『エクソシスト』って哲学的にも価値ある作品だよね

 この前報道で、俳優のマックス・フォン・シドーが亡くなったことを知った。彼の出演作に『エクソシスト』があって観てみようかと思って借りてきた。

 

エクソシスト ディレクターズカット版 (字幕版)

エクソシスト ディレクターズカット版 (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 たぶん『エクソシスト』は以前観たような気がするんだけど、覚えているのは、女の子がブリッジして階段を降りてくる(「スパイダーウォーク」というらしい)シーンだけ。改めて観てみると、面白かった。また、超常現象に対する人々のとらえ方が興味深かった。

 

  娘リーガンの様子が少しおかしいと感じた母親クリスは、最初神経症の専門医のところにつれていく。医者は、「卑猥な言葉を話すのは思春期の始まりによくあることですよ」というようなことをクリスに話す。

 しばらくリーガンの様子をみるのだが、よくならないのでまた検査。脳の異常を調べるのだが、おかしいところは見当たらない。次に脊髄やら何やらを調べるが異変はない。ここらへんで、リーガンはもう悪魔に身体をのっとられていて、普段のリーガンとはまったく違う言動を見せ始める。

 神経症の専門医はお手上げで、次は精神科の医者が催眠療法をする。リーガンを通じて悪魔が姿を見せる。この時にはもう、リーガンの眠るベッドがドタバタ動いたり、リーガンがスパイダーウォークしたりと超常現象が起きている。

 医者の手に負えないと分かったクリスは、精神医学も研究する若い神父さんに頼むのだが、この人は悪魔祓いを経験したことはなく、そもそも悪魔祓いなんて16世紀の話だと言う。悪魔の存在に懐疑的なこの神父は、とりあえずリーガンと対面するのだが、彼しか知らないようなことをリーガンが話すので驚く。それでも聖水だと言って水道水をかけると悪魔(リーガン)が苦しむので、目の前の少女が悪魔に憑りつかれているのか、それとも多重人格なのか思い悩む。

 神父は教会に相談し、教会は悪魔祓いを行ったことがある隠遁中の神父を呼び、リーガンのもとに向かわせ、悪魔と対決する。

 

 

 僕は途中から、超常現象に対する人々のとらえ方が面白くて、その視点から映画を観ていた。

 リーガンは優しくて素直なとてもいい子で、卑猥な言葉など絶対に吐きそうにない。その彼女がそういう言葉を口にし始めたことで、母親クリスは精神か神経かになにか問題が起こったのだと解釈する。

 これはぼくたちと何ら変わるところがない。自分の子どもが突然おかしくなったら、まず病院につれていく。何らかの病気にかかったのだと思うから。

 でもこれが中世だったらどうか。たぶん多くの人は、病気ではなく、悪魔にやられたんだと解釈するだろう。で、教会に連れていくのだ。僕はその時代に病院というものがあったのか知らないけれど、そのころは科学が発達してないから、人々は医者よりもエクソシストを頼ったと思う。病院より教会のほうが権威があったのだ。

 

 映画では、病院でいくら検査してもリーガンに異常が見つからないので、医者がエクソシストのもとに連れていったらどうかとクリスに提案する。そのときの説明がまた興味深い。医者は、リーガンは多重人格で、自分が悪魔に憑りつかれていると妄想しているという解釈を持っている。で、悪魔祓いの儀式を受けて、その妄想をとり払ってやるのだ。悪魔祓いで祓うのは、悪魔ではなく妄想なのだ。医者はそう解釈している。

 医者は実際に悪魔が憑りついているとは思っていない。科学は悪魔の存在を認めない。だから妄想していると解釈する。ぼくたちだってそうだ。突然おかしくなる人を見ても、悪魔が憑りついたとは思わない。頭がおかしくなったと思うのだ。

 

 さらに、当の神父でさえも、悪魔の存在に懐疑的なのである。

 精神医学を研究する若い神父は悪魔祓いをしたことがなく、もうすでに悪魔に憑りつかれて超常現象を繰り出すリーガンと対面してもなお、悪魔の存在に懐疑的である。教会でも悪魔祓いをする神父がいないので、隠遁中の老神父を引っ張り出してくる。

 ここで分かるのは、現代では悪魔祓いというのはもうほとんど需要がなく、人々は悪魔など存在していないと思っていることだ。だから教会も悪魔祓いをしない。超常現象も全部科学で説明しようとする。

 

 

 『エクソシスト』は人々の認識のありかたについて知ることができる作品だ。

 この世界で起こる現象について現代人がどのように認識しているか、それがよく分かる。

 ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、そのとおりなのである。実際に神や悪魔が存在しているか、それは誰にも分からないし問題ではない。「私たちの中の神が死んだ」のだ。神は玉座から降り、今ではそこに科学が座っている。

 

 ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』にも書いてあるが、中世に人々は「自分は無知だ」と悟った。そこから科学を発展させ、世界で起こる現象についての認識を変容させていった。世界で起こる様々な現象は、神や悪魔によるものではなく、物理や化学の法則によって説明できるのだ。

 それによって人々は、何かおかしな言動を見せる人間は、悪魔に憑りつかれたのではなく病気になったのだ解釈し、教会ではなく病院に連れていくようになった。教会の権威は失墜し、「神は死んだ」わけである。

 狂った人間は悪魔に憑りつかれているだけだから、悪魔祓いをすればもとにもどる。たとえ狂ったままでも、手に負えない悪魔に憑りつかれているのだと考えた。あるいは、神の預言者として奉られた。だから中世まで、人々はそういう人たちとも分け隔てなく接した。

 一方、科学が発展してからは、狂った人間は病気だからおかしいのだと解釈し、病院に隔離した。そういう人たちは「障害者」として、健常者と区別された。ここらへんはミシェル・フーコーが詳しく述べている。

 

 日本でもそれは変わらない。

 昔の日本人は、神が鳴らすから雷だと考えていた。一方、現代日本人は、雲の中の静電気が雷なのだと知っている。

 内山節は、著書『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で、1964年を境に日本人はキツネにだまされなくなったと述べ、その原因を考察している。

 内山はいろいろな要因を述べているが、欧米人が悪魔を信じなくなっていったのと同じように、日本人もキツネを信じなくなっていったのだと思う。日本人の中の神も死んだのだ。

 

 東京オリンピックが呪われていると話題になっている。

 コロナ問題をはじめとして、東京オリンピックにまつわるいろいろな災禍が次々と起こっているからだ。

 このような超常現象は悪魔やキツネのしわざだろうか?

 東京オリンピックが行われた年を境にキツネにだまされなくなった日本人は、この超常現象をどのように解釈するだろう?