30歳の今でさえ分からない

ヤフーニュースより

news.yahoo.co.jp

 

LGBTQという言葉が一般的になっている。この記事では、他者に恋愛感情や性的感情を抱かない「アロマンティック・アセクシャル」について書かれている。たしかにこうやって言葉にしてもらえるおかげで一般認知されるわけだが、性自認にしても、性的指向にしても、白か黒かではなくグラデーションになっていると思うんだよな。言葉として固定されてしまうと、グラデーション部分が消えてしまうような気がする。

30になった自分は未だに自分の性的指向が分からない。たぶん自分はアロマンティックであり、アセクシャルなんだと思う。でもやっぱりよく分からないというのが正直なところではある。

まず男には興味がないからゲイではないというのはたしかだ。じゃあ女の子には興味があるのか、これがよく分からないんだよな。かわいい子や美人は目で追ってしまう。でも、その子と付き合いたいかと聞かれたらよく分からない。どちらかというとめんどくさいという気持ちが勝る。ヤりたいかと聞かれたらどうだろうか、うーん分からない。一人ではする。が、生身の女の子を見たときにヤりたいなという気持ちは起こらない。よく女性が気持ち悪い男に向かって「生理的に無理」という言葉を使うが、女性に対して生理的に無理だと感じたことはない。だけどなんだろうな、N極とN極が見えない力で避けるような感じで、自分に好意を持ってそうな女の子を避けてしまう。どうしてもそうなってしまう。そのたびに申し訳ない気持ちになる。

自分は働きたいときにしか働かないフリーターで、お金は使わないので特に金には困っていないが、付き合えば当然金がかかるので自制心が働いているのかもしれない。お金がないから恋人をつくりたいけどつくれない若者が多いと主張をする学者はいる。まぁたしかにそれは自分にも当てはまるのかもしれない。が、学生時代も今と特に変わらなかった。自分を好きになってくれる女の子はいくらかいて、でも自分は好きにならなかった、いや好きかもしれないと思ったが閾値を超えることはなかったと表現したほうが適切なのか。かわいいし、性格もいいし、たぶんモテてるんだろうなという女の子たち。自分の好みではなかった、ということなのだろうか、それは分からない。自分の好みというのがそもそもよく分からない。

記事にあるように、「どうして彼女つくらないの?」と訊かれるのは苦痛である。好きにならないのだからどうしようもない。いいなぁと思っても、好きだ、付き合いたい、ヤりたいまでいかない。いじられても記事の人のように、笑ってやりすごすしかない、自分ですらよく分かってない自分の性的指向について話したって仕方ない、どうせ理解されないのだから。分からないんだよ、もしかしたらまだ本当に好きな人と出会ってないという可能性だってあるのだ。学生時代は、自分は人を好きにならないのか、それともただ出会ってないだけなのか、何度も悩んできた。そして30になってもそれは分からないんだよ、さすがに30なんだから「自分はやっぱりアロマンティックでアセクシャルなのかなぁ」とは思い始めている。でも、できないからといってしたくないというわけではないんだよなぁ。

いまだに揺らいでいる状態だから苦しいのだろうか。記事では、恋愛はしてもいいし、しなくてもいいとある。コメントでは、本人は好きで生きてるとある。揺らいでいる人間はそうじゃないんだよな、どうしていいのか分からない。どうしようもないから、まぁなるようにしかならないと放ってはいるが。

 

書いたらなんか整理されるかなと思ったが、ごちゃごちゃのままだ。