二つの視点からライフを眺めてみる

 

 最近、二つの視点を持って自分のライフを眺めていることに気づいた。

 

 一つは個人レベルの視点、もう一つは宇宙レベルの視点。

 

 個人レベルの視点というのはたぶんほとんどすべての人が持っていて、個人的観点からライフを眺めてみますと、学歴とか就職先とか、結婚、出産、老い、死などなど、こういうことは自分にとって大きな出来事で自らの人生においてとても重要な意味を持っている。

 だからこそ、どこの大学や会社に入ったか、どれほどの年収があるか、どんな人と結婚したかなどは、他者に対してマウントをとり自己の承認欲求を満たすための重要な要素となっておる。

 

 一方の宇宙レベルの視点。

 極大の宇宙という巨大すぎる視点から自分のライフを眺めてみたとき、自分という存在自体も含めて、その存在に付随するあらゆる要素、学歴、収入、見た目など…はそこらへんに浮遊する塵みたいなもんだ。

 宇宙という視点から眺めれば、一人の人間が生きようが、事故って死のうが非常にささいなことで本当にどうでもいい。いい意味でも悪い意味でもどうでもいい。

 われわれ人間が、砂糖に向かって軍隊するありんこ一匹一匹の生きざまに思いをはせることが人生に一秒たりともないように、宇宙にとっては人間一匹の生死なんぞどうでもよいことなのだ。

 

 

 こういう二つの相反する視点でもって自分のライフを眺めていると、忙しい。

 この前コロナに対する国産ワクチンの治験に参加したのだが、治験であるゆえに「もしかしたら死ぬかもしれない」と非常にナーバスな気持ちになっておった。しかし宇宙的観点から観てみると、治験で死のうがどうでもいいではないか。個人的観点からいえば死ぬことエラいことだが、宇宙的観点からみれば死のうがなにしようがどうでもよいことなのだ…

 

 

 おそらく、個人的観点から宇宙的観点に移行してライフを送れるようになることをある意味での「悟り」と形容するのだろう。

 宇宙的観点からは人間一匹のライフなど取るに足らないので、学歴やら収入なんかは本当にどうでもよくなる。そんなものはゴミくずに等しいからだ。そうすると、他者に対してマウントをとるという無駄な行為をしなくなるし、クソみたいな嫉妬を抱くこともなくなる。ストレスフリーなライフを送れるようになる。

 ただし、他者のほうは相変わらずマウントをとってくるので煩わしく感じるようになる。これが非常にめんどくさい。そうすると、人付き合いが面倒になっていく。場合によっては孤独になる。

 

 虚無感に苛まれることも、宇宙的観点を持っていることのデメリットだ。

 個人の存在は塵に等しいので、あらゆることが無意味に感じられる。学歴や収入その他もろもろは、国家がでっちあげた物語にすぎないわけで、そんなものは無意味なのだ。

 こういった考えは諸刃の剣で、どうでもいいストレスや嫉妬に煩わされることがなくなる一方で、自己の存在そのものへの虚無感に苛まれることになる。

 

 国家や社会がでっちあげた物語を信じて、学歴や収入、ルックス、過去の武勇伝で他者とプロレスごっこしながら一生を終えられるほうが、或る意味では幸せなのかもしれない。