ぼくたちはどうして忙しいのか③

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 ネコが人間に飼われているのではなく、むしろ人間がネコに飼われているのではないだろうか?

 ぼくたち人間のほうが、実はネコのペットなのではないか?

 

 さて、前回ぼくたちはお金の奴隷になっているから忙しいのではないかということを考えた。

 

matsudama.hatenablog.com

 

 ぼくたち人間は、ネコだけでなくお金の奴隷にもなっている。学術的にいえば、資本の奴隷になっている。

 ぼくたちはあれこれモノを買わされる。今では物語(モノより思い出!)も買わされる。そのために、家計簿には以前とは比べものにならないくらい多くの支出項目が追加されている。だからぼくたちはそのぶん働かなくてはならない。夫婦は共働きになり、男は残業をすすんでやらざるをえなくなる。あぁ忙しい。

 

 ぼくたち働くぼくたち楽する。これが今回考えるぼくたちが忙しい理由。

 どうして忙しい、時間がないと感じるのか。それは時間があまりにも早く過ぎ去っていくからだ。しかしこの記述は正確ではない。今も昔も一日は24時間であり、子どもだろうが大人だろうが、日本人だろうがアメリカ人だろうが時間は平等に流れていくからだ。早いも遅いもない。

 正確に表現すれば、客観的には時間の流れ方は同じなんだけど、主観的には時間の流れ方が違うということになる。大人になるにつれて、ぼくたちは主観的な時間の流れ方がどんどん早くなっていくように感じる。それはどうしてなのか?

 

 どうやらぼくたちの脳は、新しいことをしなくなると時間が早く過ぎ去るように感じるらしい。子どものころは毎日が新鮮なことばかりで時間はゆっくり過ぎていくように感じる。それが大人になるにつれて、見慣れたもの、やり慣れたものばかりになって新しく感じることが少なくなっていくので、早く過ぎ去っていくように感じるというわけだ。

 

【師走】1年があっという間?!どうして時間が早く過ぎる? - 世界一自分に優しい授業

 

2019/01/28 21:31
こちらの記事を参考にさせてもらいました。なるほどなぁと面白く読ませてもらいました。

 

 

 ぼくたちは働いている。

 僕が現在勤めている会社の人たちは毎日朝から晩まで同じことをしている。顧客の電話リストとにらめっこしながら、朝から晩まで電話している。毎日毎日やっている。これでは新しいことは何も起こらない。

 僕の叔父は工場で働いている。毎日製品の部品を組み立てている。毎日毎日やっている。これでは新しいことは何も起こらない。

 

 ぼくたちは楽をしている。

 かつておじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へ洗濯しに行っていた。しかし今では、おじいさんもおばあさんも家電のボタンを押すだけだ。ぼくたちはそれを「楽になった。便利になった」と喜ぶ。たしかにそうなのだ。楽になったし便利になった。それは喜ぶべきことだ。

 しかし、こなすべきたくさんの作業がボタンを押すというたった一つの作業に集約されてしまったことによって新しいことに触れる機会が失われ、時間が早く過ぎ去ってしまうことになった。家で家電のボタンを押す生活では、おじいさんは竹を切ってかぐや姫に出会うこともないだろうし、おばあさんは赤子の入った大きな桃を拾うこともないだろう。

 楽をするということはやるべき作業が減るということであり、それは同時に新鮮な出来事に触れる機会が少なくなるということ。

 ぼくたちはこうして時間に関するパラドックスが生まれることに気づく。やるべき作業が減るということは、そのぶん時間が短縮されゆとりが生まれるはずなのに、新鮮さが失われることで時間はそれ以上に早く過ぎ去っていくように感じられるのだ。奇妙だなぁ。

 

 ぼくたちはなかなかおかしな世界に住んでいるようだ。鏡の国のアリスみたいに。僕はこの世界の構造が非常に気になる。この世界は現在資本主義と呼ばれる構造を持っている。僕は今マックスヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を再読している。これを使って、ぼくたちはどうして忙しいのかをもっと掘り下げてみたい。