ダーチャ的な暮らし

 僕は今、芸術家の家で暮らしている。といっても、弟子でもなんでもないのだが。平日はふつうに会社に仕事へ行き、休日になると芸術家の所有している山へ行く。その山では、芸術家の仕事の手伝いをしたり、山に登ったりしている。で、僕はその山にある簡素な小屋に泊まる。とても楽しい。

 芸術家の家は都会にあって欲しいものがすぐに手に入る環境にある。とても便利だ。一方、山はインターネットに接続できないほど田舎で不便な環境にある。平日は便利な環境に、休日は不便な環境にいる。

 今は、山から帰ってきてこうしてブログを書いている。ネットにつながるのですぐに欲しい情報が手に入る。山ではネットができないのでラジオで情報を入手するのだが、ラジオでは欲しい情報が入手できるわけではないのでとても不便だ。

 では、なぜ不便な山へ行くのか。すっきりするからだ。この感覚は経験してみないと分からないかもしれない。平日は仕事も生活も都会で過ごすのだけど、いつのまにか心に疲れがたまっている。べつに仕事はハードではないし、人間関係もひどいわけではない。そうではなくて、都会の放つ息苦しさに疲弊してしまうのだ。あまりに情報が多くて疲れてしまう。情報が多すぎて逆に退屈してしまうということが往々にある。そのひずみが自分の気づかないうちに少しずつたまっていく。

 山に行くと周りに何もないため夜はとても静かになる。インターネットはできないし、テレビもない。僕は電話しかできないガラケーしか持っていないので情報がほとんど入ってこなくなる。それはとても不便なんだけど、情報をシャットアウトしてしまうとゆとりが生まれてくる。昨日は、明々と燃える薪ストーブに温まりながら何時間もボ~としていた。のしかかってくる情報によって重くなった頭が軽くなっていくのを感じた。楽になった。とても有意義な時間だった。

 ロシア人は、ダーチャと呼ばれる庭付きの小屋を持っている。戦争後の食糧難のとき、国の「土地を与えるから耕して自活しなさい」という国民への無茶ぶりがダーチャの始まりだという。ロシア人は自力で小屋を建てインフラを整備し、別荘としてダーチャを活用している。

 ロシア人の多くは平日に都会で仕事をし、週末に郊外にあるダーチャで過ごしている。今の僕と同じライフスタイルだ。ダーチャは郊外にあるので自然豊かだろうし、家庭菜園で多くの野菜を育てている。たぶんロシア人も僕と同じように、週末ダーチャで都会での疲れを清算しているのだと思う。

 僕は、日本人も同じようにダーチャを持ったらいいのではないかと思う。農家は高齢化して農業を引退してしまい耕作放棄地がたくさんある。農地法を改正して、放棄地をダーチャにしてしまう。それで、たくさんの小さな農地を分配する。べつに就農する必要はない。自分たちが食べる分だけの家庭菜園でいい。手間はそれほどかからない。自給率はアップする。

 これは現在の農業が進んでいる道と正反対のものだ。今の農業は、大規模な農地を一括して少数の人が管理してやっている。これはグローバル化に対抗してのものだが、国土の狭い日本でアメリカや中国、ロシアなんかに対抗したって勝てるわけがないのだ。いくら生産性をあげたって限界がある。それなら、思い切って逆の道をたどればいい。

 就農まではいかなくとも、家庭菜園をしたい人たちはけっこういると思う。自分たちでつくって食べるのだからべつに見栄えは気にしなくていい。化学肥料や農薬を気にする人はそれを使わない安全な野菜が手に入る。何より土いじりは楽しい。家一軒分の畑なんてそう広いものでもないから大した手間にはならない。

 これは結局生活の維持で話したことと一緒なのだ。就農して利益を得ようと思ったら大変な苦労をしなければならないけれど、家庭菜園で自分たちの野菜をつくれば支出を抑えられるし楽だ。これが本当の百姓だ。

 日本の農業はTPPというグローバル化の波にさらされ激烈な競争を強いられようとしている。そのなかでも生き残れればいいのだけど、たぶん日本の農業は大打撃を食らうだろう。ダーチャはグローバル化とは無縁だ。競争なんてない。自分たちのもとから農業は離れはしない。

この考え方にどれだけの人が同意してくれるだろう?