訳の分からない校則は何のために存在するのか

 2017年に大阪の女子高生が大阪府相手に訴訟を起こした。

 彼女は生まれつき頭髪が茶色いのだが、学校側から「黒染めしろ」と強要され、精神的苦痛を受け不登校になってしまったのだ。茶髪を理由に文化祭や修学旅行に参加させてもらえなかったり、教諭からの罵倒によって過呼吸に陥り救急車で運ばれたこともあったという。

 

 僕が通っていた学校はそんなにがみがみと校則指導をしなかったのだけど、メディアから流れてくる校則の話を見たり聴いたりしていると、「この意味不明な校則は一体何のために存在しているのだろう」と思ってしまう。

 

 たとえば下着の色。なぜに下着の色を指定する必要があるのか?

 あと、この前ラジオを聴いていたら、中学生の女の子の「うちの学校はなぜかマフラーの巻き方が校則で決められています」という投稿があって、頭の上にはてながたくさん並んだ。

 

 自転車に乗るときはヘルメットを着用するというような校則は意味が分かる。頭を守らなければならないから。

 でも、下着の色やマフラーの巻き方みたいな校則はまったく訳が分からない。

 こうした意味不明の校則はいったい何のために存在しているのだろうか?

 

 おそらく、意味などない。意味がないことに意味がある。つまり、理不尽な状況に生徒を置くためだけに、こうした訳の分からない、くだらない校則が存在しているのだ。教師側(権力をもっている側)は、生徒(立場の弱い側)をこうした意味のない校則に従わせることによって、有無を言わせず自らの言うことをきかせるようにしたいと考えている。

生徒は普通疑問に思う。「この校則はなんのためにあるのか?」

教師もこんな校則に意味がないことは分かっている。だから理由なんて答えられない。でも、無意識には分かっている。無意味な校則に従わせることに意味があることを。

 

 こうした訳の分からない校則に対して教師に問い尋ねたりあるいは反抗したりする生徒はほとんどいない。たいていは「意味わかんねぇ」とか言いつつも従う。こうした理不尽さに違和感を抱きつつもそれを飲み込んで大人になっていく。

 で、サラリーマンや公務員になって、サービス残業や上司の理不尽な要求に疑問を抱きつつもやっぱり従ってしまうのだ。おかしいことをおかしいと思いつつもしかたないと思って従ってしまう理由の一つは、学校教育にある。おかしいと思いつつも仕方ないとあきらめる訓練を学校で何年もさせられてきているのだから。

 

 しかしおそろしいのは、生徒をその理不尽さに追い込んでいる教師もまた、さらに過激な理不尽な状況に置かれていることだ。教師は加害者であると同時に被害者でもある。教師のブラック労働は企業以上だ。

 

 うーん、なんでこんなことになってしまったのだろう?