ぼくたちは毎日が忙しい。時間がない。
僕はこれについてずっと疑問だった。どうして忙しいのだろう?
普通に考えてみれば、ぼくたちは忙しいわけがない。むしろ時間がありあまってしかたがないという状況でなければならないはずだ。
たとえば、洗濯をするにしても今は洗濯物を洗濯機に放り込んでボタンをおしておくだけでいい。かつては川にいってごしごしやっていたのだから洗濯する時間がなくなったぶん時間ができるはずだ。
どこかに行きたいと思ったら車やバス、電車で行けばいい。かつてはどこに行くにも自分の足でいかなければならなかったのだから車や電車で行く分時間ができるはずだ。
ごはんをつくるにしても、お風呂にしても、その他もろもろ機械にまかせておくぶんひとつひとつの作業で時間が浮いて、暇で暇でしかたない状態になるのが普通ではないか?だがそうはなっていない。むしろ、みんな「忙しい、忙しい、時間がない」と言っている。一体どうしてなんだ?
『モモ』という児童文学がある。
- 作者: ミヒャエル・エンデ,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/06/16
- メディア: 新書
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この本はモモという女の子が灰色の男と呼ばれる時間泥棒から時間を取り返す話なんだけど、この本で描かれている社会はまさにぼくたちの社会と同じなのだ。
モモのもとには子どもから大人までたくさんの人たちが集まって一緒に遊んだり、会話を楽しんだりしていた。そこにどこからともなく灰色の男たちが現れ、まちのひとたちに「今時間を貯蓄すれば将来たくさんの時間が得られる」ともちかけ、まちの人たちから時間を奪っていく。子どもたちは施設におしこまれ、大人たちはあくせく働くようになる。そこにマイスター・ホラ(「時間の賢者」という意味)が現れモモを導き、モモは時間泥棒から時間を取り返すために奮闘する・・・
『モモ』はもちろん架空の物語なんだけど、灰色の男たちはぼくたちのまわりにうようよいるような気がする。ぼくたちは「将来のため」とひたすら今を犠牲にしている。いい学校、いい大学、いい企業・・・今を犠牲にしてひたすら将来のために生きている。それは大事なことだ。でも、それによってぼくたちは今を失っている。これでは永遠に今はやってこない。
今友達と遊びたいのに塾や習い事に行かなければならない。今大学でしっかり勉強したいのに就職活動をしなければならない。今家で家族とゆっくりしたいのに仕事に行かなければならない。
将来はこうしてひたすら今を搾取しにくる。灰色の男たちは、ぼくたちの「今」を奪いにくる。ぼくたちは子どものころはあくせくと勉強させられ、大人になればあくせく働かせられる。
将来のために今が犠牲になっている。これがぼくたちが忙しい理由だ。