映画『蒸発』を観てきた。
日本では年間8万人が行方不明になる。大半は見つかるが、数千人は、完全に消えるらしい。この映画は、蒸発した何人かへのインタビューや、蒸発を手助けする、いわゆる夜逃げ屋への密着を記録したもの。ドイツ人のアンドレアス・ハートマンと日本人の森あらたによる共同製作。
やっぱり、蒸発した人が向かうのは、匿名性を担保してくれるところで、そこはたとえば釜ヶ崎、大阪市西成区になる。ちょうど、何日か西成に滞在してて、散歩してたところが映っていた。何か意図があるのか知らないが、べつの映画の主人公だった94歳のゲイの人も登場していた。
西成は今、インバウンドがたくさん訪れる街になっていて、自分も、安いから西成に泊まってたわけだが、安くてキレイなホテルが増えている。でもそのあいだにある簡易宿や商店街、天王寺方面へ少し行くと飛田新地もあって、まだまだ異世界的な雰囲気がある。道を歩いていても、スーパー玉出に入っても、時々浮浪臭というか、小便臭い。そして、極めつけは、「居酒屋で覚せい剤を売るな!」という貼り紙。写真に撮っておけばよかった。
終わったあと、監督二人によるあいさつと観客との質疑応答があった。
意外?なことに、日本は蒸発しやすい土壌があるらしい。マイナンバーカードがあるとはいえ強制ではないし、すべての国民がどこにいるかきちんと把握されているわけではない。森監督曰く、日本には蒸発できる土壌、社会の余白がある。ドイツは、日本とは違ってきっちり管理されているから蒸発がしづらいらしい。
あと興味深いのは、ハートマン監督によれば、ドイツは信仰のあるなしに関わらず、キリスト教の神が見ているという感覚が国民にある。だから、どこにいても見られている感覚があり、蒸発にあまり意味がないということだった。一方、日本にはたくさんの神々がいてどこにいても見守ってくれていると言っていた。ここらへんはあまり腑に落ちない。日本の場合、神々ではなく、「世間」が強烈に機能していて、蒸発は自分が属する世間からの逃避だと思われる。
日本には蒸発できる余白がある。映画では、毒親やブラック企業?から夜逃げしてラブホに身を隠すカップルが登場する。二人はラブホで住み込みの労働をしている。日本は、風俗産業が蒸発できる余白として機能しているし、生活保護の網の目からこぼれ落ちる女性たちのセーフティネットとしても機能している。これはなかなか興味深い。生活保護は否応なしに親族に連絡がいくし、そもそも水際作戦で行政が追い返してしまうことも多い。生活保護が表のセーフティネットなら、風俗産業は裏のセーフティネットとなるのだろう。
日本のような蒸発できる社会のほうがいいだろうか、それともドイツのような蒸発しづらい社会のほうがいいのか。映画の本筋からは外れるが、たとえば大分でひき逃げ事故を起こしてその後逃走した八田は、おそらく西成のような匿名性を担保される場所を目指しただろう。蒸発ができる社会だからこそ、逃走犯はそこに潜伏する。
それでも、個人的には、蒸発できる余白はあるべきだと思う。たとえ蒸発しないにせよ、蒸発できる余白がある社会のほうがなんとなく生きやすい気がする。西成に滞在してて、汚なくて臭い街だなぁと思ったし、普通に路上タバコしてるし、奇声を発したり、フラフラしてるおっさんがいるし、たぶん薬物のやりとりもいまだに行われているし、犯罪者もたくさんいるだろうけど、それでも、こういう街があると思うとなんだか気楽になれる。
あと、蒸発という物理的な消失はしなくても、人間関係をリセットする人間はたくさんいる。自分も普通にやっている。これも、ある種の蒸発といえば蒸発だし、それによって自分を救済できるなら、かまわないのではないかと思う。
それにしても、毎年数千人が完全に行方不明になるっていうのは、けっこう驚く数字ではある。自分の意思で消えるのはまだよくて、問題は闇バイトや誘拐で消えてしまうほうだろう。エプスタインの件もそうだし、『テスカトリポカ』や『ストレンジ・デイズ』でも描かれていたが、子どもが性犯罪や臓器売買のターゲットになっている。日本で表にほとんどあがってこないのは、権力者が関わっているからだろう。