昨日最終回だった。面白かった。名探偵コナンみたく、1話ごとに完結するテーマがありながら、同時に全体を通して大きな闇に迫るという構成で最後まで興味を持って観ることができた。
予告?で「日本教育の破壊を俺に命じる」とあって、破壊とは何を意味するのだろうと思った。あと、単なる教育の破壊ではなく日本教育としたところには何か意味があったのだろうか。
教科書や学習指導要領、ヤングケアラーの問題など重いテーマの話が多く、でもそれをうやむやにしておくのではなく、みんなで話しあいながら一つの答えを見いだしていく。これはたしかに、テストで点を取るための従来の教育とは全く違ってて、これが日本教育の破壊と言われればたしかにそのとおりだと思った。
一方で、全体を通して迫った裏口入学に対する政治や官僚、学校の癒着を告発するということに対して、これは日本教育の破壊なのかと思った。現実でも裏口入学はあって逮捕者も出ていたはずだが、そういうのがあったところで現実の教育はさして変わっていないようにみえる。だから、ドラマの物語全体を使って裏口入学に関わる者たちを告発したところで、これが破壊なのかと疑問に思った。とはいえ、そもそもとして、こういった大きなテーマや社会の巨大な闇、黒幕に迫る話は視聴者が食いつきやすいから、戦略としてそういう話題にしたのかもしれない。
最終話だからというのもあるけど、御上先生が卒業式後に語った答えのでない質問を考えつづけることの重要性というのが一番、日本教育の破壊として印象的だった。これだな、裏口入学とか社会の闇とかはおいといて。
8話か9話で、古代理事長が、自身のもとに追及にきた神崎君に、この二十年で自律した生徒は君が初めてだみたいなことを言っていた。これは、現実の学校教育に対するきつい皮肉だなと思った。隣徳は県内トップの東大合格者数を誇る学校であるにも関わらず、自律した生徒は神崎君以外にいないという事実。現実では、優秀な生徒たちのなかでどれほどの子が自律して思考できているのだろう?
自律というのが、神崎君のように、社会に対して疑問をもって追求しようとする姿勢をいうとしたら、そもそも東大に合格にする人間は現行システムで最も成功している人たちなわけで、自身を評価している社会システムに疑問を持ち社会を変えたいと思うはずがないのだ。それでも、御上先生のいうように、社会システムに虐げられている弱者に寄り添うことができるのなら、本当のエリートだといえる。それができない政治家ばかりだからこそ、日本がこんなことになってしまったわけだが。
学校教育と政治における最大のパラドックスはこれで、学校は教育と選別という二つの機能を持っていて、残念なことに教育と選別がタッグを組んで政治を歪ませている。
優秀な生徒が将来政治家や官僚へと選別される。優秀ということは現行システムで評価されているということであり、自身を評価するシステムをわざわざ変更したいとは思わない。政治の役割の一つは分配なわけで、エリートは本来弱者に寄り添うような制度設計をし、実り多き者から多くいただき少ない弱者へと分配しないといけないが、そういった変更は優秀な人間からすれば自身が損をすることになるわけで、システムを変更する必要性を感じない人間がわざわざそんな損なシステムへと変更するはずがないし、搾取された経験がないからこそ弱者の痛みを想像することができない。
石破茂の10万円商品券はそれを象徴していて、庶民にとっての10万がどれほど大きいものか想像できないからこそ、たかが10万と商品券を配れたのだ。これは石破茂だけの話ではなく、ほとんどの政治家、特に二世など幼少から恵まれた生活を送ってきた者には分からないだろう。こういった想像すらできない者は、分配を担う政治家の職に就くべきではないのだが、そもそも金とコネがなければ政治家にはなれないので、結局弱者の痛みが分からない強者が政治を担い続ける。
御上先生はおそらく恵まれた家庭で育ったが、兄が弱者に寄り添えるエリートとして自死したからこそ、ああいう人生を歩むことになったのだろう。
御上先生についてのヤフー記事で、29人学級であることの意味を考えてほしいみたいなことを松坂桃李か岡田将生が言っていた気がする。結局、その答えが分からない。現実では35人学級とか30人学級とかだが、それでは多すぎるというメッセージなのだろうか。調べてみたが、答えは載ってなかった。御上先生の言うように「考えて」ということだろう。