Honey paraでハチミツのように甘い時間を

 

Honeypara ハニパラ Honey paradise 蜂蜜 ハチミツ マカ

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 コエタスというモニターサイトでハニパラが当選したので、さっそく試してみました。

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 お試しセットみたいな感じで、銀色の袋に入ったハニパラが5袋送られてきました。

  これなら外出先にも手軽に持っていけて便利ですね!   

 

 ハニパラは清涼飲料水ということですが、少しトロっとしていてゼリーみたいな感じもします。

 

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 原材料には、はちみつ、マカエキス、牡蠣エキス、クエン酸、L-アルギニンなど、体が元気になる成分が多く含まれています。おじさまには嬉しい成分がたくさん含まれていますね!

 

 味はもちろんハチミツ味です。

 僕は濃厚なハチミツはくどくてあまり好きではないのですが、ハニパラは濃さがちょうどよくて、おいしいですね。

 普通に飲むのもいいのですが、自分はリンゴやヨーグルトにかけて食べています。リンゴやヨーグルトの酸っぱさと、ハチミツの甘さがマッチしておいしいです!

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今度はバナナにもかけて食べてみました。

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 バナナの甘さもまた、ハニパラのハチミツの甘さとマッチしておいしいですね!

 おやつ感覚でぺろりと食べてしまいました。

 

 一昨日、昨日と山で土木作業をして体がクタクタになってしまったのですが、ハニパラを飲んだおかげか、体の重さはそんなになくなりましたね。次の日にはまた、体が元気になって動き回ることができました。

 これはやはりハチミツや、牡蠣エキス、クエン酸など、健康になる成分が多く含まれているからでしょう。

 

 今回僕はヨーグルトやフルーツにかけて食べましたが、料理の隠し味に使ってもいいかもしれませんね。普通のハチミツよりも栄養がありますから、よりバランスのとれた食事になると思います!

 今度は、カレーをつくるときに隠し味でハニパラを使ってみます。

 

 みなさんも興味があればぜひ試してみてくださいね!

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子どもが勉強よりも遊びを優先するべき科学的理由

 

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子どもの仕事は勉強ではなく遊びである

 

 昨日『日経サイエンス』を読んだ。

特集は、子どもの発達についてで興味深い記事がたくさんあった。

そのなかでも面白かったのが「遊びの必要性」についての記事だった。

 

 親が子どもに言う言葉でもっとも多いのは、「遊んでないで勉強しなさい!」という言葉だろう。いつまでも遊んで勉強しないと、いい学校に入れない。そんな無駄なことしてないで、家に帰って勉強しなさい。

 

 近頃の子どもは聞き分けがいいのか、親の言葉に素直に従っている。

 これはアメリカのデータだが、1981年から1997年にかけて、子どもの自由遊びの時間は四分の三にまで落ちたという。ここでいう自由遊びとは、系統だったルールのない遊びのこと。野球やサッカーのようなルールのある遊びではなく、子ども独自のルールにもとづいた遊びのことを、自由遊びと呼ぶ。

 自由遊びの時間が減った原因は、塾や習い事のためだ。親が、子どもの将来のためにと、遊びよりも知識や能力をつけることを重視している。

 

 しかし自由遊びはけっして無駄な営みではないことが科学的に明らかにされつつある。

 自由遊びには、ストレス緩和、創造性の発達といった大きな利益があることが分かった。

 

 ある実験によれば、自由遊びをした子としていない子を比べると、自由遊びをしていた子の不安レベルが減少することが分かった。

 

 また、べつの実験では、たとえば子どもどうしで戦闘ごっこをした場合、情動反応と社会的発達にかかわる「高位」の脳領域における神経の発達が促されることが明らかになった。

 

 野球クラブや音楽の習い事なども、子どもにとってはある意味で遊びである。

 しかし、野球のようなルールのある遊びや大人の指示に従う音楽の遊びよりも、子どもの好きなようにやらせる自由遊びのほうがはるかに価値があると心理学者は言う。

 自由遊びは、子どもが自発的にルールをつくりそのなかで好きに遊ぶので、創造性がより養われるというのだ。

 

 また、こうした遊びの経験の有無が将来にまで影響することが報告されている。

 アメリカで42年にわたって6000人を追跡調査した結果、子どものころにルールのない空想力にまかせた遊びを経験したことがないと、周囲に適応した幸せな大人に育ちにくいことが分かった。

 

 自由遊びという子どもの独自性にまかせる遊びは、独創力や創造性を養い、周囲との協調性を育む。

 これからの社会は、以前にも増してもっと混沌とした何が起こるか分からない世界になる。そうした世界を生き抜いていくために必要な資質を、遊びはもたらしてくれる。

 

 日本やアメリカの親は、子どもの将来を思って塾や習い事に通わせる。

 しかし、それが逆に子どものためになっていないのだ。親が子どものためにすべきことは、勉強を強制することではなく、友達と自由に遊ばせることなのだ。

 

 子どもの仕事は勉強でなく、自由に遊ぶことなのだ。

 

 

あることをしただけで、メルカリで急にモノが売れ出した件

 メルカリを始めて2か月半たった。

 

 毎日コツコツ出品して、今では150品くらい出品している。でも、この二ヶ月で売れたのはたったの14品。

 それが、あることをしただけで、今日だけで一気に5品も売れた。

 

 何をしたかというと、出品を一旦停止して、またすぐに再開しただけ

 

 たったこれだけ。だけど効果てきめんでびっくりした。

 出品してからだいぶ時間がたったものは、下のほうに埋もれてしまう。

 大多数の人はそういうところまでチェックしないのだろう。

 だからといってそれが売れないものとは限らない。

 

 出品を一旦停止して再開すれば、また新しく出品したのと同じ扱いになるのだろう。それで、多くの人の目にとまって誰かが買ってくれる可能性が高くなる。

 

 出品してからだいぶ時間がたっている商品があれば、ぜひ試してみてくださいね!

ホームレスは普段何を食べているのか

 

ヤフーニュースを見ていたら、ホームレスの食事についての記事が載っていた。


headlines.yahoo.co.jp

 

 懐かしいなぁ。

 

 僕は大学生のころ、自転車で日本をブラブラしていたのだが、東京の多摩川で「缶太郎」と名乗るおじさんと仲良くなって、一ヶ月彼の「家」に居候していたのであった。

 

 缶太郎は、街中の缶を拾い集めてお金をもらっていた。

 どれだけお金を得ているのか詳しくは知らなかったが、嗜好品としてたばこを買うぐらいの余裕はあったようだ。

 そんな彼は、「俺はビスケットだけでいいんだ」と言って、ココナッツサブレを毎日食べていた。そしてときどきパックのごはんを食べていた。

 

 ココナッツサブレやパックのごはんの他に、パンも食べていた。ヤフーの記事にあるようなキリスト教系の団体がやっているパンの配布に行って、そこでもらっていたのだ。

 僕も一回缶太郎についていって賞味期限の切れそうなパンをもらった。アウトレットで売ってそうな大量のパンの詰め合わせをもらった。

 そこに行って驚いたのが、ホームレスといってもみんな身なりがいい人たちばかりだったことだ。季節は秋にさしかかるころだったが、僕はずっとビーサンで旅していて靴を履いていなかった。一方、ホームレスの人たちの多くが、キレイなスニーカーを履いていた。

 

 缶太郎の「家」の横には地元住民が作っているお花畑があって、そこの管理者と缶太郎は仲がいいようだった。その管理人はときどき缶太郎のために、カレーやら煮物やらを大量に作って持ってきていた。

 しかし缶太郎は好き嫌いが激しいのか、それにはほとんど手をつけなかった。代わりに僕が毎回食べた。おいしかった。

 

 傍から見た缶太郎の食生活はあまりにも乱れていたけど、彼の身体はがっちりしていて健康そのものだった。

 そのころ世間では蚊が媒介するデング熱が流行っていて、メディアが盛んに注意を呼びかけていたけど、缶太郎にはおかまいなしだった。「家」のまわりは蚊が飛び回っていたけど、デング熱にかかる気配はなかった。そのうちメディアの過熱のほうが収まっていった。

 

 不思議なことだが、人間はある程度過酷な状況に身を置いているほうが健康を維持できるらしい。缶太郎を見ていてそう思った。

 普通に暮らしている人が、缶太郎のような食生活をすればすぐに病気になるだろうけど、過酷な環境で暮らす人なら、多少食生活が乱れても身体は逆にシャキッとするものだ。

 

 人間の身体はよくできている。

 

 

本当のお金持ちとはどういう人なのか

 昨日雑誌(『Mac Fan』だったかな)を読んでいたら、ヨスミダイスケという人のコラムが載っていた。

 

 組織に依存せず個人で生きるために必要なことは何かという問いかけがあり、その答えが「お金から自由になること」だった。

 

 社会人になると収入が増え、それに応じて生活レベルを上げてしまう。レベルの上がった生活に慣れてしまうと、欲望がさらなる生活レベルの上昇を求めるため、際限なくお金が必要になるという。お金の魔力は、人を負のスパイラルに陥らせるのだ。

 

 このような負のスパイラルから抜け出すために、ヨスミさんは「ミニマム・ライフコスト」を把握することが必要と言っている。この言葉はヨスミさんの造語で、「生活するのに必要な最低限度の出費」を意味する。

 

 ミニマム・ライフコストを知っておけば、「これ以上は無理して稼ぐ必要はない」と思え、精神的な安寧が得られるという。ヨスミさんの講演会では、会場の人にミニマム・ライフコストの計算をやってもらうそうだが、多くの人は自分の生活にどれぐらいのお金があれば足りるのかを把握していないと言う。

 

 ヨスミさんは現在、ニュージーランドの森で自給自足の生活を送っており、「物技交換」や「技技交換」によってモノやサービスを手に入れているとのこと。このため月に必要なお金は7~8万ほどだという。

 

 このコラムを読んで思ったのは、収入が多いからお金持ちとか、収入が少ないから貧乏という論理は間違っているということ。

 

 どんなに収入が多い人でも、収入以上に出費する人はお金持ちとはいえない。

 逆に、収入が少なくても、自分の生活レベルに見合った支出をしているなら貧乏とはいえない。

 

 つまりお金持ちかどうかというのは、収入だけで決まるものではなく、収入と支出のセットで決まるものなのだ。

 

 ウルグアイの元大統領にホセ・ムヒカさんという方がおられるが、彼は「世界一貧しい大統領」と呼ばれていた。

 彼は妻と二人暮らしで、月収10万くらいとテレビで言っていた。こういう姿から、メディアは「貧しい」と形容したのだろうけど、彼は「自分は貧しくない」と言っていた。

 彼は自分にとって必要なものだけで最小限に生きている、貧しい人というのはぜいたくな生活を維持するためだけに働いている人のことをいうんだ、と語っている。

 

 ホセさんやヨスミさんの収入は日本人の平均年収以下だと思うけれど、彼らは貧しくない。なぜなら、自分の生活に必要な最低限の出費、つまりミニマム・ライフコストを把握しているからだ。

 

 本当のお金持ちは、年収が多い人のことではなく、自分の生活をコントロールできる人のことをいうのだ。

 

やっぱり人工知能に意味は理解できないらしい、では人間は?

 今日の日経新聞夕刊の一面に、翻訳ソフトの誤訳問題の記事が大きく載っていた。

 

 駅や公共施設に英語や中国語の案内があるのだが、めちゃくちゃな誤訳がなされているらしいのだ。

 

 たとえば、

 堺筋線 ⇒ sakai  muscle line (筋を「筋肉」に訳している)

 天下茶屋 ⇒ world  teahouse

    3両目  ⇒ eyes3

などなど。

 

めちゃくちゃだな(笑)

 

 大阪ミナミにある食堂には、「日本式に牛とけんかした麺」というメニューがあるらしい。どんな料理だよ!

 

 最近メディアによく登場する新井紀子さんは、東大合格を目指す東ロボ君というロボットの開発を目指したが断念した。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
 

 

 MARCHレベルまでは偏差値があがったらしいが、東大レベルまではいかなかったとのこと。その理由は、人工知能には「意味」が理解できないからだ。

 

 人間は日常、言葉の意味を文脈のなかで理解する。

 でも、ロボットには文脈が理解できない。

 

以前こんなことがあった。

 

僕が働いていた娯楽施設に中国人観光客がやってきた。

彼らは日本語を理解できないようで、スマホを差し出して「ここに話しかけて」というジェスチャーをしてきた。スマホが日本語を翻訳してくれるらしい。

うちの施設には、来店するたびにポイントが貯まるスタンプカードがある。

それが欲しいか尋ねるために日本語で

「スタンプカードはいりますか?」とスマホに話しかけた。

 

スマホの画面には

Do  you  have a stampcard?

と出てきた。

彼らは、

No. と答えた。

 

後で、あの翻訳は間違っていると気づいた。

本当なら、

Do  you  want  a stampcard?

と表示されるべきだったのだ。

 

 普通に考えて中国人観光客は初めての来店だ。スタンプカードを持っているはずはない。だから「スタンプカードを持っていますか?」という質問はしない。

 もし、スマホに「Do you want a stampcard? 」と表示されていれば、彼らは「yes」といっていたかもしれない。

 

 機械が文脈を理解できる日は来るのだろうか?

 

 

今日も井筒俊彦の『意味の深みへ』を読む。

 

意味の深みへ: 東洋哲学の水位 (岩波文庫)

意味の深みへ: 東洋哲学の水位 (岩波文庫)

 

  

 二章「文化と言語アラヤ識」を読む。

 

 井筒は、文化をある人間共同体の成員が共有する、行動・感情・認識・思考の基本的諸パターンの有機システムであると定義して話をすすめる。

 

 現実は、一つのテキストである。

 ぼくたちは、言葉をとおして世界を認識する。

 じつは現実なんてものは幻影で、言葉がなければ世界を認識できない。

 

 ぼくたち日本人がお互いに日々コミュニケーションをとれるのは、文化という基本的諸パターンの有機システムを「インストール」しているからだ。

 

 では、異文化圏の人とのコミュニケーションはどうなのか?

 

 花は英語でflowerだ。

 このように、対応する言葉さえ知っていればコミュニケーションはとれる。

 井筒はこの意味では異文化コミュニケーションは可能だと言う。

 

 しかし、これは言語の表層レベルの話だと井筒は言う。

 

 「花」という語、「flower」という語の意味を深く深く下りていくと、花とflowerは一致しない。

 

 唯識派によれば、人間の意識の奥底はアラヤ識という構造になっている。

 アーラヤとは貯蔵庫という意味で、意味を生み出すカオス。

 ここは意味さえ生まれていない「無」なのだ。

 

 このような深層意識のレベルからみれば、異文化コミュニケーションははたして可能なのかどうか。自分には分からないと井筒は言う。

 

 日頃ぼくたちは深層レベルでコミュニケーションについて考えることはない。

 しかし異文化と出合って、自分の文化が揺さぶられたとき、異文化に対して開いた姿勢をとっていければ、理想的な世界が生まれるのではないかと井筒は期待する。

 

 グローバル化した世界で、人間は前述したロボットのような意味を理解できない存在になり下がるのか、それともロボットとは違い深層レベルで意味を理解できる存在になれるのか。

 

 人間の今後に期待。

 

街もシェアしよう! ― デュアルライフの提案

 

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定着しつつあるシェアの文化

 サービスやモノをシェアする文化が定着しつつある。

 

 車なんかはそれが顕著で、所有するものからシェアするものへとなりつつある。配車サービスを利用して、自分が必要なときにだけ車を利用するのが当たり前になる時代が訪れるだろう。

 また、「シェアハウス」という言葉があるように、一つの家にいろいろな人が住むことにも抵抗がなくなっている。家族のつながりが希薄になるなかで、まったく見知らぬ者どうしの絆が生まれる素地が育まれようとしている。

 

 車や家に限らずあらゆるモノやサービスがシェアされる。

 であれば、街自体もシェアしちゃえばいいんじゃないかというのが僕の考え。

 そしてそれを可能にする生き方が「デュアルライフ」だ。

 

 個人的には、デュアルライフが個人の生き方を豊かにする選択肢であるとともに、地域の抱える問題を解決する一つの手段でもあると考えている。個人と自治体、双方にメリットがあると思う。

 

 ここでは、まずデュアルライフとはそもそも何か、そしてそれが個人と街にどのような影響を与えるか考えてみる。その後、デュアルライフ先進国であるロシアのダーチヤを紹介する。

 

 

 

デュアルライフとは何か

 

 デュアルライフは二拠点生活とも言われる。

 デュアルは「二重・二者」、ライフは「人生・生活」という意味。

 具体的にいえば、都市と田舎双方に生活の拠点を持つライフスタイルのこと。

 

 デュアルライフは最近注目を集めつつある言葉で、デュアルライフを実践する人のことを「デュアラー」と言うらしい。デュアラーリクルートが運営するスーモの2019年トレンドワードになっている。

 

 二つの居住空間を持っているというと、なんだかお金持ちだけの話のように聞こえるが、シェアハウスや空き家を利用したサービスが始まったことによって、20~30代の若者でもデュアルライフを始める人が増えているそうだ。

 

 スーモの調査によれば、デュアラーには20~30代のビジネスマンが多く約6割を占めている。世帯年収としては年収800万円未満が約5割で、全体の16%は400万円未満だ。

 

 僕も実はデュアラーで、都市部と田舎を行ったり来たりしている。

 デュアラーになろうと思ってなったわけじゃないけど、今の生活がちょうどデュアルライフに当てはまっている。

 僕の場合はだいたい二日おきに都会と田舎を行ったり来たりしている。

 田舎にいるときは畑を耕したりしている。

 

 スーモの調査によれば、デュアルライフ実践後の生活満足度は「上がった」と「やや上がった」の合計が74%に達した。

 これはデュアラーの僕も納得で、都会にずっといると息苦しくなってくるのが、田舎に行って自然に囲まれていると息抜きできるのだ。また、都会と田舎を行ったり来たりすることで、オンとオフの切り替えがスッとできるようになる。それによって、生活にメリハリが生まれる。

 

デュアルライフは自治体にもメリットあり

空き家問題の解決策

 デュアルライフは自治体にもメリットがあると思っている。

 

 その一つが空き家問題解消だ。

 全国的に空き家問題は大きな課題となっている。僕はいろいろなところを歩いたり、自転車で旅するのが好きだが、街をぶらぶらしていると空き家が割とあるし、今にも崩れ落ちそうな家もある。

 

総住宅数,空き家数及び空き家率の推移のグラフ 全国(昭和38年~平成25年)

    (統計局HPより https://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2013/10_1.html

 

 平成25年の時点で、空き家率はすでに13.5%に達している。数にして820万戸だ。おそろしい数である。

  

 少子高齢化が進み、一人暮らしのお年寄りが増え続けていることを考えれば、今後空き家率が上昇することはあっても下降することはないだろう。

 普通に考えれば、空き家が今後も増え続けるのは間違いない。

 

 この空き家問題を解決する一つの手段として、デュアルライフがある。

 個人あるいは家族が複数の拠点を持てば、それだけ空き家も少なくなる。

 どう考えても、この先日本の人口が増えることはないのだ。だとしたら、個人あるいは一つの家族が一軒の家を所有するという常識を覆す必要がある

 

 空き家のリスクの一つに倒壊の危険性がある。

 これは人が住まなくなって風が通らなくなり、材がもろくなるのが原因だ。

 人がいるだけで家は長持ちする。経済的にも、景観的にも誰かが家にいる必要がある。

 

  多くの人が複数の家を拠点にすれば、それだけ空き家が少なくなり家が長持ちする。

 この意味でデュアルライフは空き家問題解決の一助になるだろう。

 

関係人口が増加する

 関係人口が増加するのもデュアルライフの魅力だ。

 関係人口とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人びとと多様に関わる人々のこと。

 

 デュアラーは観光に来ている人ではないし、移住しているわけでもないから定住人口でもないと思う。でもそこにいるあいだは地域や地域の人びとと関わっているから、デュアラーは関係人口に分類されるのではないか。

 

 関係人口は最近いろいろな自治体が注目しているワードで、総務省も「『関係人口』創出事業」というのを行っている。地域に興味を持ってもらって、まちづくりに関わることで、将来的には移住してもらう。関係人口は、その指標として使われている。

 

 多くの人が移住に興味を持っていると思う。

 都市部の人は都会の息苦しい生活に疲れて、田舎ののんびりした生活に憧れている。といっても田舎の濃い人間関係や不便な生活は嫌だという人も多い。移住したいけど、腰が重いなぁという人はけっこういるはずだ。

 

 移住は、拠点を完全に移してしまうことだからしり込みしてしまう。

 ならばデュアルライフをすればいい。都会には都会の良さがあるし、田舎には田舎の良さがある。都会と田舎の両方に拠点があれば、いいとこどりできる。

 

 自治体は移住政策に力を入れているが、移住よりもデュアルライフに力を入れたほうがいいと思う。

 生活の拠点を完全に移すというのは非常にストレスが大きい。

 一方、デュアルライフは、生活の拠点を移すのではなく、増やすということだから、移住よりもはるかにストレスが少ない。

 それでも移住政策に力を入れたいのであれば、移住とのあいだのクッションとしてデュアルライフを推奨すればいい。

 

 経済的にもデュアルライフはメリットが大きい。

 民泊だと宿泊期間が短いので、あまりお金が落ちてこない。

 一方デュアルライフはそこで生活するわけだから、お金がその街に継続的に落ちる。

 デュアルライフは経済的にも価値があるのだ。

 

自治体はいろいろなかたちのデュアルライフを提案すればいい

 デュアラーには空き家をリノベーションして住んでいる人たちもいる。

 

 でもそういうことをする時間やお金がないという人は多いと思う。

 そういう人たちには、デュアルライフ用のシェアハウスを用意したらいい。

 

 今のシェアハウス事業は、一つの家に複数の人が住んでいるのが主だ。

 自治体や企業はこれを参考にして、デュアルライフ用のシェアハウスを地方各地に用意したらいい。そしてそれを民泊と併用して使えばいい。

 

 スーモの調査にもあったように、多くのデュアラーはシェアハウスを活用している。

 シェアハウスにすれば、生活にかかる費用がだいぶ抑えられるから、デュアルライフも気軽に始められる。 

 デュアラーの半数が年収800万円未満で、16%が400万円未満。

 知恵さえしぼれば、デュアルライフにそんなにたくさんの費用はかからない。

 

 自治体と企業がタッグを組んでデュアルライフ事業でも起こせば、コストはもっと下がるだろう。そうすればデュアラーは今後ますます増えていくことになる。

 

ロシアはデュアルライフ先進国

 

 ロシアはデュアルライフ先進国である。

 といっても、ロシア人にデュアルライフという言葉はなじみがない。

 

 ロシアにはダーチヤというものがある。

 ダーチヤとは、菜園つきのセカンドハウスのこと。

 つまりダーチヤとは、ロシア版デュアルライフのことなのだ。

 

 1700年代に、ピョートル大帝が家臣に庭付きのハウスを与えたのがダーチヤの起源。

 一般大衆にダーチヤが広まったのは、第二次世界大戦から戦後にかけてで、食料難がきっかけだった。

 戦争による食糧難で、政府が「自分たちで食料を確保しろ!」と号令をかけ、人々に土地を与えたことでダーチヤが一般的になっていった。

 

   

                   (いずれもwikipediaより)

 

 最初は物置小屋のような粗末な家屋が多かったが、最近では電気・ガス・水道が完備された立派な家も多い。自分の手でこういった設備すべてを作り上げるロシア人もいる。

 

 ダーチヤを持つロシア人は、平日は都市部で働き、週末にダーチヤのある田舎へ行き畑仕事をする。夏のあいだは家族でダーチヤに移り住むこともある。

 自給自足のために野菜をつくる人もいるし、販売するために野菜をつくる人もいる。

 ガーデニングを楽しむ若者や、自然保護の目的でダーチヤを活用する人もいるという。

 

 ダーチヤが普及しているロシアは、デュアルライフ先進国なのだ。

 

 街もシェアしよう!

 世界的にシェアの文化が広がっている。

 

 所有する時代から、シェアする時代になってきている。

 

 あらゆるモノやサービスがシェアされるなら、街もシェアしてしまえばいいではないか。

 デュアルライフで人が街をシェアする。

 多くの人が複数の拠点を持つことで生活を充実させている。

 

 一方、街のほうでも人を囲い込むことなんてしなくていいのではないか。

 デュアラーが増えれば、住民税など制度面で問題が起きるかもしれないけれど、そこらへんは柔軟に制度のほうを変更していけばいいと思う。

 前述したように、デュアラーが増えたほうが、街にとってもメリットが多いと思う。

 

 人々の生き方や生活が、もっと柔軟で多様性に富んだものになったらいいなぁ。

 

参考

「デュアラー」 都心と田舎の2つの生活=デュアルライフ(2拠点生活)を楽しむ人|リクルート住まいカンパニー

 

ダーチャ - Wikipedia

 

統計局ホームページ/平成25年住宅・土地統計調査(速報集計)結果の要約