多かったけど、タイムが良くなっていくのもあって耐えられた。

 高校からはそう簡単にタイムが縮まらなくなった。練習についていくのもやっとになった。そのころには走ることがただ純粋に楽しいと思うことはなくなっていた。ただ、タイムを縮めたい、大会でいい成績を残したい、その一心だった。でもタイムはあまりよくならないし、予選落ちもけっこうあってしんどかった。

 高校三年生の秋の駅伝大会で引退した後は、まったく走らなくなってしまった。燃えつきてしまった。大学では陸上同好会にすら入らず一切走らなかった。

 引退して数年後、ようやく軽いジョギングをするようになった。大会とかタイムとか関係なしに、走りたいなぁと思ったときにだけ走っている。少しずつ、子どものころの、走ることがただ純粋に楽しいという感覚を取り戻しつつある。

 

 プロ野球選手や企業で陸上をやっている人たちでも、それが仕事になってしまうと楽しいより苦しいと思う人たちが多いらしい。いや、プロになる前の高校の段階から苦しいと思う選手はたくさんいるようだ。僕はプロでもなんでもないけど、プロのスポーツ選手と本質的には同じ軌跡をたどっていたようだ。小さいころは純粋に楽しかった。しかし、成績を意識しだして、成績を出すことが目的になると、苦しいことが多くなってくる。成績がいい時は楽しいけど、悪い時はつまらないというふうになってしまう。プロともなれば周りはうまい選手ばかりなので、激烈な競争のなかで努力しなければならない。それはとても苦しいことだ。

 

 大谷選手を見ていると、なんかそういう競争とはべつの世界にいるように見える。彼は子どものときから一貫して野球を楽しんでいるように見える。こんな表現は誤解を与えるかもしれないけれど、彼は子どものまま大人になったように見える。ずっと野球を楽しんでいる。彼はプロだからもちろん成績を求められるし、もちろん成績を意識しているのだろうけど、それとはべつにただ純粋に野球を楽しんでいる。

 スポーツ雑誌『Number』で、大谷選手がトミージョン手術というリスクの高い肘の手術を受けた理由も「思い切り投げられないのは楽しくないじゃないですか。だから手術を受けたんです」というようなことを言っていて驚いた。この人は「楽しい」というのがまず第一なのか、と。

 だから僕は、もちろん彼の残してきた成績をすごいなぁと感心するのだけれど、それ以上に心の底から野球をずっと楽しんでいる姿にもっと感心する。最初は楽しかった走ることがだんだん苦行になってしまった自分を思えば、彼のすごさが本当によくわかる。

 手術の影響で今年は投げられないということだけど、彼が今年も野球を楽しくやってほしいと一ファンは思う。