はぁ、社会は少数派に手厳しい

 僕はスマホを持っていない。

 そのせいでけっこう不利益を被る。

 

 僕はパソコンでメルカリをやっている。

 今日、メルカリでオファーというものが来た。

 出品していた商品に対して、この値段にしてくれたら購入しますというオファーだった。

 

 返信しようと思ったらできない。

 調べてみるとスマホのアプリのみの機能ということだった。

 さっさと売ってしまいたい商品だったのでどうしようか思案していたら、オファーが取り下げられてしまった。

 もっと早く対応していれば売れたかもしれないのに・・・。

 

 それと、パソコンからではゆうゆうメルカリ便で商品を送れない。

 ゆうゆうメルカリ便とは、郵便局やローソンから一番安い値段で発送できる方法だ。

 パソコンだとそれができないので、少し発送料が高いらくらくメルカリ便で送っている。

 

 パソコンではプロフィール写真も設定できない。

 プロフィール写真くらいどうでもいいやと思うかもしれないが、メルカリ上級者がプロフィール写真は購入者に安心を与えるので絶対設定すべしと言っていた。

 

 たぶん他にもパソコンではできないことがあるから、今後も面倒なことがいろいろとあるだろう。

 

 話は変わって、僕はクレジットカードも持っていない。

 僕は現金主義で、カードを持つと際限なく使ってしまうのではないかと恐れから持たないようにしている。

 ポイントカードもつくらないし、持たないようにしている。

 以前ポイントのために、特に欲しくもない商品を買ってしまうことがよくあったから。

 10月の消費増税のときにポイントを還元する話が出ているけど、それなら僕には何のメリットもない。

 

 世間では、ほとんどの人がスマホもクレジットカードも持っている。

 政治や企業は大多数のために政策をたてるし、サービスを展開する。

 そりゃそうだ、最大多数の最大幸福を目指すのは合理的なことだから。

 

 スマホやクレジットカードを持っている人には分からないだろうけど、

 こうした何気ない圧力が持っていない人にはかかっている。

 そうした圧は少数派をじりじりと多数派へ押し込もうをしている。

 

 世間にはいろいろな少数派がいる。

 スマホとかクレジットカードの話に限った話だけでなく、仕事や病気、恋愛や性などどんな分野、領域にも少数派はいる。

 

 スマホやクレジットカードで僕が何気ない圧力を感じたように、どんな少数派でもいろいろなかたちで圧力を感じているのだろうなと思った今日このごろ。

 

 

 

 

 

 

 

AKB商法を国政選挙に導入してみればどうか

 日本では選挙に行く人が少ない。

 これは問題だと思うが、かく言う僕も行ったり行かなかったりする。

 

 政治に関わるもっとも身近な手段として投票があるのだが、

 「行ったって政治が変わることはない」

 「たかだか一票だし・・・」

 と思っている。

 日本の政治にあまり期待していない自分がいる。

 

 でもやっぱりこれはまずいことだと思う。

 平成29年の選挙では53%しか投票に行っていないのだ。

 

 ところで昨日ヤバすぎる本を読んでいたら、投票についての面白い考えが載っていた。

 

ヤバすぎる経済学

ヤバすぎる経済学

 

 

 それは一人で何票でも投票できるようにするというもの。

 ただし、投票するたびにお金を払わないといけなくて、払う金額は投票の回数の二乗分にする。

 たとえば一回一ドルとするなら、二回目は四ドル、三回目は九ドルというふうになる。投票する回数が増えるほど、払う金額が大きくなっていくので一人で投票する回数には限度がある。

 

 お金持ちであるほどたくさん投票できるから不平等ではないかという批判に、経済学者の筆者はこう反論している。

 お金持ちであるほどたくさん消費して経済に貢献しているし、献金の仕組みを見れば、お金持ちのほうがはるかに影響力があるだろう?

 

 この投票システムを実験でやった経済学者がいて、結果はとてもうまく行ったらしい。しかも、実験の参加者に、普通の投票方法とお金を出して票を買う仕組みのどちらがいいか尋ねると、参加した人の多くはお金を出す仕組みのほうがいいと答えた。

 

 この本を読んでいるとき、そういえば似たようなことを日本でもやっているなぁと思った。

 

 そう、AKB総選挙だ。

 僕はAKBに興味がないし、総選挙に参加したこともないので細かい仕組みがよく分からないが、CDを買ったらそこに票がついていたと思う。

 たくさんCDを買えば、それだけ自分の推すメンバーに投票することができる。

 自分の応援するメンバーが選挙で上位に行ったら嬉しい。

 

 ときどきテレビで総選挙の様子を見ることがあったのだが、ファンは盛り上がっているし、楽しそうだったと思う。

 

 どうせ普通の選挙をやっても投票率は低いのだから、いっそのことAKB総選挙の仕組みを国政選挙に導入してみたら面白いかもしれない。

 

 問題は、推したい候補者が誰もいないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんまりの片づけの魔法を人生にも使ってみる

 

  こんまりの愛称で知られる近藤麻理恵さんは、片づけ界で知らない者はいないほど超有名人である。
 こんまりさんは日本よりむしろ、アメリカのほうで有名かもしれない。彼の地で「KONDO」は、片づけるを意味するという。最近ではアカデミー賞授賞式に登場して話題を振りまいている。

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

 

 

 

 そんなこんまりさんの著作『人生がときめく片づけの魔法』には片づけの極意が書かれている。片づけなんだからもちろん、「モノ」の整理のしかたについて書かれているんだけど、「これはモノ以外にも応用できるのではないか」と思った。

 それについて書こうと思う。

 

1 片づけの方法

 やりかたは簡単だ。モノを手にもって「ときめくかどうか」で捨てるか残すか決めるだけ。こんまりさんは次のように解説する。

 

捨てるモノと残すモノを見極める基準は「ときめくかどうか」です。判断するときのポイントは、必ず触ること。それも、両手で一つひとつのモノと対話するように触れることが鉄則です。モノを触ったときの、自分の身体の反応を感じてみてください。ときめくモノを触ったとき、体は「キュン!」となります。全身の細胞が少しずつ上に上がるような感じです。逆に、ときめかないモノを触ったとき、体は「ズン」と、重くなったような感覚を覚えます。

 

 こんまりさんは、片づけはモノと対話であると語る。

 片づけをすることによってスッキリし、新しい生活を始められるのだと言う。

 

2 片づけの魔法を人生にも使う

 この方法は、人生あるいは生活全般にも使えるのではないかと僕は思った。

 つまり、「モノ」だけでなく「コト」にも使えそうではないか。

 

 具体的にやってみよう

 

 スマホ ⇒ ときめかない

 

 僕はスマホにときめかない。だからガラケーで十分だ。ガラケーも一番安いオプションで契約しているので、毎月1000円くらいですんでいる。ガラケーにこだわる理由は以前書いたので割愛。

 

matsudama.hatenablog.com

 

 

パンツ ⇒ ときめかない

 

 僕は以前トランクスやボクサーパンツをはいていたのだが破れてしまい捨てた。そのかわりに、ふんどしを身につけはじめた。知り合いがおススメしてくれたのだ。

 ふんどしは自分で手軽につくれるし、やぶれても縫えばいい。100均で買った布の両端にヒモを縫いつけるだけでできるのだから超簡単だ。一枚の布から二枚のふんどしをつくったので、50円でできた。

 トランクスやボクサーパンツは素人にはつくれないし、以前破れたとき縫ったのだけどすぐにビリビリと破れてしまった。結局今はふんどし一択である。

 ふんどしのデメリットは特にない。強いて言えば、温泉や銭湯に行ったときに注目されて恥ずかしいことくらいだ。

 

 

美容院 ⇒ ときめかない

 

 僕は5年くらい前からセルフカットしている。

 「おしゃれイズム」という番組で、俳優の阿部寛が「自分で髪を切っている」と言ってスタジオでチョキチョキ切っていたのを見たのがきっかけ。

 僕は阿部寛が好きだ。彼を真似して切ったら意外とうまく切れたので、もう美容院に行く必要はないと判断したのだった。

 以前一回だけ失敗して美容院に行きボウズにする羽目になったが、それ以外は一度も失敗していない。100均に売っているすきばさみと普通のはさみを使ってセルフカットしている。セルフカットすれば当然無料なので、だいぶ金がういた。

 

 

会社 ⇒ まったくときめかない

 

 3月まで会社に行って働いていたが、会社に通っていると一日が仕事で終わってしまうので憂鬱な気分だった。何より満員電車に乗らなければならないのが本当に苦痛だった。朝起きて満員電車を思い浮かべうるだけで、身体が「ズン」と重くなった。

 

 今は副業を複業している。自分の時間を好きに使えるというのは幸せなことだ。時は金なりなんていうのは嘘っぱちである。僕にとっては金より時間のほうが大切。

 

 

お金 ⇒ 少しときめく

 

 とはいえ、お金がなければ生きていくことができないのは確か。

 お金はあればあるほどいい。でも、そのために朝から夜まで身を削って働くのはごめんだ。お金はぼちぼちでいい。

 

 僕は、年収1000万の人よりも、まったくお金がないのにどうにか生きている人のほうがすごいなと尊敬するし憧れる。

 お金を稼ぐよりも、お金への依存度を減らしたい。

 お金持ちよりも、お金の呪縛から解き放たれている人のほうが、人間としての強さを感じるから。

 だから僕は、お金を稼ぐ方向ではなく、お金への依存度を下げるような生活へと舵を切っている。スマホからガラケーにし、ふんどしを自分でつくるのもその一つ。

 

3 片づけの魔法を人生にも使った結果

 こんまりさんは片づけはモノとの対話だとおっしゃった。

 でも同時に片づけは自分との対話でもあると、人生に魔法をかけて分かった。

 

 自分はどんな人生をおくりたいのか、自分は何を求めているのか、自分はどういう存在でありたいのか。

 

 片づけは自分の価値観を洗い出す行為でもある

 

 現代は、大量に生産し大量に消費する社会だから、勝手にモノがたまっていく。

 そして同時に生活も規格化されていく。みんながスマホを持ち、「画一化された個性」をあおられている。

 

 そんなときは片づけの魔法を使ってみるのがいい。

 自分と対話することでどうありたいのかが見えてくるから。

 

 

 

 

 

僕はどんな文章を書きたいのか

 

 

 トーマス・フリードマンの『遅刻してくれてありがとう』を読んでいたら、文章の記述についての話が載っていた。

 僕自身、「こういう文章を書けたらなぁ」とつねづね思っていたので引用しておく。

 

オピニオン・ライティングは、まったく違う。コラムニストやボジアのようなブロガーは、ただ情報を伝えるだけではなく、影響をあたえて反応を引き起こすのが目的で、特定の視点から注目に値する主張をして、1つの問題について、これまでとは違うように考え、感じるように、読者を説得する。読者の考えや感じ方を強めようとしたり、最初から考え直すように仕向けたりする。

                               P26-27より

 

 僕の文章を読んだ人が、それを通して物事について考えはじめる。

 そういう思考のきっかけとなるような文章を書きたい。

 すぐに役に立つ文章ではなくて、すぐには役に立たない文章を書きたい。

 スルメのように、読めば読むほど味の出てくる文章を書きたい。

 ミヒャエル・エンデのように、子どもでも読めるくらい簡単だけど、社会の本質をついた文章を書きたい。

 

 フリードマンが言うには、コラムを書くことは化学反応を起こすことと同じだ。

 そのためには三つの基本的要素を混ぜる必要がある。

 

 1 自分の価値観、優先事項、願望

 2 最大の力、つまり世界最大の歯車やベルト車は物事をどう動かしていると自分は

   考えるか

 3 大きな力に影響を受けるとき、人々がどう反応するか、あるいは反応しないかに

   ついて、自分は何を学んだか

 

 自分が持っている考え方や価値観(たとえば資本主義を支持するのか、それとも共産主義を支持するのか)があれば、何が重要で考える価値があるか決めることができる。

 それをもとに、最大の力(フリードマンはこれを“経済”とみなしている)の仕組みをどう考えるか、自分の仮説を構築できる。

 そして、最大の力が人々や文化にどう影響を及ぼすか、そしてその影響が逆に力のほうにどう影響しかえすかを考察する。

 

 以上の三つをすり合わせていくことで、いいコラムを書けるようになるらしい。

 

 自分のなかに明確な価値体系がなければ、いいコラムは書けない。

 「心から出たことは、心に入る」

 『タルムード』にある箴言フリードマンをこのように諭す。

 

 ぼくたちが暮らす世界を形作る最大の力をどう解釈し、どうすればそれに影響をあたえられるかということに取り組まなかったら、人目を惹くコラムを書くことはできないとフリードマンは言う。

 

 僕が思うに、新しい情報や便利な情報を提供する人は世の中にたくさんいる。

 情報の伝え方に個性があるにせよ、基本的に情報は一つのものだ。

 でも、情報の解釈は人それぞれに違う。

 

 たとえるならば、情報は素材だ。ジャガイモとか人参とか玉ねぎみたいなもの。

 解釈は料理することだ。素材を化学反応させることが解釈になる。

 ある人は、カレーをつくるかもしれないし、別の人は肉じゃがをつくるかもしれない。シチューをつくる人もいるだろう。

 解釈は自由なのだ。

 

 そして、同じ素材でも今まで誰も味わったことのない料理をつくることもできる。

 それを創造というのだ。

 

 僕は、誰もが普段見聞きしている情報を掛け合わせて、今まで誰も読んだことのない文章を書けるようになりたい。

 

 「問題をそんなふうに見ていませんでした」

 「こういった物事を結びつけていませんでした」

 「私が感じていても表現できなかったことを、そのまま書いてくれました」

 フリードマンはこういった反応を読者から引き出すことができる。

 

 僕もそんなことができるよう努力しよう。

 

 

 

 

 

人はなぜに変身したいのだろうか

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 美術手帖1995年6月号。特集は変身。

 

 人はどうして変身したいのだろう?

 

 変身っておもしろいテーマだけど、僕はこれについてあまり考えたことがない。

 う~ん、どうして変身したいのか?

 日本では、コスプレが流行り、戦隊シリーズが流行り、テレビには女装した人が普通に出ている。

 そういうことを思えば、日本人は変身に対する欲望が大きいのかもしれない。

 

 変身とは日常から非日常へのジャンプすることだと思う。

 とすれば、古来より変身は日常的に行われていたのだろう。

 シャーマンや巫女も一種の変身だし、能や歌舞伎もその類に入る。

 

 人は自分自身が他者へと変身することで、自分自身を知るのかもしれない。

 

 変身は何かになりたいという欲望だ。とすれば、大好きなアニメのキャラや仮面ライダーなど、自分があこがれる者になりたいというポジティブな欲求がある。

 

 しかしフランツ・カフカの『変身』は、それとは正反対の不条理な変身だ。

 主人公はある日突然、巨大な虫に変身してしまう。家族には気味悪がられ部屋に閉じ込められる。そうしてほったらかしにされ無残な死をとげる。

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

 このような不条理さは物語だけの話ではない。

 

キラキラネームに生まれて 「王子様」から改名、今までの人生をリセット(弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース

 

 赤池肇くん(18)は、生まれたときに「王子様」となづけられた。幸いにも、名前が原因でいじめられることはなかったそうだが、偽名を疑われるなど嫌な思いを何度もしたらしい。

 

 名が与えられて初めてモノが存在するという考え方のもとでは、改名するまで彼は「王子様」として存在していたわけだ。

 彼は18年間もそのような不条理さを味わっていたことになる。彼は、『変身』の主人公と同じようにある日突然不条理な存在になってしまったのである。

 

 ありがたいことに日本の法律では、15歳になれば自分の意志で名前を変えられるようになっている。

 

 彼は「今までの人生をリセットし、新しく始めていく」ということで「肇(はじめ)」に改名した。

 

 彼は新たな存在に変身した。いい人生を歩んで欲しい。

 

なんかおかしい

今日の朝からいろいろおかしい。

 

はてなブログで新しいタブを開くたびにログインしなきゃいけない。昨日までこんなことなかったのに。なぜかブックマークもできない。

 

さっきまでながなが書いていた文章も「このコンテンツは枠内では表示できません」と出て投稿できなかった。

バックアップしていなかったのですべて消えていた。はぁ。

 

メルカリにもログインできないしどうなっているんだろう?

 

へんなウイルスにかかったのかもしれない。

滝沢カレンは天才じゃなかろうか

 今日図書館で雑誌『JJ』を見ていたら、「カレンの部屋」という連載があった。

 このコーナーは悩める女子の相談に滝沢カレンがアドバイスするという内容。

 相談内容は、会社でマウンティングしてくる男性同僚にどう対応していいか分からないというものだった。相談者さんは寝てないアピールをされたり、自慢話をよく聞かされるとのこと。

 

 マウンティングというのは、相手よりも上の立場に立つために自慢などで優位を保とうとすることをいうらしい。

 

 滝沢さんは、マウンティングされるということはライバル視されているということだからいいことではないかと回答していた。

 彼女は人から自慢をされたとき、本当にすごいことなら素直に「すごい」と尊敬するし、寝てないアピールといったしょうもない自慢は「そういうの口にしちゃう人なんだ」と思うという。

 専門用語を多用して賢いアピールをされたときは、知っている言葉なら「分かる」と言うし、知らない言葉なら「それはどういう意味なんですか?」と尋ねるという。それ以上の感情はなく、心を乱されることもない。

 

 人間はプライドが高いからこそマウンティングしたがるし、特に男性は年をとっても自慢するものだから、相手の自慢話に対して自分が上とか下とか思って傷つくことはない。

 マウンティングされるほど優秀な人でいられるよういっしょに頑張りましょうと結んでいた。

 

 最近マウンティングという言葉をよく目にするので、世の中には自慢話を聞かされたり、寝てないアピールをされたりするのが嫌な人がけっこういるのだろう。そういう人たちにとって、滝沢さんの回答ってすごく価値があるものではないかと思った。

 

 ところで滝沢さんを知ったのはフジテレビの『全力脱力タイムズ』だった。その番組ではナレーションをしていのだが、片っ端から漢字を読み間違えていくので「こりゃとんでもないバカが現れたなぁ」と思っていた。


滝沢カレン - 爆笑ナレーション #2

 

 

 しかししばらく後にインスタグラムでの滝沢先生の投稿を読んでいると「こりゃ天才だ」と思った。

takizawakarenofficial
BABY-G さんの撮影をした時のです⌚️💗
皆さんは、腕時計してるでしょうか❓

やはり安全安心なカシオさんに頼らせて頂くのは落ちつきます😘💕💕💗
私は26年間も生きといて腕時計と手首を寄り添ってこなかった自分が恥ずかしいです🙁🍀🍚🍚🍚🍚
ですがもっと寄り添い方を教えてくれた、BABY-Gさんには感謝しかないですね💁🏼‍♀️🌈🌈 時間を気にすることを嫌う私だからこそ、時間に支配されたこの地球はなんだか哲学性があって好きです🌎🌍🌏
どこのどなたが、最初の時間を決めたのか、10時は今だ❗️と決めたのかは知りませんが、その時間にだれも何も言わずに今を生きてること、そしてその時間がここまでも重要であることは凄い事になっていると思うんです🌟🌚🌜 その第1人はすごいですね💫
この生活を作ってくれたわけですし、1秒をあのタイミングだ、と決めたのもかなり難しかったと思いますが、未来を想像したような時間だったのでしょう😌時間のなかった時代から、時間のある時代へ移った今この瞬間を知りたくはありませんか❓⌚️ 手首をそっと持ち上げれば、今が知れる時代になれたことにありがたいです😌💖💗💕 #動きを止めないのには理由があるはずだ
#正確かなんてだれも知りやしないのに
#絶対なんてある世界ではないと信じながらも
#絶対を信じる私たちがいる
#時の刻みに心が踊ったり
#なんだか切なくなったりと
#何度時計に悩まされただろうか
#だけどふとした瞬間に時計を見て思うんだ
#あぁそうだこれが止まらないいや
#止まっちゃいけない人生だと

                        滝沢カレン Instagramより    

 

  いやはや、この表現能力はすごい。

  ハッシュタグの文章なんてもう詩ですね。

 

 あとこれもいい。

#ついこの間月曜の話をしていたのに
#もう気付けば明日は金曜日
#自然薯のような人生でありたい
#強く切れない永遠な自然薯
#いや永遠に切れないなんてないよな
#いつ切れるか分からないから一瞬を大切にするのか

  

「自然薯のような人生」とか誰が思いつくだろう?

 

僕も自然薯のような、一瞬を大切にする人生を歩みたい。