『ひきこもりの国』感想

2007年発行。17年前に発行されたものなので、本に書かれていることと現在の日本の状況が違うところもあるが、本質的な部分は何も変わっていないと感じた。

本では女性を取り巻く状況の悲惨さについて書かれているが、フェミニズム関連のところは最近日本でも取り上げられているし、ひきこもりはインターネットをあまりしていないとあるが、2007年以降にフェイスブックとかのSNSが日本を席巻したから、それも引きこもりの生活を変えたと思う。今ではひきこもりもインターネットは普通にやっていると思うけどな。

読めば読むほど陰鬱な気分になってくる。出口のみえない閉塞的な迷宮のなかでさまよっている気分になる。どう動いても詰んでるじゃん、それならもう動かないほうがいいというひきこもりの呻きは、ひきこもりではない自分でも分かる。

ひきこもりは繊細で賢い、著者がインタビューしたひきこもりの言葉を読んでいるとそう感じる。分かってしまっているんだよな。普通に働いているエリート、社会の成功者のインタビュー記事も本に出ていて、じゃあその成功している人は幸せに暮らしているかというと決してそうではなく、彼らは彼らでうつ病になったり、苦しんで自殺していたりしているのだ。だからみんなそれぞれの事情で足掻き苦しんでいる。

なんなんだろうな、自分も自分が求めていた暮らしが実現できているのに不安で、これで大丈夫なのかと思っているんだよな。別に、もっと上を目指すとか上昇志向の人間ではないし、自分に過度に期待しているわけではないし、自分の人生に絶望しているわけでもない。なのに、形容しがたい、よくわからない不満や不安がたまに訪れる。これは日本人に組み込まれているDNAのせいなんだろうか。客観的に見て満ち足りた状況にあっても、これで大丈夫なのかと心配してしまう心性は日本人特有のものなのだろうか。

日本人は他者や制度に助けを求めないという本書での指摘があるが、確かにその通りで、そりゃ子供の時から人様に迷惑をかけるなと叩き込まれてきたから、安易に弱音を吐くことができない。苦しんでいるほうが他者から励まされたり同情されるから、楽したり楽しんだりできない。だからこそ残業するし、やりたくもない努力や勉強をする。

本では、日本と韓国は隣国でとてもよく似た国であるにも関わらず、経済困窮した韓国は改革を一気に推し進められ復興したと賞賛する一方、日本はいつまでも体制を変えられず衰退の一途を辿っていると批判する。

とはいえ、そもそもこうした誰も責任をとらない、改革もできない日本なのに、世界でトップクラスの経済大国であるのはたしかなわけで。それがまたこの国の不思議なところではある。本書が出たあとも、相変わらず政治家はクソで裏金問題を解決する気はないし、派閥の幹部は責任をとらない。ずっと変わらない、改革もされないし、これからも何も変わらないだろうが、なんだかんだ日本は衰退しつつも生き残っていくとは思う。

オリンピックみてたらよく分かるように、この国をダメにしているのは高齢者で、選手たち若者はアスリートとしてだけでなく、人としても素晴らしかった。これから、今の政治や経済を牛耳っている高齢者は死んでいくわけだから、日本も良くなっていくだろう。それに期待したい。ひきこもりも、日本がもう少しまともになれば外に出てくるかもしれない。