ぼくたちはどうして忙しいのか②

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あぁネコのようにのんびり生きたい。

ネコはぐうたら生きているのに、どうしてぼくたちは忙しいのだろう?

 

matsudama.hatenablog.com

  前回僕は「将来のために今を犠牲にしているから」と書いた。今回は別の視点から考えてみたい。

 前回、車や電車といった交通システムや洗濯機や炊飯器といった家電のおかげでいろいろな作業の時間が短縮されているわけだから時間がたくさん余るはずと書いた。それなのにどうしてぼくたちは忙しいのか?

 車や電車に乗れば歩くよりも早く目的地にたどりつけるし、洗濯機を使えば川へ洗濯しに行く必要がなくなるので時間ができるはず。それなのにぼくたちには時間がない。

 

 その理由は、ぼくたちがお金の奴隷になっているからだ。

 

 当たり前の話だけど、車はただではないし、電車に乗るのもお金がかかる。洗濯機や炊飯器、電子レンジその他もろもろのもの、すべてにお金がかかる。それらを使い始めたら、電気代や水道料金、ガス代がかかり、故障すれば修理費用が、あるいは新たに買うことが必要になる。お金がなければ生活できなくなっている。すなわちぼくたちはお金の奴隷になっている。

 ぼくたちはお金がなければ生きていけない。こうしてぼくたちはお金を得るために働かなければならない。そうすると、ぼくたちは日常のほとんどを仕事にささげなければならなくなる。ぼくたちは会社に時間を搾取されていくわけだ。というよりも自ら進んで搾取されにいくといったほうが正確かもしれない。

 世界一貧しい大統領と呼ばれたウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカさんは、国民が働きすぎないように8時間労働を6時間労働にした。そうしたらどうなったか。国民は6時間の仕事を二つかけもちして12時間働きはじめたのだ!誰も強制したわけではない。でもそうせざるを得ないから、自発的に長時間労働するのだ。

 これと同じようなことが日本でも起こっている。かつては男一人が働きに出ていたが、今では共働きが普通だ(もちろん社会に出て働きたいから働く女性もいるが、家計の足しのために働いている女性のほうが多いだろう)。割り増しされる残業代が欲しいからすすんで残業する人もけっこういる。

 

 おそろしいことに、ぼくたちの家計簿には以前とは比べものにならないくらいに多くの支出項目が羅列されている。

 二十年ほど前なら、携帯電話の端末料金や通信料金なんていう支出項目はほとんどの人の家計簿に載っていなかったはずだ。もう少し前ならパソコンやインターネットに関する支出項目も。

 しかし今では、ほとんどすべての人の家計簿にそれらは追加されている。それらはとても便利だ。今ではもうなくてはいけないものになっている。

 このように、時代がすすむにつれてぼくたちの生活にはなくてはならないものが追加されていった。三種の神器やら3Cやらパソコンやらスマホやら・・・。

 かつておじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へ洗濯に行っていた。それが今ではおじいさんもおばあさんも機械のボタンを押すだけだ。そういう生活が当たり前になってしまえば、わざわざ山や川へ行くなんて面倒だ。なにより、川で洗濯しようものなら「この人何してんの」という目で見られるだろう。

 

 ぼくたちは、便利だからそれらを購入し使う。そしていったんその生活に慣れてしまえば、あと戻りはできなくなる。深い沼に少しずつ足を沈めていくように、お金への依存を強めていく。

 お金がどんどん必要になる。それに応じてたくさん働かなければならなくなる。こうしてぼくたちはどんどんどんどん忙しくなっていくのである。

 

 

 

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