https://news.yahoo.co.jp/articles/d1faca457407728c2e6b7110b3a47263a8fbc2b2
ヤフーニュースで小泉進次郎が失速かという記事があった。コメントで、識者は進次郎の受け答えが評価されていないとか、立憲民主党で野田が代表になって自民が刷新感だけでいいのかと思われている等の要因があると述べている。一般のコメントでも、石破や高市は長い議員生活で勉強してきて知識に裏付けされた説得力ある受け答えをするが、進次郎は付け焼き刃的だというコメントが多くの共感を集めていた。
小泉進次郎の肩を持つわけではないが、国民の多くが若い議員がリーダーになることを望んでいるのに、その一方で知識がないとか付け焼き刃だと批判する。いやいや、若いんだから仕方ないでしょ。自分は、誰が総裁になろうとどうでもいいし、誰がなったところで自民は一回下野したほうがいいと思っている。なぜ、ネガティブな側面しか見ないのだろうか。
政治に関連して、10年くらい前にSEALDsという大学生の団体が国会前で安保法案反対のデモをしていた。Xでデモの日時をツイートし、集まった人たちで、コールとかラップとかでデモをしていた。で、SEALDsが注目を浴び、その代表がテレビに呼ばれ、識者のおっさんとかと討論していて、ボコボコに論破されていた。
もしかしたらテレビ局側の演出だったかもしれないけど、識者のおっさんは大人げないなと思いながら観ていた。SEALDsの代表は大学生で、知識ももちろん識者に比べたら少ない。しかも、テレビは初出演で緊張しているだろうし、そういう状況でボコボコにして識者やあるいはテレビ局は一体なにがしたかったのだろう。
少なくとも、識者よりSEALDsの代表のほうが行動力も影響力もある。でも識者のほうが知識があるから、建設的に討論すれば良かったのに、ただの言い合いというか説教みたいになっていた。なんか、いろいろともったいない。論破王とかしょうもない言葉が流行っているけど、日本人は議論だけでなく対話の練習もするべきだと思う。特に高齢男性の多くが、議論にしても日常会話にしても、人が喋っている最中に割って入って自分の話を延々とし始めるので辟易する。みっともないし、ああいうのとはそもそも議論にならない。
祖母は認知症で、母は毎日祖母を怒鳴る。認知症だからどうしようもないのに、どうしようもないところを毎日責め立てる。でも、祖母は以前うんこを漏らしていたのに漏らさなくなったし、犬に与えてはいけない食べ物を与えなくなった。そういうポジティブな面に母は注目しないのだ。
この国の人間、というと主語が大きすぎるかもしれないが、できる部分、ポジティブな部分よりできない部分、ネガティブな部分に注目してひたすらそこを責める傾向がある気がする。できないことを責められ、そこを克服すると今度はべつのできないことを責められる。これでは自信や自己肯定感は育まれない。日本人は謙虚と言われるが、裏を返せば単に自信がないだけだと思う。
ネガティブな面を指摘して改善することは間違っていない。でもポジティブな面、できないことができるようなったという点にもっと注目するべきだと思う。