「自信がある」と「自分を信じる」の違い

 学生時代、日本を自転車で放浪していると、宮城の松島で一人の女の子と出会った。

 彼女も旅をしていて、歩いて東北地方を一周している最中とのことだった。歩いて東北を旅するとかどんだけタフなんやと思ったが、彼女は歩いて旅をするのが好きらしくいろいろなところを歩いてまわっていると話していた。

 

 ある日の夕方に松島の公園で出会ったのだけど、なんだかんだで意気投合していっしょにご飯をつくって、その後松島のキレイな景色を眺めながら(遠くで鮮やかな雷が轟いていたのを思い出す)何時間も話していた。

 

 僕も彼女も旅をしている最中だったので、旅の話をしたり、あるいは人生観について話したりしていた。とても楽しかった。

 

 これはもう何年も前の話なんだけど、今さら思い出してこうやって書いているのは、彼女の話していたことで心の片隅にずっと残っていたものが今ようやく、なんとなくだけど分かってきたような気がするからだ。

 

 彼女は「私には自信はないのだけど、自分のことは信じている」と話した。

 僕は「それはどう違うの?」と尋ねた。

 

 彼女は「うまく説明できない」と言ったような気がする。

 あるいは、どう違うのかちゃんと説明してくれたかもしれない。

 だけど当時の僕にはその違いが明確に分からなかった。

 だからこそ、心の片隅に引っかかって、時折「どう違うのだろう」と考えながら今に至っている。

 

 この違いについて考えたり考えなかったりしながら、何年もたって今ようやく、なんとなくだけど分かってきた。うまく説明できないかもしれないけど、言葉にしてみる。

 

 「自信がある」というのは、要素に関して言えることだと思う。

 

 ルックスに自信があるとか、英語力に自信があるとか、自分に付随する何らかの要素あるいは属性、能力といった、そういうものに対する自信。

 

 自信があるとはそういう、自分という存在を細切れにしていって見出される何らかの要素に対して、評価できる場合や、誇れるときに自信があると表現されるのではないか。

 

 

 一方、「自分を信じる」というのは、自分という存在に対する全幅の信頼を表現する時に使うような感じがある。

 

 要素ではなく、全体。自分という存在まるごとにたいする信頼。

 

 自分にある要素とか能力を全部寄せ集めたら、理論上は全体になるんだろうけど、そういう要素を全部かき集めても自分全体にはならないように思う。

 

 ルックスやら学歴やら、経済力やら、すべての要素や能力に自信がある人でも、その人が自分を信じているかといったら必ずしもそうではないと思う。

 

 反対に、自分には誇るべきところがなくて自信がなくても、自分を信じることができる人はいる。

 だから彼女は、「自信はないけど、自分のことを信じている」と話したのではないかな。あくまで推測だけど。

 

 自信があることと、自分を信じることは、別次元の問題だ。

 だからこそ、自信があっても自分を信じられない人はたぶんいるだろうし(会ったことがないから分からないけど)、自信がなくても自分を信じられる人はいる。

 

 最近になって「自信がある」と「自分を信じる」の違いが自分なりに分かり始めてきたのは、自分の置かれている環境と自分自身に対して考えることが増えてきたからなのかもしれない。

 

 僕は今ニートだ。

 まぁ副業をぽつぽつして少ない収入はあるけど、とても生活に足るほどの金額ではない。ついでに奨学金をあと90万円も返済しなければならない。

 

 まぁでもどうにかなるやろと思っている。

 客観的に考えれば「そんなわけないやろ」となるんだろうけど。

 これは僕が鈍感でアホだからなのだろうか。うーん、それは分からない。

 

 どうにかなる根拠なんて何一つないのだが、それでもどうにかなると思っている。

 

 それは、自分を信じているからだと思う。

 僕はルックスが優れているわけでもないし、ニートだから経済力もない。

 学歴はあるけど、英語が話せるわけでもないし、お金になる技術もない。

 

 僕は基本的に自分に自信がない。

 人に対して「これだけは誰にも負けない」と誇れることが何一つとしてない。

 「もっと自分に自信を持ちなさい」と言われることがたまにあるし、「もう少し自分に自信を持てたらなぁ」と思うこともある。

 だけどやっぱり自信を持てない。

 

 それでも、自分のことを信じている。

 

 今までは大学とか会社といった組織に属して守られていたから気づかなかったけど、そこから離れて自分が丸裸になると、自分というものがよく分かるようになってきた。

 

 組織から離れて自分の足だけで立ってみると、意外なことにそれほど不安を感じなかった。

 

 何がどう影響して自分のことを信じるようになったかはよく分からない。

 幼いころから自分の心の声に従って今まで生きてきたのが理由かもしれない。

 親や教師などの言うことに何も考えず従ってきた部分はあるけど、大事なことは自分の心の声を聴いて判断した。

 それで何とかなっているのだから、自分を信じられるのかもしれない。

 

 心の声とか書くとスピリチュアルな感じがして好きではないけど、自分の深い底のほうから生れる気持ちを大事にすれば自分を信じることができるのではないかな。

 

 すくなくとも、人生の岐路や大事な地点で、他人ではなく自分の判断で物事を決める習慣があれば、その人は自分を信じられるようになると思う。

 

 

 松島で出会った彼女とは文字どおり一期一会で、連絡先も交換していない。

 この先も出会うことがないかもしれないけど、彼女には感謝している。

 いろいろな気づきを与えてくれたから。ありがとう!