読んだマンガと本の感想

いいタイトルだ。たぶん『路傍の石』からとっているのだと思うけど。ネットニュースでこの作品を知った。どこかで新しいヒーローの誕生と書かれていたような覚えがあって、ん?ヒーロー?って思ったのだが、たしかにまぁヒーローといえばヒーローなのかもしれない。

SNSの普及などでみんな承認欲求を満たすことに追い立てられ、でもキラキラした自分を演出することに疲れている人間か多い中、フジイのような存在はたしかに新しいヒーローというか、いやでも、いつの時代においても、結局フジイのような人間が実は一番充実した理想であると思う。

自分もフジイに近い人間だけど、でもフジイほど社交的ではないな、いや社交的というのとはちょっと違うか。自分は人となるべく関わりたくない、最低限の人間関係でいいと思っているが、フジイは来る者は拒まないという感じで、少しずつ人間関係が拡がっている。そして、フジイと関わる人は、フジイが等身大の人間で誰のことも否定しないから、フジイという人間の懐の深さに惹かれていく。

いやぁ、つくづく思うが日本人でよかったわ~。多様性の時代というが、マンガというのは本当に多様な物語があって、本当の多様性を実現させている。それを翻訳なしにそのまま味わえるというのは素晴らしいと思う。

 

はてなブログも運営している精神科医の本。ここでの「人間」は、日本人あるいは先進国の人たちを指していると思われる。文化の進歩、豊かな社会の実現は一見いいことに見えるが、それは自身の家畜化と軌を一にしているのでないか、それは本当にいいことなのかと問うている。

オオカミの群れから人間に懐くものが現れそれが飼いならされて家畜となっていったように、人間は自分自身が作り上げてきた文明や文化に飼いならされて家畜となっているのでないか。その結果、現代社会で必要とされるコスパとかタムパのようなマインドが内面化されている。

昔は人の命はもっと軽んじられていたし、ちょっとしたことで喧嘩や暴力がそこら中で起きていた。しかし今は、命や人権が大切にされ、犯罪件数は減っている。

いってみれば、野生だった人間は自分の手で檻を作り、今はその中に入って家畜あるいは囚人になったのだ。よく、野生の動物と動物園にいる動物、どちらが幸せかという問がなされるが、それは人間自身にも当てはまる。昔と今では、どちらがいいだろう?

そういったこととはべつに、人間は自分の意志とは関係なしに否応なく家畜化への道を歩んでいる。それはもう止めることのできない歩みである。AIがその流れを加速させていて、AIの是非を考えることはあっても、AIを放棄するという考えにはならない。これと同じである。

最後のほうに著者の未来予想が書かれていて、そうなりそうだなと思った。少子化はもっと加速するだろう。よく経済の観点から給料をアップすればいいとか言っているが、たぶん給料だけの問題ではないと思われる。現代人は、もはや猿ではないのだから。

 

ブックオフで買った。

テキ屋って祭りくらいでしか見ないが、家族を養えるくらいには儲かるんだな。祭りとか関東や関西じゃ毎週どこかしらでやっているものなのだろうか。あれでも、田舎のテキ屋はどうやって暮らしているのだろうか。

テキ屋というのは、テキ屋の著者いわくヤクザとは違うらしい。ヤクザの古き良き?伝統の義理や人情のマインドを持った職人集団みたいな感じだろうか。

最近は、キッチンカーのほうがむしろポピュラーになっているけど、あれとテキ屋はちゃんとすみわけできているのだろうか。

あとどうしてこうも、業界用語が多いのだろう?業界用語ってなぜあるんだろう?普通に話せばいいのになぁ。