ポアンカレ予想とパラレルワールド

 

前回、『数学ガール』から3次元サイコロ面を3次元で見た画像を引用した。

 

f:id:matsudama:20201107161101j:plain

 

matsudama.hatenablog.com

 

 

 量子力学の世界では、パラレルワールドも登場するのだが、それは多世界解釈と呼ばれている。

 自分たちのいるこの世界は宇宙が誕生した138億年前にできて、それと同時にこの世界とはべつの世界が枝分かれした。そこから無数に枝分かれした世界が、同時並行して存在しているというのが多世界解釈だ。

 

 「シュレディンガーの猫」で有名なシュレディンガーがたてたシュレディンガー方程式は、ミクロな物質のふるまいを計算できる。この方程式によって得られる数式を理解しようとすると、パラレルワールドを想定せざるをえない事態になるという。

 

 実験で、一個の電子をスクリーンに向かって発射すると、スクリーンの一か所に痕跡が残る。

 一個の電子は、スクリーンに当たるまでは“波”として広がっている。しかし、それがスクリーンに当たると“粒子”として痕跡が残る。

 

 多世界解釈とはべつに、コペンハーゲン解釈というものがあって、その解釈はスクリーンに当たるまで電子は“波”として存在していて、スクリーンに当たる瞬間に電子は「収縮」して“粒子”になるのだと説明する。しかしシュレディンガー方程式ではこの「収縮」という現象は存在しない。

 

 一方、多世界解釈は、スクリーンに当たる可能性があるすべての場所に電子は衝突するのだと解釈する。空間を電子が突き進んでいて、スクリーンの10か所のどこかに当たる可能性があるとする。すると、衝突した瞬間に10の世界に枝分かれするのだ。現実に存在するのは一か所で、残り九か所は別の世界すなわちパラレルワールドとして存在する。ただし、その世界を私たちは観測できない。

 

 いずれの解釈にも問題がある。

 コペンハーゲン解釈の、それまで波だったものがスクリーンに当たった瞬間波が消え、収縮して粒子になると考えるのは無理がある。波はどこへ行ったのか。

 一方多世界解釈も、べつの世界を観測できない以上、多世界解釈は妥当という判断は保留せざるをえないのである。

 

 コペンハーゲン解釈における「収縮」は対象物を「外」から観測したときに初めておきる。電子が衝突する瞬間を、傍から見ることができるからこそ、収縮したと分かるのだ。しかし、これが宇宙全体の話だと事が違ってくる。

 一般的に、宇宙に外側はないと考えられているので、宇宙の外側から観測することはできないのである。だから量子宇宙とこの解釈は相性が悪い。一方、多世界解釈では収縮という考えはないので破綻が生じない。

 

 

 とまぁ、コペンハーゲン解釈多世界解釈というふたつの説があるわけだが、ポアンカレ予想と関連づけると、この二つの解釈はどちらも間違っていないと思われる。

 

 一番上の3次元サイコロ面を3次元で見るという画像を見て欲しい。

 この立方体の外側のすべての領域すなわち宇宙全体は、じつは立方体の6つのピラミッドの底面に貼り付いた立方体である。立方体の外側はじつは立方体の内側である。

 

 過去記事でも書いたが、この3次元サイコロ面を人間だとする。

 立方体の内側とは何か?それは心である。つまり、宇宙=心である。

 一般的に宇宙に外側はないと考えられているが、この説明は片手落ちで、宇宙に外側はない、そして同時に宇宙に内側もない。なぜなら、宇宙、そして心はクラインの壺であり、内側はすなわち外側であり、外側はすなわち内側だからである。宇宙を観測するということは、心を観測するということである。

 

 哲学者ベルグソンのたしか『物質と記憶 (岩波文庫)』だったと思うが、円錐の図が登場する。

 底面の円は想像のレベルで、頂点が現実すなわち、この生きる世界との接点で、底面から頂点に向かうプロセスで、過去の記憶をもとに現実的な行動が決められるという、そういう説明があったと思う。

 

 これはちょうど、コペンハーゲン解釈と一致する。

 つまり、一個の電子はスクリーンに向かうプロセスで、現実的な一致点が定められるのだ。私たちが何か行動する際、実際に行動する手前には、さまざまな選択肢がある。それは心のなかで想像できる。あれもできる、これもできる。電子でいう波に等しい。今日の昼めしにハンバーグ定食を食べるという選択肢もあれば、カツカレーを食べるという選択肢もある。

 しかし、実際の行動では、その多様な選択肢のなかの一つが選ばれる。これはつまり、選択肢が「収縮」して一つの行動=「粒子」となったということである。ハンバーグ定食とカツカレー、どちらかが選ばれるのだ。

 このように考えると、コペンハーゲン解釈が間違っているとはいいがたい。

 

 ポアンカレ予想は、単連結で局所的に3次元世界が成立する閉多様体は、3次元球面に同相であることを予想したもので、ペレルマンによってこの予想が証明された。

 人間それ自体もおそらく単連結の3次元閉多様体で、心=宇宙は3次元球面、すなわち空間としては4次元である。

 何が言いたいかというと、空間が4次元であるということは多世界解釈も成立するということである。

 2次元のものが3次元の世界には無限に収納できるように、3次元のものは4次元に無限に収納できるはずである。だから、われわれの3次元世界が、他の世界と同時並行で4次元世界に無限に存在していてもいいはずなのである。

 ただし、生物学的には、われわれの世界と他の同時並行している世界を認識することはできない。それは目、あるいは脳が3次元しか認識できないからである。局所的な3次元世界で生きる私たちは、4次元を認識できないようになっている。

 

 心は違う。

 よくよく考えてみれば、私たちは当たり前のように、心で別の世界を生きている。

 「もしあのときこの選択をしていれば今頃このような人生を送っていたかもしれない」とか「今頑張ればあの大学に合格して楽しい学生生活を送っている」とか、そういう現在の現実とは違う世界を私たちは思い浮かべることができる。これが多世界解釈が成立する証明である。そういう世界は現実として存在しているのだ。

 しかし身体自体は、局所的に3次元世界が成立する世界に在るので、その思い浮かべた世界と影響を与えあうことはないし、その世界に移行することはできない。

 

 今回、量子力学の説明をするにあたって、雑誌ニュートンを参考にした。

 量子力学の世界では、コペンハーゲン解釈派と多世界解釈派に分かれているそうだが、ポアンカレ予想と照らし合わせて考えてみると、どちらの解釈も両立すると思う。

ポアンカレ予想も、量子力学も概要しか理解していない素人による判断だが。

 

 それにしても、哲学や心理学、仏教学他さまざまな学問が、心と宇宙の親密な関係について語っていて、おそらくポアンカレ予想、数学の世界でも、心は宇宙と同じではないかと言っているのだ。決してメタファーではなく、心は宇宙であり、宇宙は心なのだ。

 

 この記事が何か新しい発見に結びつくことを願う。