軽トラキャビン③ 床と壁の骨組み 5日目

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側面の壁。

下辺の長さ216.2cm

上辺の長さ266.2cm

高さ   160cm

 

上のでっぱりは軽トラの運転席の上に来る部分。

ここは横49.5cm

  高さ44.5cm

 

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次はこの前作った床の骨をねじでつなげていく。

 

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まさかのプラスドライバーですよ。

インパクトドライバー使えばあっという間だけど、電動工具買うなら、それを山購入の資金にまわしたい…

 

ドライバーに手を思いっきり押し当てていたので、手のひらに水膨れができました。

資本主義と『マトリックス』

 

 子どものころ映画『マトリックス』が公開されて、あのリンボーダンスで銃弾を避けるシーンをよく真似した。『マトリックス』といえばやっぱりアクションシーンがクローズアップされるけど、大人になった今観返すと、あの世界観に衝撃を受ける。あの映画は学術的にも価値ある作品だと思う。

マトリックス (字幕版)

マトリックス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 『マトリックス』の世界って、資本主義社会と構造がよく似ていると僕は思うんですよ。どちらもアンチテーゼを取り込んでアップグレードする点が特に。

 

 『マトリックス』で、エージェントがモーフィアスを尋問している最中、エージェント・スミスが「人類はウイルスなんだ」と言っている。マトリックスを管理する側のエージェントからすれば、侵入してくるネオたちは秩序を乱すウイルス、アンチテーゼなのである。

 次作品の『マトリックス リローデッド』では、ネオたちがマトリックスの中枢へ入り込む。そこでネオを待っていたのはアーキテクトだった。

 アーキテクトは「あなたは6番目だ」と言う。つまり、ネオの前には過去に5人の救世主がいた。この救世主たちにも、ネオ同様に恋人がいて、恋人がピンチに陥っている。そこでアーキテクトは、恋人を助けるか、ザイオンを選ぶか救世主に選択させた。過去の救世主はすべて、ザイオンを選び、ザイオンを維持するための少数の人間だけが残されあとは抹殺された。そしてまたザイオンから新たな救世主が生まれアーキテクトのもとへ向かう…

 このようにして、マトリックスはアップデートを繰り返して均衡を維持していたのである。ネオたち救世主には、マトリックスにとってのワクチン、アップデート要員としての役割があったのである。

 

 どうしてアーキテクトはこんなややこしい設計を施したのか?

 『マトリックス』で、モーフィアスがネオにマトリックスの世界を教えているが、人類はコンピューターの電力源としてカプセルのなかで飼育されているのだった。そこで見させられていたのが、仮想現実であるマトリックスの世界。

 このマトリックスを最初、アーキテクトは完全に合理的に設計したのだった。だがしかし、人類はこの完璧な世界に拒否反応を示した。だから、オラクルという直感システムを組み込んだ。人類は適度に乱れている世界を好むのである。

 そして、救世主というワクチン(ワクチンは弱めたウイルスのことである)をマトリックスに打つことで、マトリックスの世界はアップデートされ、より柔軟で強固な世界として維持されるのである。

 

 ネオたちは当初、人類を救うためにマトリックスに何度も侵入し、コンピューターがつくったエージェントと闘っていたわけだが、実はそれはネオたちの勘違いで、なにもかもがコンピューターが構築した設計どおりに事が進んでいただけなのである。ネオは結局のところ、コンピューターの手の上で踊らされていたのである。それに気づいてネオは、自分は救世主でもなんでもないと絶望したのだった。

 

 ところが、コンピューター側に予期せぬトラブルが発生する。

 なぜかエージェント・スミスが自己増殖しマトリックスの世界を飛び出して現実に出現してきたのだ。これはさながらアレルギーみたいなものであって、マトリックスの自己防衛システムであるはずのエージェントが過剰反応を起こし、コンピューターを危機に陥れようとしていたのである。

 ネオは、このエージェント・スミスの暴走を食い止めるかわりに、ザイオンへの攻撃をやめてほしいとコンピューターに交渉する。承諾を得たネオは、最後のスミスとの対決に勝ち、ザイオンは救済され、ネオは本当の意味で救世主となったのであった。

 

 

 これが映画『マトリックス』の世界であるが、この世界構造って資本主義社会と同じなんですよ。

matsudama.hatenablog.com

 

 上の記事でも書いたけど、資本主義社会を維持する人材はどこから供給するかといえば、学校が供給するわけです。6歳になったら子ども全員を学校という生産ラインにのっけて、知識とかマナーとかそういうものを注入していくわけです。

 で、テストする。テストしていい点をとる子どもは将来の使い勝手のいい奴隷、つまり資本家とか政治家とか学者の素質があるとみなされる。3年ごとに県レベル、全国レベルの大規模テストをし、そこでいい点をとったら東大とか京大に入れる。で、最終的に就職試験で、頭が良くて、コミュニケーション能力があって、英語が話せて、プログラミング能力がある優秀で使い勝手のいい奴隷を、大企業や霞が関が吸い取っていくのです。

 こうやって1パーセントの使い勝手のいい奴隷と、99パーセント使い勝手の悪い奴隷を選り分けていくんですね。

 

 でも社会を見渡すと、生産ラインから外れた中卒とか高卒みたいな出来の悪い奴隷でも少数ながらちゃんと資本家とか政治家になっているわけです。

 よく考えてみてくださいよ。もし資本家や政治家、学者がすべて、東大とか京大みたいなトップクラスの大学の連中しかなれなかったとしたら?

 東大や京大に入れなかったら、そこでおれはもうだめだぁとなって堕落した人生を送るかもしれない。ただでさえ出来が悪いのに、さらに使い勝手が悪くなるわけです。こうなると資本主義システムは生産性が落ちる。

 そんなことにならないために、生産ラインから外れても資本主義システムは中卒とか高卒でも資本家とか政治家になれるように設計してある。ある種のドリームが用意されている。

 中卒とか高卒は学校という生産ラインにとってはアンチテーゼです。出来が悪い、システムに順応できない連中だから。ネオのような存在です。

 生産ラインにとってのアンチテーゼであっても、資本主義システム全体からみれば、中卒や高卒はシステムを維持するための要員なのです。だから、みんな資本主義システムに奉仕する奴隷になれるのです。

 

 マトリックスにとっても、資本主義システムにとっても、アンチテーゼは重要な存在です。このアンチテーゼを取り込むことによってシステムはより強固なものとして維持されていくのですね。

 

 

余談

もう一つ別の角度から。

消費社会の神話と構造 新装版

消費社会の神話と構造 新装版

 

 

 ボードリヤール現代社会は記号を消費する社会だと上の書で述べています。

 若い子たちはインスタにアップするためだけに、パワースポットに行ったり、タピオカを購入したりしてますよね。このパワースポットとかタピオカってのが、記号です。

現代社会は、このように記号がひたすら消費されている社会である。

 

 この本に感銘を受けたのが、無印良品を創業した堤清二です。

 記号文化からの脱却を目指して、記号のない無印の商品、無印良品を生み出した。

 無印良品の店舗はいまやそこらじゅうにあって「人気ブランド」と化している。

 

 そうなんですね、無印というのがひとつの記号となって消費されているんですね。皮肉です。印がないというのが印となっている。

 

 このように、資本主義はアンチテーゼを飲み込んでさらに発展していきます。

 資本主義はみごとに弁証法を具現化している、ぶくぶく膨らみ続ける風船です。

 

 

 

 資本主義システムは自壊するまで膨らみ続けるでしょうが、ネオのような本当の意味での救世主が現れるのでしょうか。

資本家と労働者の分け方

 

 

matsudama.hatenablog.com

 

この前、上の記事を書いて、じゃあどうやって資本家と労働者に分けるんだろうと考えた。1パーセントの資本家と99パーセントの労働者。これは一つしかない、学校さ。

 

そもそもどうして学校が存在するのかといえば、社会を支える人材を育成するためだ。

資本主義社会は少数の資本家と多数の労働者を要求する。学校は資本主義システムを支える資本家と労働者の育成をまかされている。

 

このように考えると、入学試験とか就職試験というものがどうして存在しているか分かる。将来の資本家と労働者を試験によって選別するためだ。

 

資本主義システムに従順な優秀な奴隷は将来の資本家として、使い勝手の悪い出来の悪い奴隷は将来資本家に使われる労働者になるよう選別されていく。

 

学校は工場なのだ。奴隷を生産する工場。

そういえば学校で使われる言葉と工場で使われる言葉は共通している。

時間割とか、テストとか、不良とかね。

 

不良って言葉、なんかすごいよな。この言葉、いつ定着したんだろう?

工場で不具合のある製品を監視がラインからはじいていくように、学校さぼったり教師に反抗的な不良は入試ではじいていくのだ。不良は資本主義システムには不要ですからね。

 

しかし勘違いしてはいけないが、不良と呼ばれる生徒は、人間的に劣っているわけではなくて、資本主義システムに順応しないから不良と呼ばれるのである。であるにもかかわらず、不良は人格否定されているし、そういうふうに見えてしまうよう私たちは学校で訓練されている。

 

現実社会を見ると、少数ながらも中卒や高卒の資本家がいたり、中卒で総理大臣までのしあがった切れ者もいる。これが資本主義システムのすごいところというか、よくできているなと感じる点である。

だって東大や京大卒しか資本家や総理大臣になれない社会なら、努力を完全放棄する人が大量に発生しますからね。資本主義システムは本当によくできている。学校という製造ラインから外れても、ちゃんと上に行けるチャンスがあるように設計されているわけだ。

 

ここまで来て、資本主義システムは実はあの有名な映画と仕組みが似ていることに気付いた。それについて今度書こうと思う。

 

 

 

マルクス『資本論』 資本家と労働者は支配者と被支配者なのか

 

 『資本論』では、資本家は支配者、労働者は被支配者として描かれている。

 これね、僕は「企業」という枠組みでなら正しいと思うんだけど、「(資本主義)システム」という枠組みなら違うと思うんですよ。

 

 このシステムにおいての資本家と労働者は、支配者/被支配者ではなくて、使い勝手のいい奴隷/使い勝手の悪い奴隷という構図になると思うんですわ。資本家は決して労働者の支配者ではない。どっちもただの奴隷である。

 

 使い勝手がいい、悪いとはどういうことか。

 僕は今、遺跡の発掘作業の仕事をしてるんだが、会社の人の指示に従って、スコップなどの道具を使って土を削っていく。土を削る作業は、地層の土の色の違いをはっきりさせて年代や時代を識別できるようにするという目的のためにある。だから、色の違う土と土の境目は、分かりやすくするために丁寧に削る必要がある。

 で、会社の人の「ここの土削ってください」という指示に対して、ただガリガリ土を削っているだけの人は使い勝手の悪い人。一方、使い勝手のいい人は、ちゃんと土を削る作業の意味や目的を理解して、地層の色の違いが分かりやすくなるように削る。

 

 資本家はシステムが何を指示しているのか理解している。だから使い勝手がいい。一方、資本家に使われる労働者はシステムが何を指示しているか理解できない。だから使い勝手が悪い。

 資本主義システムは合理化を要求している。その合理化のために何をすればいいのか?これが理解でき実践すべきことが分かっている人間が資本家となりお金を儲けられるのだ。

 

 資本主義システムにとって使い勝手のいい、理想的な人間はシステムの合理化に人生を捧げられる人だ。

 雑誌『プレジデント』ではよく、エリートビジネスマンの時間の使い方の特集が組まれている。これを読んでみると、朝早く起きてウォーキングしたり、出勤する前にジムに行って身体を鍛えている。休日は家族団らんで過ごしリフレッシュする。座禅で集中力をアップするなど。

 エリートビジネスマンがエリートビジネスマンたるのは、上に書いたものすべてが仕事のためだからだ。身体を鍛えるのは仕事で成果を出すため。家族団らんも仕事で成果を出すため。座禅を組むのも仕事で成果を出すため。仕事以外のすべての時間も、仕事のための時間なのだ。

 こういう人間が仕事で結果を出す人間であり、資本主義システムにとって理想的な人間なのである。

 これは資本家だけの話ではなく、政治家、学者、スポーツ選手、芸術家なども当てはまる。結果を出す人間ほど、人生すべてをささげるのだ。

 

 まぁ、マルクスのせいで、資本家たちは自分たちがシステムにとって使い勝手のいい奴隷だとは思っていないだろう。だが、彼らは自発的にシステムに隷属している奴隷である。

 一方で使い勝手の悪い奴隷である労働者は、休日は酒を飲んだくれたり、仕事に遅刻したりしてポケ―っと生きている。無駄の多い時間を過ごす。生産性のないことばかりしている。

 だがしかし、こういうふうに考えてみると、資本家よりも労働者のほうが、システムに対する忠誠度が低いということであり、労働者のほうがシステムに人生を支配されていないということである。資本家よりも労働者のほうが自由なのだ。

 

 僕は、雑誌『プレジデント』のエリートビジネスマンについての記事や本屋に羅列されている自己啓発本なんかを見てると「気持ち悪いなぁ」と思う。単に僕がひねくれているだけでしょうか?

 

 

マルクス 資本論 1 (岩波文庫)

マルクス 資本論 1 (岩波文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽トラキャビン② 床三日目

軽トラキャビン 床つくり三日目。

のこぎりでギコギコやってノミでかんかんやった。

 

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荷下ろしするときに単管パイプを通す穴 5cm×5cm

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これを塗ってカビ予防

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釘で固定しようと思って打ち込んだら3.8mmの釘で長さが足りませんでした。

アホです。

軽トラキャビンを作る①

 軽トラキャビンをつくる。

 参考にしているもの

 

 

 


#1【枠組み編】軽トラハウスをDIY!ほぞで組んでなるべく安く自作!

 

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来年の春にはコロナはただの風邪

 今日は4連休の初日。

 今キャンプ場で働いているが、鳥取のキャンプ場は関西からの客でにぎわっている。

 大阪、神戸、姫路、滋賀、京都ナンバーがわんさか。

 尾張小牧や湘南ナンバーもあった。

 

 今日ニュースでスカイツリーが来場者でにぎわっている様子が映しだされていた。

 緊急事態宣言が出されたころより、現在の感染者のほうがはるかに多いのに、家でじっとしていられないのだろう。家でじっとしていたところで、経済は回らなくなるからという方便でみんな外出しているのだろうけど。

 

 毎日感染者数が報道されているが、危機感はかなり薄まっている。

 ただ今年の冬はインフルとの兼ね合いもあって、たぶん緊急事態宣言のときと同じような状況になってみんな外出を控えると思う。

 その後来年の春になると、コロナはただの風邪認定されて通常の活動に戻っていくと思う。