師匠がアメリカから帰ってきた

 師匠がアメリカから帰ってきた。

 彼は先週から一週間の予定で、アメリカのサンフランシスコに行ってきた。

 四十年来の親友がサンフランシスコに住んでいるのである。

 

 その親友はイギリス人の僧侶と結婚し、アメリカに移住した。

 その親友が住んでいる家に遊びに行っていたのである。

 家は豪邸で、部屋が余っているから月500ドルで貸し出しているらしい。アメリカでも部屋をシェアすることが流行しているとのこと。

 

 うちの師匠は芸術家で、類は友を呼ぶのか、向こうでも何人かの芸術家と知り合いになって帰ってきた。

 作品の写真を見せてもらった。さすがアメリカというべきなのか、作品もスケールがでかい。

 

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 ブルース・ジョンソンという人の作品。

 上のほうはよく分からないけど、下はバス停らしい。

 でかすぎだろ!金沢駅の前にある門を思い出した。

 

 

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 ジャンク品を組み合わせて作品をつくる人もいたそう。

 

 他には、木を彫って仏像をつくる日本人の彫刻家とも仲良くなったらしい。

 その人は、若い時に平和運動アメリカに渡りそのまま居ついてしまったそうだ。

 

 サンフランシスコはヒッピー文化の発祥地だ。

 そういうタイプの人間を許容する土地柄だからなのか、ただの知り合いを居候させてる人もふつうにいるらしい。

 

 師匠はつねづね「私は日本ではなくてアメリカにいるべき人間だったんだ」と言っている。たしかに、僕みたいなニートを居候させているのだからアメリカ的な人なのかもしれない。

 

 師匠は帰ってきて早々に、喫茶店で国際的に活躍するコンサルタントと仲良くなったと言っていた。

 若いころは有名な映画監督とも仲良かったそうだし、多様な人付き合いをする人である。

 

 僕は変なところにまぎれこんだみたいだ。

 

 

サイケデリック/頭脳改革特集

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 美術手帖1988年11月号

 特集はサイケデリック

 

 サイケデリックとは何か

 精神科医のハンフリー・オズモンドによって、幻覚剤の通称「サイキデリクス」という言葉が生まれた。幻覚剤によってもたらされる視覚的、聴覚的な感覚の変容をサイケデリックという。

 幻覚剤の影響によって、さまざまな幾何学パターンが生まれる。そのパターンはフラクタルと呼ばれる自己相似のかたちである。

 サイケデリックは、1960年代半ばのアメリカ西海岸のヒッピー文化とともに隆盛を迎えた。

 

 頭脳改革

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ブレイン・ジム

 上の写真は、ブレイン・ジムという施設で新たな知覚体験を行っている様子を伝えている。

 ヘッドホンからのパルス音とゴーグルのフラッシング・ライトが、音楽とミックスされて脳に伝えられる。

 それによって、まぶたの裏側に多種多様な抽象パターンが示され、体験者はインナービジョンを体験する。

 

 シャーマンや巫女は、薬物と特殊な儀式によってインナービジョンを体験する。その体験が神話を紡ぎ、彼らの世界に秩序を与えている。

 いや、シャーマンや巫女のいる未開社会に限った話ではない。

 この世界に秩序を与えているものは、誰かのインナービジョンが具現化されたものだ。小説や絵画、音楽といった芸術に属する部類のものだけではなく、仮想通貨や人工知能、資本主義といった類のものまで人間の想像が生み出したと思うと、創造的な人間が体験する世界を自分も体験してみたいと思うのは不思議なことではない。

 

 

 しかし、オウム真理教の麻原みたいに、人間のそういった欲につけこんで多くの人を洗脳し巨大な暴力をつくり出そうとするやつもいるから気をつけなければいけない。

 

 

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僕がオウム真理教に興味を持つ理由

 地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の事件が起こったころ、僕は幼かったのでそれがどれだけの事件だったのか記憶にない。

 

 大学生になって物事について考えはじめたころ、何となくオウム真理教について調べ始めたのを覚えている。なぜかは分からないけど、すごく興味をひかれたのだ。僕が大学生になったころにはもう、メディアでほとんどオウム真理教は扱われていなかったので、youtubeで当時の映像を見たり、関連する本を読んでいた。

 

 今日ヤフーニュースで、オウム関連の記事があった。ジャーナリストの江川紹子さんによる記事だった。そこに杉本繫郎受刑者の手記が載っていた。

 

 自己の欲望を満たすためなら手段を選ばない。このような麻原に対して、私は疑念や疑問をいだきながらも、オウムに留まり、犯罪まで実行してしまいました。それはなぜでしょうか。
 1番大きな理由は、私が自分のアタマで考えることを放棄してしまったことだと思います。当時の私は、グルからの命令はどんなことでも無条件で受け入れ、グルに絶対服従することこそが真のグルと弟子の関係であると信じ込んでいた。というより、信じ込まされていたのです。これこそ、究極の、そして最悪の思考放棄なのだと思います。 

 

news.yahoo.co.jp

 

 杉本受刑者は、自分のアタマで考えることを放棄してしまったために犯罪を犯してしまった、と言う。

 

 僕がオウム真理教に興味を持った理由はここだ。

 

 僕はよく考える。

 もしもう少し早く生まれていたら、僕もオウム真理教に入っていたかもしれないと

 

 オウムには高学歴が普通に入会して、しかも幹部として犯罪を犯した。

 これは絶対に偶然ではない。

 

 僕も一応高学歴だから分かる。

 高学歴のほうがむしろ自分のアタマで考えることを放棄している

 

matsudama.hatenablog.com

 

 上の記事に書いたように、システムに順応できる人材が高学歴になっていく。

 システムに順応できる人材とは優等生のことだ。

 優等生は教師や親の言うことに反発しない。テストも高得点だ。

 

 テストは自分のアタマで考える力を試すものではない。

 システムにどれくらい順応できているかをチェックする指標なのだ。

 

 テストについて思いだしてもらえれば分かると思うが、あれは問題に対して答えを書いていく作業だ。

 テストに自分の疑問や考えたことを書いてはならない。設問者の意図を読み取り、設問者の満足する答えを書かなければならない。

 たとえば、「1+1は?」という問題があれば、「2」と答えなければならない。なぜなら、「2」が答えだからだ。

 でも1+1は必ずしも2ではない。デジタルの世界は0と1で構成される二進法だが、その世界では1+1は10だからだ。だけど、テストで「10」なんて書いたらバツになる。それは先生が求める答えではないから。

 

 東大に行った僕の友達が言っていた。

 「設問者の意図を読み取って、あなたの聞きたいことはこういうことでしょ、ちゃんと理解してますよというふうに解答を書けば点をとれるようになる」

 

 テストは、設問者ひいてはシステムの意図に応えられる人材を発見する装置のことなのだ。

 

 よく子どもが「勉強して何の意味があるの?」と訊くがあれは極めて重要な問いだ。

 大人は自分のアタマで考えることを放棄しているから、みんな同じ反応をする。

 

 「おまえの将来のためだ」

 

 勉強という言葉は、中国では「強制」を意味する。

 大人は子どもに勉強を強制する。

 それに対して何の反発もせず素直に勉強している子が優等生だ。

 優等生とは言い換えれば奴隷なのだ

 プラトンの定義によれば、奴隷とは自分の行動を、自分の意志ではなく、他人の意志によって決定する人間のことを言う。

 優等生は、自分の意志ではなく、親や教師の意図をくみ取って行動する。つまり奴隷である。

 

 勉強に対して何の違和感も覚えない。本当は他にやりたいことがあるのに勉強を優先する。こういう子は要注意だ。

 思考停止したバカな大人はこういう子を「素直でいい子ね」と褒める。

 なぜ勉強しなければならないのかという疑問について、自分のアタマで考えたことのある人間はどれほどいるだろう?

 

 杉本受刑者は言う。

そして、最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人に関わったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。その感覚を大切にしてほしいのです。そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみてほしいのです。
 違和感の正体が明確にはならない場合もあるでしょう。そうであったとしても、疑念・疑問を感じたというその事実こそが、とても重要で大切なことだと思います。たとえ明確な答えを導き出せなくとも、違和感や疑念・疑問について自分のアタマで考えることを行っていれば、皆さんが私のような過ちを犯す可能性はなくなるはずです。
 ぜひとも疑念や疑問を感じる、その感受性を大切にして下さい。

 

 残念ながら、勉強がよくできる子ほど違和感に対する感受性が鈍っていく。

 実際僕がそうだったから。

 大学に入学して、すぐに統一教会に引っかかった。

 

 システムに順応できる子ほど、自分の違和感を押さえつけることに慣れている。

 だから多くの高学歴が麻原彰晃の罠に対して違和感を持つことがなかったのだ。

 

 僕は時々本当に怖くなる。

 もし早く生まれてオウムに入っていたら、自分もサリンをばらまいて死刑を宣告されていたかもしれないと。

 

 オウムに入って犯罪を犯したのだから、罰は受けるべきだ。

 それでも、受刑者の多くは加害者であると同時に、被害者でもあったのだと強く思う。

 彼らが思考停止してしまった原因の一つに、教育システムの欠陥もあると僕は思っている。

 彼らは教育システム、ひいては社会の被害者でもある。

 社会は、システムに対して従順な奴隷を求めているのだから。

 

 彼らは社会システムが求めているとおりの人間になった。そして、麻原の甘い言葉に違和感を持つことなく人を殺めた。そして、社会によって死刑宣告された。

 こんなに悲しいことがあるだろうか?

 

 たしか豊田死刑囚だったと思うけど、第二のオウムはまたいつか出てくると言っていた。

 違和感や疑問を感じる感受性をつぶす教育システムが根本的に変わらない限り、第二のオウムは現れると僕も思う。

 

 たぶん多くの人が、オウムに入会した人は自分たちとは違うおかしな人だったと思っている。

 でも僕はそう思わない。何度も書いているように、僕が彼らと同じ立場になった可能性は大いにあると考えているから。だから時々おそろしく感じるのだ。他人事ではない、対岸の火事ではないと。

 

 そしてオウムに限らず、ブラック企業や教育の現場で起こっているさまざまな問題についても同じだ。そこでは、多くの人が自分の感じている違和感を押さえつけている。

 

 違和感を無視せず、なぜ違和を感じるのか自分のアタマで考えること。

 杉本受刑者の言葉は重い。彼と同じになってしまってからでは遅い。

 

学校と工場

 毎年この時期になると、各週刊誌はこぞって、どこの高校から東大や京大といった難関大学に何人の合格者が出たか記事にする。

 僕はついつい、自分の出身高校から難関大学にどれくらい受かったのかとか、出身大学にはどこの高校からたくさん合格者が出ているのか気にして記事に目をとおしてしまう。

 

 でもその一方で、どこの高校からどこの大学に何人合格者が出たかをランキングすることに一体どれほどの意味があるのだろうと思ってしまう。こういうのを見るたびに、いつまでこんな無意味なことをするんだろうと考える。

 これは自分が、学校は工場と同じだと考えているからだろう。このことについて今日は書いてみる。

 

1 学校は工場である

 工場では、ベルトコンベアに流れている部品を労働者が組み立てて製品をつくっていく。流れてくる部品に欠陥があれば、見つけ次第取り除く。製品は最終的に優良とか不良とかランクづけされ出荷される。

 

 学校もちょうど工場と同じように子どもを育てる。

 ぼくたちは6歳になれば小学校に入学し、高校までなら12年、大学までなら16年ベルトコンベアの上を流れ続ける。

 中学から高校にあがる段階で、高校入試によって優秀な子は優秀な学校へ、普通の子は普通の学校へ、不良はそれ以下の学校へ振り分けられる。

 高校から大学に上がる段階で、大学入試によってさらに優秀な子とそれ以外の子が選 別される。

 大学から社会に出る段階でもう一度、就職試験によって優秀な人材とそうでない人材を選別し、そしてぼくたちは社会に出荷される。

 

 社会学者の山田昌弘さんは、このベルトコンベアのことをパイプラインシステムと呼んでいる。パイプラインシステムでは、何年かごとに入試というかたちで選別作業をし、優秀な製品とそうでない不良を「テスト」し選り分けていく。

 やっていることは工場とまったく同じなのだ。

 

 教師は、パイプラインシステムを流れてくる子どもに知識を注入していく。知識がちゃんと注入されテストで良い点数を示した子どもは優秀な子どもということで、「優等生」として「いい学校」へ送られる。逆に、知識が定着していない「不良品」は偏差値の低い学校に行くか、就職することになる。

 子どもたちも無意識のうちに、テストの点数が、自らの品質証明書であることを理解している。テストの点数が高ければ優秀な商品なのだ。

 だからこそ、テストの点数が高い者は優等生として東大や京大といった難関大学に送り込まれるし、そうでない者は落とされる。

 

 社会学者の二クラス・ルーマンによれば、テストは知識の定着を図る道具でもあると同時に、優秀な製品とそれ以外の製品を選別する道具になるという。この選別作業は国家から要請された義務であるルーマンは言う。この理由は後述する。

 

 優等生、不良、テスト、人材。

 教育について語るとき当たり前のように使うこれらの言葉は、工場でも日常的に使う言葉だ。

 不良がどうして不良なのかといえば、彼らがシステムの要求を無視するからである。教師の言うことに従順で、テストの点が高い優秀生は、システムが求める規格に合致しているから優秀である。それに対して、システムの求める規格に合致しない者は不良なのだ。しかし人間として不良なのかいえば決してそんなことはない。

 

 今ではどこでもかしこでも「人材、人材」と言われるが、人材という言葉からしてすでに人間が製品として扱われている証拠ではないか。また、「人的資本」という言葉もそうだ。マルティン・ハイデガーは、テクノロジーは人間さえも自らの発展に用立てると述べるが、まさにそうなっている。

 

 大学は本来学問をする場であるが、大学自らが「人材育成」と謳いはじめているから「就職予備校」と揶揄されるのはしかたがない。大学に批判的機能はもうないのだ。

 

2 資本主義が近代学校をつくった

 イギリスで産業革命が起こり近代資本主義が確立されていったわけだが、それと同時に学校制度も整えられていった。

 近代学校と資本主義は関係が深い。資本主義が近代学校をつくったのだから。

 

 資本主義が確立されることで資本家が台頭し、社会は少数の資本家と多数の労働者に分かれた。そして、資本家が労働者を支配し、搾取するようになった。

 

 どのようにして、国家は資本家と労働者に選り分けるのか?

 そう、学校が選り分けるのだ。

 

 国家は子どもを一定の年齢に達したら、学校に入学させる。あとはパイプラインシステムによって、少数の優等生と多数の不良に選別していくのだ。

 子どもたちはテストを通して、自分の品質がどれくらいなのか把握している。たとえ資本家になってお金持ちになりたい、エリートになりたいと思っても、テストの点が悪くていい学校に入れなかったらあきらめる。テストにはこのようなあきらめさせる機能がある。

 

 何回もの選別試験で合格を言い渡された優秀な人材は資本家に、そうでない者は資本家に搾取される労働者になる。

 実に合理的なシステムだ。

 テストで優秀な成績を収めればいい学校に行けるので、すべての者に機会は与えられている。

 資本主義以前の社会はそうではなかった。生まれながらにして身分が決まっていた。どこの家に生まれたかで一生が決まっていたのだ。

 資本主義は自由で平等な社会をつくった。頑張って優秀な人材になれば上の階級に行けるから。

 

 資本主義は社会の分業化をおしすすめた。

 たとえば江戸時代は百姓がほとんどだった。百姓は、百の生業を持っているから百姓であって、彼らは米もつくれば、家も自分らで建てていた。

 しかし資本主義社会が確立されると百姓は消えた。米を作るのは農家の仕事になり、家を建てるのは大工の仕事になった。

 資本主義社会はそれ以前とは比べものにならないくらいの職業を生みだした。

 

 こうなるとみんなが一つの職業につくと不都合が生じる。

 国民全員がケーキ屋さんになりたいなんて言いだしたら、社会が維持されなくなるからだ。

 

 だから国家は、各職業に定員を設け、そこにうまい具合に分配していかなければならない。

 

 学校はこの分配の仕事も果たしている。

 医者になりたければ医学部に行かなければならないし、教師になりたければ教育学部に行く必要がある。

 誰もが給料が高い医者になりたいと思っても、医学部には定員があるのでその関門をくぐらなければならない。不合格なら医者にはなれない。

 「俺は医学部に落ちたが医者になる。だから勝手に病院を開くぞ」なんて言ったって逮捕されるのがオチである。

 テストは、国家の要請する分配機能をちゃんと果たしている。

 

 以上をふまえて、資本主義国家における学校の役割は、

 

1 国民を1%の資本家と99%の労働者に選別する

2 多様化した職業に人材を適正に分配する

 

という二つがある。

 

3 国家は個人の幸福については考えない

 

 最近、生徒の自殺や不登校、いじめが大きな問題となっている。

 しかし、国家は個人のことについては考えない。

 

 国家が考えるのは何よりも国家の維持であって、個人の幸福なんてどうでもいいのだ。

 大事なのは、学校が上の二つの役割を果たすことであって、どこどこの学校の生徒が自殺しようが不登校になろうがそんなことは知ったこっちゃないと考えている。

 

 だからこそ、学校や教育委員会はそんな問題は隠蔽してしまおう企んでいる。

 大人にとっては、生徒一人が自殺することより、その事実が広まって学校のイメージが悪くなるほうが問題なのだ。

 まったく、ひどい組織である。

 

 国家も学校も組織の維持を優先するので、子ども一人一人が幸せかどうかなんてのは気にもしていない。

 大事なのは、テストで優秀な成績を収めること、いい学校、いい大学に行ってもらうことなのだ。

 

4 必ずしも学校に行く必要はない

 誰もがみんな幸せになりたいと思っている。

 

 しかし国家や学校にとって個人の幸福よりも組織の維持のほうが大事なので、個人の幸福なんてどうでもいいと考えている。

 

 その証拠に、政治家も教師もテストの点数にしか興味がないし、自殺やいじめの問題を隠蔽しようとする。

 

 だから僕は、学校に行きたくないと思っている子や行く必要がないと考えている子は行かなくてもいいと思う。

 

 勉強はどうするのと訊く人がいるなら、子どもは自分が学びたいことなら一生懸命になるものだと答える。

 

 「勉強」と「学習」はべつものだ。

 アリストテレスは「人間は生まれながらに知ることを欲する」と言った。

 勉強はやらされるものだが、学習はすすんでやるものだ。

 学校の勉強を放棄しても、人間はちゃんと自分の学びたいことを学習する。特に子どもの場合は。

 

 幸い以前と違って、学校に絶対に行かなきゃならないという考えは薄まってきている。

 子どもたちには、学校がおしつけてくるものではなくて、自分の学びたいものを学習していってほしい。

 

 

 

 

 

 

脱構築ビジネス

 僕はCrowdWorksで副業している。

 CrowdWorksではいろいろな仕事・案件が掲載されていて、ウェブサイトの企画や記事作成、簡単なものではアンケートに答えるだけというのもある。

 

 僕は初心者なので簡単なものから始めていて、一日一通送られてくるメールに感想を書くだけという超簡単な仕事をしている。

 五日間、計五通の感想を書けばお金が振り込まれる。まぁたった120円の報酬なんだけど。

 

 興味を持ったのは、送られてくるメールの内容だった。

 タイトルは、「21世紀型ライフスタイルマニュアル」というものだった。

 

21世紀型ライフスタイルマニュアル

21世紀型ライフスタイルマニュアル

 

 

 作者の猪飼さんという人が毎日メールを送ってくる。

 今日はまだ二日目だから二通分しか読んでいないのだけど、今までのメールを要約すると

 

・自分はブラック企業で働いていた。すごく大変だった

・転職してインターネットビジネスを始めた

・最初は知識がなくブログを書く程度のことしかできなかった

・今は毎日メールを一通送るだけの仕事をしている

・それでめちゃくちゃ稼いでいる

・インターネットビジネスは自由で、会社員時代とは正反対

 

 まぁおおざっぱにこんな感じ。

 上の本は期間限定でアマゾンにて無料ダウンロードできる。 

 ついでに、手軽にお金を稼げるお小遣いサイト(自己アフィリエイトのサイトだった)のURLもプレゼントしてくれた。

 

 僕は「ほほー効率のいいビジネスをしてますな」と思った。

 

 インターネットビジネスではなくて、CrowdWorksで感想を募る仕事に対して。いや結果的にはどっちも同じか。

 

 

 私は未亡人であなたに一億円プレゼントしたい、だから口座番号などの情報を教えてほしいという詐欺メールを誰しも送られてきたことがあると思う。

 誰があんなものにひっかかるかと思うけど、案外ひっかかる人はいる。

 あれは同じものを大多数の人に送っていて、そのなかの0.1%か0.01%の人がカモになるという。

 

 それに比べれば猪飼さんのカモをつかまえるやりかたは効率的ではないか?

 しかも詐欺師と違って合法的だ。

 

 CrowdWorksを利用する人はそもそもインターネットビジネスに興味がある。

 メールを読んで感想を送る仕事に集まる人は、仕事なんだから詐欺メールと違ってみんな最後までちゃんと読む。

 

 CrowdWorksを利用している、感想を送る仕事に応募する。

 この時点で、だいぶカモになる人がフィルターにかけられている。手当たり次第に詐欺メールを送る必要はない。

 けっこう多くの人がアマゾンで猪飼さんの本をダウンロードしてるし、小遣いサイトを利用しているのだろう。

 

 何が言いたいのかというと、僕を含めて感想を書く仕事をしている人は猪飼さんにとって労働者であると同時に顧客だということ。

 

 だってそうでしょ。

 今の猪飼さんの仕事は一日一通のメールを書くだけ。一日一通のメールを書くって僕らのところに送られてくるメールのことじゃない?

 メール一通書くだけの仕事でだいぶ稼いでいるってことは、メールの感想を書く仕事をやっている人たちがちゃんと顧客になってくれているということだろう。

 

 顧客一人に仕事の報酬として120円払う必要があるけれど、それを補ってありあまるくらいのお金を顧客が落としてくれる。だからがっぽがっぽ儲かる。

 

 う~ん、猪飼さんは賢いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊藤若冲

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美術手帖 1994年9月号

特集は伊藤若冲

 

伊藤若冲は1716年に生まれ1800年没。江戸時代の画家。

豪華絢爛な絵は最近多くの人に注目されている。

 

若冲の名の由来は、『老子』第45章から。

 

大盈(だいえい)は沖(むな)しきが若きも其の用は窮まらず

(大いに満るものは空虚のように見えるが、そのはたらきは止むところがない)

 

京都の青物屋に生まれ若くして稼業をついだものの、若冲は興味を示さず、30代半ばに丹波の山奥にひきこもる。

商売に熱心でなく、酒も飲まず遊びもしない。妻も持たない。

熱心だったのは禅と絵画だけだったという。

 

生涯の師である大典という僧によれば、若いころはまったく何の才能もない人だったという。字もへたくそでなんの取り柄もない青年だったらしい。

 

興味のない稼業を営むかたわら、若冲はまず狩野派の絵画の技術を習得し、その後中国の技法を取り入れる。そして、自分の家で鶏をつぶさに観察し鶏の絵を描く。

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細密かつ豪華。美しいですね。素人の僕でも、一見してすごいと思ってしまう。

 

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 若冲は「千載具眼の徒を俟つ(1000年後に自分の理解者が現れるだろう)」と述べたらしいが、彼の真の理解者は現れたのだろうか。

 

 

 

『娼年』『グレイティスト・ショウマン』『カメラを止めるな』を観る

 急に映画を観たくなったので、ゲオで『娼年』『グレイテスト・ショウマン』『カメラを止めるな』を借りてきた。

 いずれも良かった。感想を書いてみよう(ネタばれはしないようにします)。

 

 

娼年

 


松坂桃李が妥協のない性描写に挑戦!『娼年』予告編

 

 見方によってはただのAVなんだけど、やっぱり松坂さんの演技がすばらしいからか芸術的なAVだと思った。

 女性の欲望をかなえるためのセックスなんだけど、同時に松坂さん演じるリョウの心も開いていく。そのプロセスが松坂さんの演技からよく分かった。

  この映画を観てると、セックスというものが、単なる交尾ではなく、身体間のコミュニケーションであることが分かる。

 たしかゴリラやチンパンジーも、コミュニケーションとしてのセックスをするはずだけど、動物一般にとってセックスは単なる交尾だ。

 なぜ神は、あるいは自然は、人間のセックスに交尾以上の意味をもたせたのだろう?

 永遠の謎ですね。

 

 それにしても、松坂さんはやっぱりすごいな。やってることはAV男優と同じなんだけど、やっぱりAV男優とは違う。彼が演じているのはAV男優ではなくて、リョウという一人の青年なのだ。観てるとそれがよく分かる。

 

 映画にはいろいろな背景や性癖を持った女性が登場しリョウと交わっていくのだけど、人間の欲望の奥深さというものは計り知れないなぁと思わせられる。

 女性だけではなくて男性も含めて、人間すべての欲望の奥深さ。そういうのを感じさせる作品だった。

 

原作は石田衣良さんの『娼年』。

本でも読みたいと思って借りてきてしまった。

 

娼年

娼年

 

 

 

娼年 (集英社文庫)

娼年 (集英社文庫)

 

 

 

『グレイティスト・ショウマン』

 


映画『グレイテスト・ショーマン』予告D

 

 夏の甲子園で、大阪桐蔭ブラスバンドが一番宮崎仁斗くんの打席で奏でていたのがグレイティスト・ショウマンの曲(予告で流れている曲)。

 なんかいい曲だなぁと思って調べたらこの映画で、それからずっと観たいなぁと思っていたので借りてきた。

 

 めっちゃ面白かった。

 たぶんこういう映画はアメリカ人にしか作れないんじゃないかと思った。

 

 ミュージカル調の映画で、普通の会話の流れから歌い出し踊り狂う。

 交渉をしてる最中に歌い出し、口説いている最中に踊り出す。

 落ち込んでても歌い出し、破産しても踊り出す。

 いつでもどこでも歌って踊る。

 こういうのがさまになるのはアメリカならではないかな。

 やっぱりアメリカのエンターテインメントはすごい。

 

 

 

 

『カメラを止めるな』

 


カメラを止めるな!スピンオフ『ハリウッド大作戦!』予告動画

 

 

 この前金曜ロードショーでやっていたけど、うちの家は台風のせいでアンテナがひんまがりNHKしか観ることができないので、仕方なくゲオで借りてきた。

 

 金曜ロードショーでは、視聴者が離れないように最初の40分をCMなしでいくとニュースであったから、最初はよっぽどつまらないのかと思ったけど、意外にけっこう面白かった。

 

 最初、素人の僕でも分かるほど、演技がへたくそだなーと思った。

 でもまぁそれなりに笑えて面白かった。

 で、後半に入るわけだが、つぎつぎに伏線が回収されていくのでそれがみどころなのかと理解した。

 

 まぁ観て損はない映画だと思う。

 

 

カメラを止めるな!

カメラを止めるな!