美術手帖 1994年9月号
特集は伊藤若冲。
豪華絢爛な絵は最近多くの人に注目されている。
大盈(だいえい)は沖(むな)しきが若きも其の用は窮まらず
(大いに満るものは空虚のように見えるが、そのはたらきは止むところがない)
京都の青物屋に生まれ若くして稼業をついだものの、若冲は興味を示さず、30代半ばに丹波の山奥にひきこもる。
商売に熱心でなく、酒も飲まず遊びもしない。妻も持たない。
熱心だったのは禅と絵画だけだったという。
生涯の師である大典という僧によれば、若いころはまったく何の才能もない人だったという。字もへたくそでなんの取り柄もない青年だったらしい。
興味のない稼業を営むかたわら、若冲はまず狩野派の絵画の技術を習得し、その後中国の技法を取り入れる。そして、自分の家で鶏をつぶさに観察し鶏の絵を描く。
細密かつ豪華。美しいですね。素人の僕でも、一見してすごいと思ってしまう。
若冲は「千載具眼の徒を俟つ(1000年後に自分の理解者が現れるだろう)」と述べたらしいが、彼の真の理解者は現れたのだろうか。