どうしてお金の奴隷になるのか

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 以前、どうして忙しいのか考えた際に、お金の奴隷になっているからだということを書いた。
matsudama.hatenablog.com

 

 では、なぜぼくたちはお金の奴隷になってしまったのか?

 今日はそれについて考えてみたい。

 はじめに結論を書いておくと、分業するからである。分業するから、ぼくたちはお金の奴隷になってしまうのである。

 これから述べるのは、なぜ分業によって、ぼくたちがお金の奴隷になってしまったかということである。

 

 キーワード:分業

 

 

1 分業は生き物の基本である

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 生き物は基本的に分業している。

 分業とは役割分担のことだ。オスは外へ狩りに行き、メスは子どもの世話をする。

 なぜそんなことをするかといえば、効率的だからだ。オスとメスがいっしょに狩りに行き、いっしょに育児をするより、役割分担してそれぞれが自分の仕事を果たしたほうが効率がいい。オスは、体力があって空間認識能力が高く狩りに適している。それに、メスでないとおっぱいが出ないので、メスが常に子どもといっしょにいたほうがいい。子どもを連れて狩りに行くのも不可能だ。

 

 よく知られているように、アリやハチの世界でも分業が行われている。

 女王アリと働きアリや女王バチや働きバチといったように、多くの個体が協働してコロニーを支えている。

 

 人間も同じだ。今では多くの女性が社会へ進出しているが、最近までずっと男が外へ働きに行き、女が家で家事育児をしていた。

 

 このように、分業は生き物の基本なのである。

 

 

2 人間の分業について

 

 人間の分業とその他の生き物の分業の違いは、複雑さにある。

 分業とは役割分担のことだった。人間の役割分担は他の生き物のそれに比べて、圧倒的に複雑で細分化されている。

 

 ある人は医者であり、ある人は教師であり、またある人は大工だ。

 世の中にはさまざまな仕事があり、その仕事の集積によって世界が支えられている。

 

 どうしてこんなことが可能なのだろうか。なぜ、人間にだけこんな複雑な役割分担ができて、他の生き物にはできないのか。

 

 協力できる個体の数に秘密がある。

 基本的に、動物は血縁で結ばれた者どうしでしか助け合わない。

 血縁を超えた関係であっても、チンパンジーやゴリラなんかはせいぜい何十頭かで構成されたグループが普通らしい。これだと、複雑な役割分担はできない。

 しかし、人間は大人数で協力できる分、複雑な役割分担ができる。なぜできるのか?

 

 歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリによれば、それは虚構を共有できるからだ。

 虚構とは想像上の秩序のこと。

 宗教なんかが分かりやすいだろうか。同じ神を信じる者どうしなら、血縁なんて関係ないし、国も民族も関係ない。みんな仲間であり協力できる。キリスト教なら約20億、イスラム教なら16億人も仲間がいる。

 国も虚構だ。日本人は「日本」という虚構によって秩序を保っている。ぼくたちは、同じ日本人という理由で、会ったこともない人間のために自分の時間を割くことができる。

 オリンピックの羽生結弦しかり、全豪オープンの大阪なおみしかり。

 なぜ応援するのか?それはもちろん彼・彼女が、アスリートとして、人として素晴らしいからだが、何より同じ日本人だからだ。

 

 ぼくたち人間は他の生き物と違って、虚構を通じて大人数が仲間として協力できる。これによって、複雑な役割分担が可能になる。

 

3 資本主義が分業をおしすすめた

 かつては職人が世界にたくさんいた。職人は、一つの物をつくる時、すべてのプロセスを一人で担っていた。

 しかし、資本主義はこのプロセスを解体し、細分化された仕事を多くの人間に振り分けた。

 工場をイメージすると分かりやすい。

 流れ作業のなかで、部品のチェックをする人や、組み立てをする人、それを統括する人など、さまざまに細分化された仕事にそれぞれ労働者が分配されている。かつてはこれらの仕事は職人一人が担っていたものだ。

 資本主義は、技術の発展をおしすすめ社会を非常に複雑にした。今では誰一人としてこの世界全体を把握している人はいない。

 職業は以前とは比べものにならないほど多様化された。学問も細分化されて、同じ学部であっても隣の人は何を研究しているか分からないという学者も多い。

 

 なぜこんなにも細分化されたかというと、最初にも書いたとおり効率的だからだ。

 考えてみてほしい。

 10人の人がいるとして、それぞれが家を建て、それぞれが米や野菜をつくり、それぞれが布を編んで衣服をつくるなんて効率が悪い。

 それよりも、家をつくるのが得意な人に建てるのはまかせて、米や野菜をつくるのが得意な人につくるのをまかせたほうが効率がいい。

 自分が得意なことは他の人のもやってあげ、不得意なことは得意な人にまかせてしまう、そっちのほうがはるかに効率的だ。これは、個人だけでなく国どうしにもいえることで、比較生産費説とよばれている。

 

 こうして、人にものを教えることが得意な人は教師になり、病気を治すことが得意な人は医者になり、家を建てるのは得意な人は大工になった。

 

4 分業が徹底され人間は一つのことしかできなくなった

 教師は教えることでお金をもらい、そのお金で医者に治療してもらい、大工に家を建ててもらう。

 医者は病気を治すことでお金をもらい、そのお金で教師に子どもを教育してもらい、大工に家を建ててもらう。

 大工は家を建てることでお金をもらい、そのお金で教師に子どもを教育してもらい、医者に治療してもらう。

 

 さて、これがもっとも効率的なわけだが、同時にぼくたちは自分のこと以外何もできなくなってしまった。

 医者は、学校で子どもを教育したいと思っても教員免許がないのでできない。家を建てようと思ってもノウハウを持っていない。そもそも、その道のプロがちゃんといるのだから、自分でやるよりお金を払ってやってもらったほうが質の高いサービスが得られる。

 

 ぼくたちは、他者の仕事なくして生きていくことはできない。これはつまり、お金がなければ生きていくことができないということだ。お金を払わなければ、他者は仕事してくれないのだから。こうしてぼくたちはお金の奴隷になったのである。

 

 

 こう書くとなんだか、分業が悪いみたいなふうに聞こえるけど、分業のおかげで社会がこれだけ発展し、生活にいろどりがもたらされたという側面もある。

 というのも、分業のおかげで、ゴールネットに向かってボールを蹴りこむだけで何千万ももらえる人や、160㌔のボールを投げることで何億ももらって生活できる人が現れたのだ。ぼくたちは、この人たちにお金を払って生活をより楽しむことができる。これはすばらしいことだ。

 

 以上をまとめよう。

 人間は虚構によって大人数が協力でき、その分非常に複雑な社会を構築できる素質を持つ。資本主義は、社会を複雑にし仕事を細分化した。それによって、人は自分の小さな仕事以外のことはできなくなり、他者の仕事をあてにしないと生きていくことができない。お金がなければ他者は仕事してくれない。つまり、ぼくたちはお金なくして生きていくことのできない奴隷なのだ。

 

 

参考にした本

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 第二章の虚構の箇所で、『サピエンス全史』を参考にした。

ユヴァル・ノア・ハラリが本書で言及しているが、人間が作り出した最も強力な虚構は、宗教でも国家でもない。貨幣なのだ。この本は人類の過去から現在までが非常に分かりやすくかつ面白く描かれている。おススメ。