学校って何?と聞かれたら、あなたはどう答えますか。
学校は国家がつくったものだ。国家は国民によって支えられている。学校が何のために存在しているかいえば、国家を支える人材を育成するためだ。
学校は子どもたちを教育する場所だから、学校って何と聞かれたら将来の国家を支える人材を育成するところ、という答えになる。
では、あなたはこういう学校についてどう思う?
俳優の伊勢谷さんが、既存の学校をひっくり返すということで「Loohcs(ルークス)」という高校をつくった。この名前には、「school(学校)」をひっくり返すという意味がこめられている。
この学校には、今問題になっている校則もなければ、制服もない。運営は生徒にまかせられているそう。主体は生徒なのだ。
問題児や変わった子を歓迎していて、型にはまらない人間になってほしいと伊勢谷さんは願っている。
こういう取り組みって実は東京大学も行っている。
これは、既存の学校教育になじめないユニークな子たちを発掘するプロジェクトだ。
このプロジェクトを主宰する教授が以前ラジオに出演していて、第一期のプロジェクトに参加している子について話していた。その子は、読字障害があって学校に通っていたころ勉強にまったくついていけず苦労したという。でも、個展を開くほどユニークな絵を描く才能がある子でもある。こういった子がプロジェクトに参加しているという。
今、学校が二極化している。
既存の学校は、校則の問題を見ても分かるように、生徒をがんじがらめにしてものすごい圧力をかけている。
一方で、伊勢谷さんや東大の取り組みはそれとは正反対で、自由にさせて子どもたちの個性をのばそうのばそうとしている。
伊勢谷さんや東大の教授は、今の学校教育について危惧している。
学校が生徒を画一化して個性をつぶしてしまい、どんどん変わりゆく社会に対応できないというのだ。これでは社会の未来も危うい。
伊勢谷さんの記事はYahooニュースで紹介されていたもので、コメント欄は伊勢谷さんの取り組みを応援する好意的なものばかりだった。
その一方、東大の教授が出演していたラジオ番組のアナウンサーたちは、このようなプロジェクトで育った子どもたちは、将来社会に出たとき適応できるのか、飯を食っていけるのかと心配していた。
東大の教授は、子どもたちが社会に適応するのではなく、その子たちを包み込めるよう社会のほうが子どもたちに適応していかなければならないと話していた。
僕は、伊勢谷さんや東大の教授の言うことはもっともだと思う一方、アナウンサーの心配も理解できる。
僕としては、さまざまな教育を行う学校があるほうが、社会が健全なものになると考えている。既存の学校に批判的な人は多いけど、なくすべきではない。校則や教師の労働問題については改めていく必要があるけれど。そして、伊勢谷さんや東大の教授の取り組みは支援されるべきだし、もっといろいろな教育を行う学校があったほうがいいと考えている。
あなたは伊勢谷さんや東大の教授の取り組みについてどう思いますか?学校はどうあるべきだと考えますか?
先に紹介した東大のプロジェクトに参加している子については、本も出版されています。興味があればどうぞ。