諦めると悟るがつながっていることを今日実感した

知人の母方の実家が売れ、ここ一ヶ月仕事で家の片づけをしていた。自分と知人の母、その姉の3人でずっと片づけをしていた。家の敷地には大量のものが置かれていたが、普通片づけに一ヶ月かかるわけがない。しかし、なんと一ヶ月もかかってしまった。知人の母とその姉はあまりにも片づけができない人で、自分が手持無沙汰になることがたびたびあった。「まず、いるものといらないものを分けてください。いらないものはこっちで勝手に処理していきますから」この言葉を何度言ったことか。しかし、一向に分けてくれず、何が必要で何が必要でないものなのかこちらは分からない、分からないから勝手に処分できない。ならばと「この封の空いた肥料や腐葉土の袋はどうしますか、いらないなら裏の畑にでもまいてしまっていいですか?」と聞いたが、「うーん近所の人が欲しがるかもしれないからきいてみる。そこに置いといて」。その袋はそのまま1週間放置され、近所の人に聞いてすらいなかった。他には、自分が「これはいるんですか?」ときいたら「うーん、私は分からないから、姉にきいてみる」といい、姉は姉で「あんたが決めーや!」といいけんかになる。はぁぁああああ…万事が万事、こういう調子なので、明け渡し日が近づくにつれだんだんイライラしていった。明け渡し日の5日前になっても、台所や居間、仏間、二階の床や机の上にはモノが散乱していた。平日は関東にいる知人が、せっかく土日に片づけを手伝いに帰ってきてもほとんど何もできず関東へ戻っていった。受け渡し日の4日前と3日前の2日間、別の用事で自分が手伝えなかった、その後手伝いに行ったが状況は大して変わっていなかった。受け渡し日の2日前になってもモノは散乱していた。その瞬間、「これは間に合わんな」と諦めた。そして諦めた瞬間、イライラが消えた。とても穏やかな気分になった。そうか、なるほどこれが悟るかと理解できた瞬間だった。世界そのものは自分にコントロールできるものではない、しかし人間は傲慢だからコントロールしようとする、だけどうまくいかないからイライラし悩む。諦めるというのは、コントロールしようとする愚かで傲慢な自己を諦めることなのだ。自分がどうこうしたところで世界はコントロールできない、これを認識し諦めることで心が穏やかになる、これが悟るなのだ、おそらく。

受け渡し日の当日の朝になってもまだモノは散乱していたが、2人は急いで分別し、自分はゴミと必要なものをトラックに放り込んでいった。乗るはずだった電車の時間は過ぎてしまったようだが、明け渡し時刻の13時の数分前に家を後にすることができた。