読んだ本、観た映画の感想

アマゾンプライムで鑑賞。

100年以上前に翻訳された外国の本で、ゲイは変態性欲で異常と記載されていた。その後の本でも、ゲイは異常性欲によるものとされた。これによって、世間のゲイへの視線は異常なものとの認識になった。

94歳の長谷さんはゲイであり、当然カミングアウトせずに生きてきた。家族や職場の同僚とは深い繋がりができず、孤独に生きてきた。時代が進み、LGBTへの理解も進み長谷さんはようやくカミングアウトできるようになった。友達や支えてくれる人もできた。

とはいえ、長らくゲイの人たち、もちろんそれ以外の性的少数者も、本当のことを周囲に言えず、孤独を抱えて生きてきたわけで、彼ら彼女らが今の時代に生まれていたのならどんなによかっただろうと思う。自分はLGBTではないが、長谷さんの孤独はわかる。だからこそ、その辛さが想像できた。

アウティングを三重が条例で禁止したことが話題になった。ゲイであることをアウティングされた一橋大生が自殺したことも問題になっていた。これは難しい問題で、普通に「彼女いる?」という話から「いない」「なんで作らないの?」という流れになって、少数者はそこで偽らなくてはいけないから、自分で自分に嘘をつくことになってしんどくなる。向こうもべつによくある会話のタネとして振っているだろうし、なんの悪気もないだろう。だけど、こういう何気ない振りをされるごとに、自分は普通ではないのだと傷ついていくのだ。

でも、じゃあこんな何気ない話でさえ、意識して聞かないようにしようと決められてしまうと、会話のすべてがぎこちなくなる。ちょうど、面白い動画がAIによるフェイク動画じゃないかとワンクショッン疑いをはさまないといけないめんどくささと似ている。これはLGBTだけの話ではないのだ。世の中には明示されてないだけで、誰もが聞かれたくないことの一つや二つあるだろう。

あー、難しい世の中である。みんな、生きやすい世の中にしようと動いてて、実際に生きやすくなっている。と同時に、意識しないと地雷を踏む世の中になってしまった。疲れる。

 

これも難しい問題だ。生活保護がテーマの重たい話。佐藤健阿部寛の映画を観て、小説も読んだ。なぜ映画では、カンちゃんを女性にしたのだろう。

利根とカンちゃん、けいさんは、他人どうしだが家族のような関係を築いていた。けいさんは年金を受け取れず、貯金を切り崩す生活をしていた。利根とカンちゃんはけいさんに生活保護を受けさせるべく保健所に行くが申請は却下される。けいさんは餓死してしまう。復讐のために、申請を却下した職員たちを殺害する。

生活保護に限らないが、結局支援を受けるべき人間は受けられず、支援を受ける必要のない人間が支援を受けている側面がある。それは、情報をゲットできるかできないかの差で、うまく生きている者はうまく情報をキャッチするがゆえに楽をできるが、そうでない者は情報をキャッチできずに困窮する。こうした矛盾はどうしたらよいのだろうか?

 

なんか、全編にわたって愚痴が連ねてあって辟易した。会ったこともない人を悪く言うのはあれだが、いろんな人がこの人にきつく当たるのは、なんとなくこの人にも問題があるからのような気がする。

この人も生活保護を受けようと役場に行ったらしいが、住んでいる家の家賃が基準を超えているために引っ越ししないといけなかったらしい。それで、泣く泣く諦めたのだと言う。しかしなぜ4時間の夜勤工場にこだわるのだろうか?

こういうのももしかしたら、うまくやる方法があるのかもしれない。生活保護に限らず、いろんな支援制度があるはずで、でも生活が困窮していたら、そういうのを調べる体力も気力もあまりないだろうし、そのうえでややこしい書類に、いろんな証明を手に入れるなんてことして、役場の人間に却下されたらもう、耐えられないだろう。

役場の人間も、予算がきまっているなかでやりくりしているわけで、意地悪したいわけではないだろう。制度のはざまで取り残される人は、たくさんいるだろう。それこそ引きこもりやニートなどは取り残されているだろうが、じゃあ彼らは生活保護を受けられるのか。社会全体の余裕がなくなっていくなかで、生活保護をはじめとする支援制度はどんどん削られていくだろう。こうやって国家は崩壊していくんだろうな。