遅刻してくれて、ありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方
- 作者: トーマス・フリードマン,伏見威蕃
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2018/04/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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トーマス・フリードマンの『遅刻してくれてありがとう』を読んでいたら、文章の記述についての話が載っていた。
僕自身、「こういう文章を書けたらなぁ」とつねづね思っていたので引用しておく。
オピニオン・ライティングは、まったく違う。コラムニストやボジアのようなブロガーは、ただ情報を伝えるだけではなく、影響をあたえて反応を引き起こすのが目的で、特定の視点から注目に値する主張をして、1つの問題について、これまでとは違うように考え、感じるように、読者を説得する。読者の考えや感じ方を強めようとしたり、最初から考え直すように仕向けたりする。
P26-27より
僕の文章を読んだ人が、それを通して物事について考えはじめる。
そういう思考のきっかけとなるような文章を書きたい。
すぐに役に立つ文章ではなくて、すぐには役に立たない文章を書きたい。
スルメのように、読めば読むほど味の出てくる文章を書きたい。
ミヒャエル・エンデのように、子どもでも読めるくらい簡単だけど、社会の本質をついた文章を書きたい。
フリードマンが言うには、コラムを書くことは化学反応を起こすことと同じだ。
そのためには三つの基本的要素を混ぜる必要がある。
1 自分の価値観、優先事項、願望
2 最大の力、つまり世界最大の歯車やベルト車は物事をどう動かしていると自分は
考えるか
3 大きな力に影響を受けるとき、人々がどう反応するか、あるいは反応しないかに
ついて、自分は何を学んだか
自分が持っている考え方や価値観(たとえば資本主義を支持するのか、それとも共産主義を支持するのか)があれば、何が重要で考える価値があるか決めることができる。
それをもとに、最大の力(フリードマンはこれを“経済”とみなしている)の仕組みをどう考えるか、自分の仮説を構築できる。
そして、最大の力が人々や文化にどう影響を及ぼすか、そしてその影響が逆に力のほうにどう影響しかえすかを考察する。
以上の三つをすり合わせていくことで、いいコラムを書けるようになるらしい。
自分のなかに明確な価値体系がなければ、いいコラムは書けない。
「心から出たことは、心に入る」
ぼくたちが暮らす世界を形作る最大の力をどう解釈し、どうすればそれに影響をあたえられるかということに取り組まなかったら、人目を惹くコラムを書くことはできないとフリードマンは言う。
僕が思うに、新しい情報や便利な情報を提供する人は世の中にたくさんいる。
情報の伝え方に個性があるにせよ、基本的に情報は一つのものだ。
でも、情報の解釈は人それぞれに違う。
たとえるならば、情報は素材だ。ジャガイモとか人参とか玉ねぎみたいなもの。
解釈は料理することだ。素材を化学反応させることが解釈になる。
ある人は、カレーをつくるかもしれないし、別の人は肉じゃがをつくるかもしれない。シチューをつくる人もいるだろう。
解釈は自由なのだ。
そして、同じ素材でも今まで誰も味わったことのない料理をつくることもできる。
それを創造というのだ。
僕は、誰もが普段見聞きしている情報を掛け合わせて、今まで誰も読んだことのない文章を書けるようになりたい。
「問題をそんなふうに見ていませんでした」
「こういった物事を結びつけていませんでした」
「私が感じていても表現できなかったことを、そのまま書いてくれました」
フリードマンはこういった反応を読者から引き出すことができる。
僕もそんなことができるよう努力しよう。