元石川県知事、ムスリム一家、バンライファ―を通してムラ社会を描く『裸のムラ』を観てきた 感想

姫路に行く用事があって、そのついでに大阪の十三にある第七芸術劇場まで足をのばして『裸のムラ』を観てきた。


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五百旗頭監督の前作『はりぼて』がすごくいい映画で、『裸のムラ』もぜひ観たいと思い行ってきた。『裸のムラ』を放映している最寄りの映画館が広島か大阪だったので、大阪まで行った。

 

感想としては、うーん、ちょっと意地悪すぎじゃない?と思った次第。

元石川県知事の谷本さんとその周囲、イスラム教に入信した松井さんとインドネシア人の妻、その子どもたち、バンで旅する二つの家族、この三つをとおして日本の「ムラ」の狭苦しさを描こうとする五百旗頭監督。監督は日本独特の習慣である「ムラ」の空気を批判したくてこのドキュメンタリーを撮った。個人的には、ちょっと無理やりじゃないかなぁと思った。知事とその周囲の関係性を描くパートでは、「あぁこれはムラだな、観てて息苦しいな」と思ったが、他二つに関しては何だか、仲睦まじく暮らす家族に監督が割り込んで意地悪しているようにしか見えなかった。それで少し興ざめした。

 

石川県知事たちのムラは、観てて息苦しかった。窒息しそうになるくらいの茶番。『はりぼて』は富山市議のクソみたいなムラを描いていたが、石川も石川でクソみたいなムラ社会だと思った。一番秀逸なシーンは、谷本知事が知事室に女子高生を迎えて、抹茶のエクレアを食べていたところ。エクレアのクリームが知事の手についてしまって、知事が「こんなときはおてふきを持ってくるんだよ」と言うのだが、女子高生はポカーンとしている。このシーンが映画のハイライトだと思う。シーンは変わって議会の直前。女性職員が議場に茶瓶を持って入って知事の机に置く。女性職員は、茶瓶に手が触れないにして、慎重にタオルで茶瓶の結露をふき取っていく。そこまでやる必要があるのかと驚きあきれる。というか、飲み物くらい自分で持って来いや、と思う。五百旗頭監督の、こういうシーンを撮る能力はすごいなと思う。見事な対比。女子高生たちはあの感性のまま大人になってほしい。

とはいえ、谷本知事はおそらく、こんなことされてるとは知らなかったはずで、映画を観ていると、谷本知事は、昭和の男みたいな女性に威張り散らすような人間ではない。まぁこれがムラなんだろうけど。忖度なのだ。勝手に、周囲がこういうことをやってしまう社会。すべて無意識で行われる社会。安倍の、桜を見る会とか森友問題も同じだったんだろう。安倍はもしかしたら本当に知らなかったのかもしれない、周囲が過剰に忖度してああいうことをしたのだ。しかしだからこそ、ムラの問題の根深さが分かる。

 

ムスリム一家については、正直ムラと関係あるのかなぁと思った。モスクを建てる際の周囲の住民との摩擦、イスラム教信者の日本人男性、日本に生きるインドネシア人の妻、こういう特殊な属性と閉鎖的な田舎のムラは当然相性が悪いが、それ以上にこの家族と五百旗頭監督の相性のほうが悪かったと思う。次女は、イスラム人女性がかぶるスカーフをつけて学校に通う。彼女には彼女なりの考えがあってつけている。学校では何やらいろいろあったらしい。思春期の彼女はカメラに映りたくないようで、カメラを避けている。しかし五百旗頭監督は、なぜ彼女がスカーフをつけるのか執拗に聞き出そうとする。彼女は「いろいろあるんだよ」と答えるが、監督は納得しない。結局ちゃんとした答えは聞き出せなかった。監督は意地悪だなと思った。そもそもカメラが家に入ってくることすら嫌なのに、撮られたくないのに無理に撮られ、監督は心の奥底に土足で上がり込んでくる。ちょっとやりすぎじゃないのと観ていて不快になった。

 

バンライファ―も、ムラ社会と関係あるのかなと思った。

撮影していたころは、コロナの影響で県外移動は控えろという空気がある時期で、バンライファ―は罪悪感を抱えながら移動生活をしていた。

会社をやめ無職になった40代後半の男性と妻、子、犬のバンライフ。監督は、無職になって先行きも見えないのにバンライフを続ける意味があるのかと問う。えーけっこう意地悪なこと質問するなぁ。金が尽きるまで旅を続けてみようと思うんですよと男性は言う。それに対して妻が「生活はどうするの!」と怒るならまだしも、妻の方ものほほんとしている。コロナの影響もあって旅はしづらい感じだが、家族はわりとバンライフを楽しんでいる。お父さんと子どもの仲睦まじい様子も映っている。傍から見れば、まぁいいんじゃないと思った次第だが、監督は批判したいらしい。

もう一つのバンラファ―、男性がフリーランスで忙しく働いている。忙しいが家族としっかり向き合い、日々を楽しく生きている。男性は子どもにパソコンで日記を毎日書くことを強制する。監督はここを批判したいらしい。自分自身はバンライフという自由な生活を送っているのに、子どもはその自由に束縛されているのではないかと。うーん、なんだか無理やり批判しているようにしか見えない。子どもはたしかに日記を毎日書くことを強制されてはいるが、生活のすべてを父親に束縛されているわけではない。こちらの家族もまたみんな仲睦まじく生活している。監督はここに割り込んで父と娘の仲を引き裂こうと意地悪しているようにしか見えない。べつに、この家族にムラ社会特有の嫌らしさは感じなかった。

バンライファ―たちは、監督の演出がすぎるんじゃないかと批判する。これはドキュメンタリーでしょ? 監督は反論する。それは認識の誤りです、監督の主観が入るのはどうしようもないことで、演出は問題ないです。やらせは当然いけませんけどね。演出とやらせはどう違うんですか?やらせというのは、監督がこういうことをやってくださいと指示してやらせることです。私はそういうことはしません。

まぁそのとおりなんだけど、編集のしかたがあまりにも作為的なんだよなと感じる。それはもちろんやらせではなくて演出なわけだが、批判したくて、撮った映像を強引に編集するから見ているこっちは興ざめした。だから自分はバンライファ―の言っていることは正しいと思う。演出がすぎる。もちろん、観客一人一人感じ方は違うから、称賛する人もいるだろうけど。『はりぼて』のほうは演出が見事だったから面白いと感じたわけで、でも『裸のムラ』はちょっとやりすぎだなと思った。まぁ『裸のムラ』の感想としてはこんなところかなぁ。観て損はない映画だった。期待ほどではなかったが。

 

今回、十三の第7芸術劇場という小シアターに行ってきたのだが、小シアターは普通の映画館でやってるような映画ではなく、小さめ?の映画ばかりをやっている。これは自分の感性の話だが、こういうミニシアターでやる映画ってめちゃくちゃ観たいと思わせる映画ばかりだった。予告でやっていた映画も魅力的なものばかりだった。家族で牛を育てて解体して販売する肉屋とか、バス停で殺された女性の路上ホームレスの映画、教育と愛国を問題にする映画、その他魅力的で観たいと思わせる映画ばかりだった。

こういう映画が日本にはたくさんあることをこれまで知らなかった。ミニシアターに行ったのも今回が初めてで、ミニシアターでやるような映画は巨大なマスメディアで宣伝されることはないから存在を知らなかった。いやはや、もっと早くに出会いたかった。邦画は本当につまらんから日本の映画産業はダメだなと思っていた。マスメディアで宣伝されるような邦画はまったく興味がないが、ミニシアターでやる映画は面白い。なんだ、この矛盾は。話題にされる映画ほど興味がわかないしつまらないという矛盾。なんにせよ、ミニシアターにこれからもっと通いたいなと思ったし、こういう映画が作れる環境がいつまでも続いてほしい。