どうして炎上が起こるのか ~群衆が魔物に変わるとき~

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 炎上がよく起こる。

 炎上とは、不祥事とか暴言をツイッターなどに載せた結果、数多くの人から批判が相次いでよせられ収拾がつかなくなること。

 

 最近では、ラーメン店の店長が、記念撮影に応じた芸人のたむけんを罵倒し、非難が殺到した。

 他には、アルバイトが、おたまを股間にあてたり、わざと食材を床に落とした動画をネット上にアップして炎上した。

 

 たしかに、店長やアルバイトは非難されるべきだけど、それを非難する人たちは「そこまでやる必要があるの!?」というくらいけちょんけちょんに攻撃している。

 ラーメン店の店長のもとには無言電話が毎日かかってくるらしい。「お前の対応は間違っていた」と言うならともかく、無言電話とか単なる嫌がらせじゃないか。

 

 僕は炎上に加担したことがないから、嫌がらせする人たちの気持ちはよく分からない。

 でも、ふと思いあたるふしがあった。この炎上の正体は、「あれ」と似ていると思ったのだ。

 

 僕は、高校野球が好きでよく観戦する。ここ最近の甲子園の人気はすごくて、夏の大会は特に、チケットが試合前に完売してしまうくらいだ。

 

 夏の甲子園は各都道府県から代表が集まり、トーナメント方式で試合をする。

 試合に負ければ三年生は引退ということもあって、プロとは違って目の前の試合に全力を出す。アマチュア野球なので、エラーやちょっとしたミスで試合の流れががらりと変わってしまうこともある。そういうところが魅力で、高校野球ファンはけっこう多い。

 

 「甲子園には魔物が住んでいる」と言われる。

 魔物の正体にはいろいろな説があるが、それは観衆だと僕は思っている。

 

 甲子園の観衆は半官びいきと言われ、スポーツ推薦枠のない公立高校や劣勢に立たされているチームがよく応援される。

 しかし最近ではむしろ、観衆がアルプス席の応援に乗せられて、縁もゆかりもない高校を応援していることがよくある。

 

 たとえばこの応援が始まると、リズムに乗ってついつい応援してしまう。


【高校野球応援】北海高校 世界一のアゲアゲホイホイ【第99回全国高等学校野球選手権大会】

 

 これは「サンバ・デ・ジャネイロ」という曲に合わせて、「アゲアゲホイホイ」と応援するのだが、ついつい身体が反応して手拍子してしまうのだ。

 甲子園の大観衆が乗りだすと異様な雰囲気になり、何かが起こるんじゃないかと期待してしまう。

 

 そんなとき、観衆は個人ではなくなり魔物の一部になっている。

 

 高校生が四万人以上の大観衆の目の前でプレーすることなど、甲子園以外ではないわけで、それだけに高校生に与える精神的な影響は計り知れないものがある。

 

 大観衆が魔物になって相手チームに襲いかかると、試合がひっくり返ってしまうことがよくある。有名なのはこれ。


東邦 奇跡の逆転サヨナラ 甲子園の魔物

 

 2016年夏の甲子園、愛知代表の東邦高校と青森代表の八戸学院光星高校との試合

 東邦高校は終盤に最大七点差をひっくり返して勝利をおさめるのだけど、その起点となったのがアルプス席の応援だった。

 アルプス席の応援が徐々に球場全体に感染していき、観客がタオルを振ったり手拍子して東邦高校を応援し始める。

 しまいには、バックネット裏の子どもたちも東邦高校を応援する。あの子たちは関西の少年野球チームに所属しているから、愛知の味方でもなければ青森の敵でもない。

 球場の大観衆が魔物と化し、八戸学院光星のピッチャーに襲いかかる。ピッチャーの投げる球は、バッターの打ちやすいコースに吸いこまれていった。

 

 打たれたピッチャーは後に、「球場全体が敵に見えた」と語った。

 

 

 炎上もこれと同じではないか。

 非難する人たちは、ターゲットを見つけると雪だるまみたいに固まっていって魔物化する。そのとき、非難する人たちは個人として存在しているのではなく、魔物の一部になっている。

 最初は、悪いことをしたやつらを成敗するという目的で非難していたのだけど、いつの間にか魔物という巨大な力の一部として陶酔していたいがために非難を続けるのではないか。

 

 社会心理学者のギュスターヴ・ル・ボンは、群衆心理について次のように言う。

 

…意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが、群衆中の個人の主要な特性である。群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。                   (pp.35)

 

 群衆中の個人にとっては、およそ不可能という観念は消滅する。単独の個人ならば、自分ひとりで宮殿に放火したり、店舗を荒したりすることができないのをよく知っている。だいたい、そういう気さえ、ほとんど頭に浮かんでこないのだ。ところが、その人が群衆の一員になると、多数の与える力を意識して、殺人なり掠奪なりの暗示が少しでも与えられると、たちまちそれに従う。                    (pp.43)

 

 

 ネットが登場して、いっそう簡単に魔物が生まれやすくなったように思う。匿名でいられるのも、簡単に個人が魔物の一部になる要因だろう。

 炎上がこんなにも起こるのは、ある意味必然なのかもしれない。

 

 参考にした本

群衆心理 (講談社学術文庫)

群衆心理 (講談社学術文庫)

 

 本文中の引用はこちらから。

個人が群衆の一部となるとき、何がおこるのか。

群衆という一個の魔物を心理学的に探究した本。付和雷同的な性質をもつ日本人は読んでおいたほうがいいだろう。