『コインロッカー・ベイビーズ』のコインロッカーは社会システムのことなのだろうか?

 村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を読み終わった。

 

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

 

 

 この作品は、生後間もなくコインロッカーに放置された二人の男の子のお話。コインロッカーで見つけられた二人の赤ちゃん、キクとハシは施設で成長し、長崎に住む夫婦に二人一緒に養子として引き取られる。問題を抱えながらも成長し、高校に入ると二人はそれぞれ別の道へ歩み始めるが・・・。

 

 読んでいると、登場人物は室内でワニを飼ったり、妊娠した妻を刺し殺そうとしたりと、当たり前のようにとんでもないことをしでかすので、小説だなぁと陳腐な感想を持った。

 

 読み終えても、僕はこの小説がどんな意味を持っているのかまだ分からない。

 

 新装版では芥川賞を受賞した金原ひとみさんが解説を書いている。金原さんは、コインロッカーを社会システムと解釈したようだ。

 本来なら両親に愛情をもって育てられるはずだったキクとハシはコインロッカーに放置され、本当の親の愛情を知らずに育った。キクは産みの親を恨みつづけ、ダチュラを使って東京を破壊しようとする。

 キクもハシも、コインロッカーという社会システムへの順応を拒否し、破壊することによってそこから脱出したいと願う。

 解説では、そのような解釈を土台に金原さん自身の社会への息苦しさがつらつらと述べられていた。

 

 解説を読んでみると、あぁなるほどこういう解釈もできるんだなぁと思った。

 読んでいるとき、僕はコインロッカーを社会システムだとは思わなかったから解説に新鮮さを覚えた。

 

 今のところ、僕はこの小説をまるごと留保した状態で心に置いている。何も解釈していない。よく分からない話だったから。

 にしても、この物語は社会を破壊しようとする物語なのだろうか。たしかにキクは自分を捨てた母親を殺し、東京という街を破壊しようとする。ハシも妊娠した妻を刺し殺そうとする。

 だからといってこの物語を単なる破壊の話とみなすのは、どうも腑に落ちない。

 

 村上龍が何を思いながらこの物語を立ち上げたのかは分からないが、力のある物語ほど作者の手を離れ、読者の多様な解釈を許すから、この物語はさまざまな見方ができるはずだ。

 だからコインロッカーは社会システムのメタファーであると同時に、またべつのメタファーでもあるかもしれない。