何も思わなかったし、そのことについても何も思わなかった

昨日、長年愛用してきたロードバイクを手放した。学生時代に購入し、日本の大部分をその自転車で走って旅した。日常の足としてもよく使っていた。たぶん地球一周分は乗ってきたんじゃないかと思う。客観的に考えてだいぶ思い入れがある自転車。

田舎に戻ってきて、車で移動することがほとんどになり、自転車もたまにしか乗らなくなってしまった。月に一、二回近所のスーパーとか図書館に行くときぐらいしか乗らなくなってしまった。コロナの影響とかもあって、自転車で長旅したいなという気力も削がれてしまった。

ネットで欲しい人を募集したら、思いの外たくさん欲しい人が見つかって、すぐに次の持ち主が決まった。そして昨日譲った。

昼過ぎにスーパーの駐車場で渡すことになり、最後だしちょっと乗ろうかなと思ったんだが、家で大リーグを観ていたら時間がなくなってしまい、結局乗ることなく譲った。渡す瞬間、なにか感慨深いものが湧くだろうかと思ったが、特に何も思わなかった。そして今、それを振り返って、何も思わなかった自分に対しても、特に何も思わない。薄情になったのかなー。

 

『家を せおって 歩いた』という奇特な本を読んでいる。

だいぶ前に新聞で自作の家をせおって(というか被っていると表現したほうが適切)歩いている人の記事を読んだことがあるが、もしかしたらその人の本かもしれない。

面白い。この人は、自分の頭でちゃんと考えて自分の言葉を持っていると感じられる。

旅をするのではなく、「移動生活を常態化する」ために家をせおって歩いたらしい。

とはいえ、自分も上で述べた自転車で旅したが、そのときに感じたことや考えたことと共通することもけっこうあり、「あー分かるわー」と思う箇所もけっこうある。

 

にしても、この人は相当コミュニケーション能力が高いのだと思わせられる。奇特なことをしているが、とっつきにくい人ではないのだ。行く先々で、沢山の人の支援を受けている。公園などに勝手に家を置いて寝るわけにはいかないので、どこかの敷地に許可をもらって置かせてもらっているのだが、普通突然訪ねてきた人に家を一晩置かせて欲しいと頼まれても「は?」てなるわけで。それを多くの人が許可できてしまうのは、ひとえにこの著者がおかしなことをしているが怪しい人ではないと雰囲気なり言葉なりで説得できるからだろうな。で、著者はたくさんの人と話したり、料理をふるまわれたり、いろんなところに連れていってもらっている。自分も旅しているときは、他の旅人といっしょに野宿したり、地元の人に食べ物や飲みものをもらったりしたが、この著者は自分の比ではない。もともと豊富な人間関係を持っていて、ツイッターなども駆使して、行く先々ですばらしい出会いをしている。

こんなふうにすべてがいい人間関係だったらと思いたいところだが、やっぱり自分はひねくれているのか、薄情なのか、ダメなんだよなー。そこに嘘を感じてしまうというのか、そういう輪があると離れたくなる。うまく言語化できないけれど。

中島義道というひねくれた哲学者がいて、どっかの本で、バンクーバーオリンピックの開会式のことを綴っている。グルジア少数民族の選手が練習中に死亡したということで、グルジア選手団が入場したとき、会場ではみなが一斉に立ち上がり、割れんばかりの拍手が起こった。どこをとっても間違いのないのこの光景に、中島は不快感を覚えたという。このすべてがあまりによすぎることに「居心地の悪さ」を感じたのだ。この感覚、すごくよく分かる。

高校時代、教師も生徒も保護者も一致団結して、国立大学に合格するんだと集会のときに何度も何度も聞かされた。当時は、それに毒されてて、だからこそ自分も国立大に合格できたが、今振り返れば、あの気持ち悪さによく耐えられたなと思う。でも、あの「洗脳」がなければ、おそらく自分は大学に合格できていなかっただろうから、複雑な気持ちである。

この前どっかの企業が、月に探査機か何かを離陸させようとしたが、高度の調整にミスがあって落下し連絡が途絶えたとニュースでやっていた。会見で社長が涙してて、今回失敗したが、次への布石となった的なことを言っていた。今後、NASAに情報提供したりできるようにし、月へと経済圏を拡大していくみたいなことを言っていた。難しい課題だが、大きな夢に向かって進んでいきたいとも。

それを見ていて、やっぱり違和感を覚えた。まず、地球だけでなく、月や宇宙もゴミだらけにするのかと思った。そういうことについて宇宙産業に関わる人間は何も思わないのだろうか。月だったか何かの惑星だったか、土地を取得できるようになったらしいが、どうして勝手に人間はそれを自分の土地だというのか、傲慢にも程がある。そして、この夢のために、全員で困難に立ち向かっていくんだみたいな、あのマインドが不気味で気持ち悪い。

 

最近、少子化の話とかそういった社会問題の報道を聞いていると、「もういいじゃん」と強く思う。もうさ、人間はこれまでいい思いをしてきたんだから、絶滅しちゃえばいいじゃんと思う。少子化とか、そういう社会の問題って結局は人間だけの問題であって、他の生物や植物には関係ない話なのだ。社会問題は結局、社会という枠組みの中の話であって、それよりも大きい地球とか宇宙の枠組みでとらえると、どうでもいい。そういった大きな枠組みでとらえたとき、人間が絶滅することであらゆる問題は解決するのだ。解決するというより、問題そのものがなくなる。

 

やっぱり自分は薄情なのかなー。