事実はことわざより奇なり?

兵庫県知事選の結果が衝撃で、選挙後になんで斎藤さんが再選したのだろうと気になって、いろいろ調べてみたら、なるほどこういう裏があったのかと納得した。

今回の一連の問題の発端となった、西播磨県民局長の自殺。その局長が仕事中に同僚と不倫し、しかも公務で使うパソコンに不倫日記を残していたという、極めてまぬけなことをしていたことについて、なぜかマスメディアは一切報じない。そして、斎藤知事へのクーデターを起こすのが目的ということもパソコンに残されていたらしい。

NHKをぶっ壊そうとしている立花さんが兵庫県知事選に出馬したのは、マスメディアが報道しないこの真実を明らかにし、何も悪くない斎藤さんを擁護するためだったという。知事になるために立候補したのではなく、斎藤さんを知事にするためという目的の前代未聞の立候補。そして結果的に、彼の応援がなければ斎藤さんは再選していなかったかもしれない。彼がいうには、県民局長が自殺したのは、自身の不倫が明らかになることが恥ずかしかったからで、怪文書を書いたのも責任を全部嫌いな斎藤さんになすりつけるためだったらしい。

何が事実でそうでないのか分からないが、とりあえず事実なのは、局長か不倫してその模様を公務で使うパソコンに日記として残していたこと。選挙期間中の非公開の百条委員会の音声データがユーチューブにアップされている。そこでは、片山元副知事がこのことについて話そうとすると、新聞記者が脅すようにして口止めさせようとしている。

この一連の流れをネットで知った有権者、特に若い世代が投票に行き、斎藤さんに投票し再選した。そして、マスメディアは信用されていないという事実も明らかになった。

 

今回の兵庫県知事選は、日本の民主主義を大きく変える出来事だった。ネットがマスメディアよりも力を持ったという点、多くの若者が投票に行きそして投票した人物が当選したという点において。

そして、こういうことになったきっかけが、県民局長のまぬけな不倫である。結果的に、不倫が日本の民主主義を変えたのである。何といえばいいのか、実に滑稽である。

風が吹けば桶屋が儲かるということわざがあるが、事実はことわざよりもはるかにスケールが大きい。不倫が民主主義を変え、マスメディアを殺そうとしているのだから。風が吹いたという事実と桶屋が儲かったという事実のあいだにはいろんな要素があって、それが連なっていって最後桶屋が儲かるにつながる。今回の知事選も、いろんな要素が絡まっている。

そもそも、局長が不倫をせず、公務用パソコンに不倫日記を残さなければ、こんなことにはなっていなかった。立花さんが斎藤さんのために立候補することもなかったし、マスメディアの隠蔽もなかった。同時期に、国民民主党の玉木代表の不倫が明らかになったことも影響しているだろう。なぜ、玉木代表の不倫は大々的に報じるのに、県民局長の不倫については一切報じないのか?プライベートなことだからという言い分は通じないだろう。こういうことも、テレビ不信につながっている。その他、自殺した局長の妹が朝日新聞の子会社役員であることがマスメディアの隠蔽と関連しているのではないかとか、真偽不明確な諸々の要素が積み重なった結果が斎藤知事の当選である。

局長の不倫がすべての発端で、それが結果的に日本の民主主義を変え、マスメディアを殺そうとしている。今後有権者は、テレビや新聞の情報を鵜呑みにすることはないし、ネットとの情報を比較し、自分で判断し、投票することになる。今回、若者の投票が選挙に大きく影響したおそらく初めての選挙であり、この成功体験は今後、多くの若者に選挙に足を運ばせるきっかけとなるだろう。新聞は購読者数が減り続けているが、今回の件でその減少スピードは加速し、新聞社の倒産はより速まった。テレビにも同様の未来が待ち受けている。

繰り返すが、これだけのことをたった一人の人間の不倫がきっかけとなって達成してしまったのである。党内野党だった石破さんでさえ、首相というもっとも権力のある地位についても、何らかの力に屈し結局何もできていない。なのに、たった一人の不倫が誰にもぶち壊せなかった既得権益を破壊し社会を激変させようとしているのである。それも、不倫日記を公務用パソコンに残すというまぬけな行為によって!

 

歴史というのは案外、こうしたまぬけなことが発端となって、変わってきたのかもしれない。不倫をすればマスメディアが死ぬというようなバタフライエフェクトによって、社会は変わり歴史が紡がれてきたのかもしれない。マックスウェーバーの、利子を否定したプロテスタントの倫理が、結果的に利子の自己増殖運動である資本主義の精神を社会に根付かせたという主張も同じ類の話だ。自殺した県民局長も、自分の不倫が社会を変えてしまうことなんて考えもしなかっただろう。

だから今生きているわれわれは本当に、とんでもなく面白くて歴史的な瞬間に立ち会っているのである。自分は今、無性にワクワクしている。社会が大きく、しかもおそらく良い方向へと向いつつあるのだから。まぬけな一人の不倫が社会を変えてしまうことを知ったわれわれならば、自分の人生が無意味でつまらないと思わないだろう。自分の小さな行動が、社会を大きく変えるきっかけになっているかもしれないのだから。

久しぶりにテレビをたくさん観た

昨日から今日にかけて、雨がひどく寒かったので、家でテレビをずっと観ていた。

日曜の昼から、日本の技術の底力ということで、鉄道の特集がされていた。トロリー線という電車の上を通っている線や列車のドア、四十年放置されていたSL車両の復元、線路と道路の両方を走れるバスの開発など、めちゃくちゃ面白かった。日本の技術の素晴らしさを堪能できた。まさか、列車のドアが薄いアルミ板と紙でできているとは!

次に観た、屋久島の巨大樹を探す番組も面白かった。空からどこに巨大樹が生えているかをマッピングしていって、その後屋久島でツアーガイドをしている人たちが地道に巨大樹を探していく。高さ40メートルを超えるものや、周囲15メートル近くのもの、樹齢数千年の巨大樹が次々見つかっていた。とても興味深かったのは、巨大樹の上のほうで伸びている枝につく苔に枯れた葉が堆積し土となり、そこに地上では見られない植物たちが新たな生態を形成しているというシーン。あとは、屋久島では鹿と猿の仲がすごくよくて猿が毛づくろいしてあげてたり、鹿が猿を背中に乗せてあげていたりしていたのが印象的だった。

その次に、フジテレビのノンフィクションで東京の家賃二万五千円の物件に住む夢追い人たちに密着した番組を観た。日曜に放送されていたのは後編で、録画しておいた前半と合わせて観た。

一人は石川から出てきた33歳の演劇青年で、もう一人は埼玉から出てきた27歳のお笑い芸人。もちろん、二人とも売れていない。

自分も世間的な価値観からすれば、彼らとどっこいどっこいのレベルだから親近感が湧く。べつに自分は夢を追っているわけではないし、演劇やお笑いのような厳しい道を歩んでいるわけではないけど。世間の価値観よりも、自分の価値観を優先する彼らの生き方は、どんなに稼いでいる人たちや偉い人たちよりも眩しく見える、とくに演劇青年のほうは。あるいは、選んだというよりもこれ以外の道を歩むことができなかったというほうが正確かもしれない。いずれにせよ、家賃や生活費をギリギリに抑えて、自分の選択した道に時間とお金を全振りするというのは、なかなかできることではない。しかし素人目に見ても、二人とも成功できるようには全く見えなかった。彼らは何歳まで、自分の可能性を信じ続けられるのだろうか?

だからこそ、尊い。底を這い泥水をすする者にしか醸し出せない独特の匂いがあるからだ。自分にとっては、こういう人間のほうが、社会で成功している者たちよりも、人間的な臭みを感じて面白いし興味深い。彼らは、コスパやタムパという合理的で極めて資本主義的な、ゆえに極めてつまらない現代社会において絶滅危惧種の人間たちだ。昔は、こういう人たちがたくさんいたんだろうけど。お笑いにせよ、演劇にせよ、コスパやタムパなんて言葉はオレの辞書にはねぇ!みたいなやつにしか挑戦できないだろう。だから尊いのである。成功してほしいけど、しないでほしい!

 

報道番組の偏向性の酷さとか、規制に次ぐ規制とかを鑑みても、テレビはオワコンと言われて仕方ないと思うが、言っても「マス」メディアで、個人でやるユーチューバーとは比べ物にならないくらいの力はあるのだから、マスにしか作れない番組を作っていってほしい。

 

一番の敗北者

びっくりしたな、斎藤さんが再選するとは。

兵庫県民じゃないから誰がなってもかまわないが、知事選の結果よりもテレビや新聞といったマスメディアへの不信感がここまで大きいのかと衝撃を受けた。

あれだけメディアがネガティブキャンペーンをやっていたのに、兵庫県民は斎藤さんを支持した。この結果は本当に大きい。今回の一番の敗北者は、マスメディアだなと思う。

自分はSNSを一切やらない、テレビはそこそこ観る。新聞は毎日全ページ目を通す。こういう人間からすると、メディアの力の潮目が変わったなと思わされた。テレビや新聞の影響力の減退と偏向報道のいびつさを今回まざまざと見せつけられた。

アメリカ大統領選の報道も、ハリスとトランプは拮抗しているという報道だったのに、蓋を開けてみればトランプの圧勝だった。メディアは一体何を見ていたのだろうと思わされた。

潮目が変わり始めたのは東京都知事選で、当初小池対蓮舫という構図でマスメディアが報じていたのが、そこに石丸さんがネットの力を使って割って入り、最終的に二番目の得票数を得た。とはいえ、小池さんが圧倒的な得票数で再選したから、ネットの力はすごいなと思いつつも、まだまだマスメディアが健在だった。

ところが今回の兵庫県知事選は、完全にネットの力がマスメディアを凌駕した。この結果は、普段テレビや新聞にしか触れない層に衝撃を与えたと思う。そして、マスメディアはおかしいなとうすうす感じていたが、それが完全に表面化した。

にしても、職員が自殺して斎藤知事に関するパワハラ問題が一斉に報道されたあの時、どのメディアも斎藤知事をやめさせるためのネガティブな報道しかしていなかったので、恐ろしさしか感じない。県民へのインタビューでも、自分の観ていたかぎり、やめさせろという人の声しか報道されていなかった。それで県議会も不信任決議を可決し、今回は県内の市長が軒並み尼崎市長だった稲村さんを支持するという圧倒的な逆風だった。

結局、パワハラ問題がどうだったのかとか分からないが、それでも県民が斎藤知事の仕事を評価していたわけで、メディアや議会などのネガティブキャンペーンに県民が流されなかったというこの事実は、これからの選挙に大きな意味を与えると思う。今回、若者の多くがSNSを見て投票に行き、斎藤さんが再選する大きな原動力になった。多くの若者が選挙に行き、ちゃんと結果として現れたというこの事実は、これからの日本にとって大きな希望である。SNSの情報の不確かさはさておき、今回、ネットがマスメディアよりも力を持ったという点、兵庫県民が国民の選挙に対する意識を変えたという点でとても興味深い選挙だった。

 

今週考えたこと

ときどき、ふとした瞬間に過去の嫌な出来事とか言われて嫌だったことが思い出されて、ああぁ…と嫌な気分になる。それで、その言われた言葉とともに言った人間のことも思い出すのだが、だいたい年のいったおじさんというかおじいさんで、なんかこいつらやたら否定してくるやつらだったなとうんざりする。なんというか、張り合う?といえばいいのか否定しないと気がすまないというか、そんな感じだった。

で、この人らはだいたい老害と呼ばれる世代で、すぐにキレるし、延々と説教するし、話せばずっと自分の過去を自慢するし、そして相手の否定ばかりするから老害と呼ばれても仕方がない。

なんでこんなに、わざわざ、相手の嫌がることをするのだろうと思うのだが、最近ふとこの人たちは、かわいそうな人たちなのだと思い当たった。

おそらく彼らの上の世代も同じか、もっとひどかったのだろう。体育会系の伝統と同じで、負の遺産が今まで連綿と受け継がれてきたのだ。それが当たりまえで、だからこそどいつもこいつもすぐにキレるし、延々と説教や自慢を垂れ、相手を否定する。そういう文化で、これが当たりまえ、つまり全員が老害だったから、老害という言葉自体が存在しなかったのだろう。

ところが、下の世代がこういう人間は害悪だと認識し始めたことで、当たりまえだったその人格は老害認定されるようになった。

だから、かわいそうなのである。いったん形成されたその人格が簡単に変えられるはずもなく、上の世代の人たちも自分たちも長年それでやってきたのに、自分たちの代から急に老害認定されてしまって社会から疎まれる老害たち。

まぁかわいそうだからといっても、やっぱり老害とはなるべく関わり合いたくないのだけど。

 

 

闇バイトで逮捕される若者は金に困っている。スマホゲームに課金して借金を背負い、闇バイトとは知らず闇バイトに応募してしまう無垢な少年も多いという。

大前提として、どんな事情があるにせよ、強盗も殺人も許されない。でもこういうのを自己責任として突き放すのはどうかと思うんだよな。そう思うのは、一歩間違えば、自分も闇バイトに絡んでしまう可能性もあると考えるからだ。自分も、というか誰もが、巧妙に仕掛けられた罠にはまってしまう可能性はある。

自分が大学に入りたての頃を思い出しても、あのときは都会に初めて出て知らないことばかりだったし、相談できる相手も近くにいなかった。田舎で勉強しかしてこなかったし、普段付き合う大人も親と教師くらいしかいなかった。もちろんテレビをみれば、犯罪者や汚職をする政治家といった悪い大人が映し出され、悪い人間が世界にいることは知っていても、そこに実感はなかった。だから、大学に入ってすぐの頃、統一教会の人間が近づいてきて入信させられそうになった。

悪い人間は、当たりまえだが悪く装って近づいてくることはないわけで、巧妙に騙して戻れない状況に追い込んでから実体を現す。統一教会も大学のボランティアサークルと装っていたし、闇バイトもホワイトバイトと装って募集する。それを、何も知らない無垢な若者が見破るのは難しい。そして、気づかず入ってしまった沼に、入ったのはお前なんだからと、自己責任だと突き放すのは酷だと思う。

こういうとき、でも騙されない人間もいるという反論をする者もいる。自己の責任でやってしまったのだから、仕方のないことなのだと。ギャンブルも、薬物も、その他もろもろ、結局自分の意思でやってしまったことで、同じ状況でもハマってしまわなかった人間もいるんだから、と言う者。

こういう自己責任論を唱える人に対して思うのは、でもそれは紙一重の違いで、ハマらなかったのは単に運が良かっただけということだ。自分も一歩間違えれば巻きこまれていたかもしれないという想像ができないのだろう。

自分は闇バイトをしたことはないけど、もし今自分が大学に入りたてぐらいの年齢で、何も知らなければ闇バイトをしていたかもしれないと思うことはよくある。特に今は、自分が大学生だったころとは違って、より罠が巧妙になっている。AIが一層発達しているから、今後もさらに巧妙になっていくだろう。

じゃあどうすればいいのかという話になるが、自分も分からない。少なくとも闇バイトをする手前で警察に相談した人はちゃんと保護されるべきだし、一番はさっさと首謀者を捕まえることだが、詐欺はもうグローバルなものになっているからなかなか捜査も大変だろう。痛い目に遭ったり失敗しないと、知識が身についていかないという側面はあるから、一度失敗しても立ち戻れる社会でないと人生の取り返しがつかなくなる。

 

 

スマホを寝る直前まで見ていると眠れなくなるし、寝ても眠りが浅くなるので、寝る一時間くらい前にやめて、本を読むようにしている。

だけど最近やるべきことが多くて段取りを考えてしまい、本を読んでも字面を追うだけになってしまって、なかなか内容が頭に入ってこない。

人生でもこういう状態ってあるよなとふと思った。字面だけ読んでて内容に入っていけない感覚。人生の表層のみを歩いてて、その深みに入っていけないような感じ。何がなんなのか分からず、ただこなしていて勝手に進んでしまっている感じ。

闇バイトに加担してしまう人ってこういう人が多いんじゃないかなと思った。金を稼がなきゃ、あ、このバイト稼げるな、やってみよう、行ってみたら強盗だった、人を殺してしまった、逮捕されてしまった。人から物を受け取った、中身はよく分からない、あれ逮捕されちゃったみたいな。

ベルトコンベアに乗って、ボッーとしてたら、地獄に行き着いてしまった、みたいな。いや、たしかに乗ったのは自分の意思だけど、うーんまあ愚かだった、バカだったというのは簡単だけど。

話が逸れた。表層だけ歩いてて、中に入っていけない感じ、人生にもあるよなと。べつに表層だけの人生だろうと、中に入っていける人生だろうと、人生は人生で、そこに優劣とかはないわけだけど。まぁでも、ハイデガーは、他人とのおしゃべりに興じたりする生き方は、自分の可能性から目を逸らした非本来的な生だと言ってたわけだけど。

自分が、同級生との縁をすべて切ったのもそこら辺にあるのかもしれない。結局マウントの取り合いというか、今どこの会社で働いてるとか、年収とか学歴とか、結婚とか子育ての愚痴だとか、そういう社会一般の価値観で相手を値踏みして序列をつけるという、一歩外から眺めてみればクソどうでもいい檻の中。でも、檻の中に入っていると、そのどうでもいい競争のなかで疲弊していって、それが本当はどうでもいいことだと気づけなくなる。うんざりする。田舎だから、同級生一人に会えばもう、ネットワークに絡め取られてしまう。煩わしいことこの上ない。

いろいろ雑記

なんか合わない人嫌な人っているんよな、他の人とどう違うのだろう、もやもやと心に残るからさらに嫌な気分になる。めったに会わないし、名前も知らないし、向こうも知らないだろうから、お互いあいさつもしない。だけど、なんか嫌な感じが心に残る。

 

数年前、ネット上の仕事で、なんかの記事を読んで感想を書くという単純な作業をして報酬120円くらいもらった。その記事を書いた人はおそらく情報商材を売っている人で、商材屋はその感想を書いた人間に商材を売りつけるために、感想を書くという仕事でカモを探していたのだと思う。そこから商材屋のメルマガというか不定期に来るメールを楽しみにしている。

20時から【新企画】を始動させようと思ってます。

恐らく今までに誰もやっていない

前代未聞の企画になると思います。

その新企画を進めるにあたり

明日、ワンクリックで完了する

アンケートに協力して欲しいのです。

ご協力頂けた方には私から

ささやかながら

謝礼も用意していますので、

そちらも是非受け取って頂きたい、というお願いです。

私の様な“ビジネス系”の発信者で

こういった企画をやってる人を見たことがないので、

けっこう面白い試みになるんじゃないか、と思ってます。

こういうのってどれくらいの人がカモにされているのだろうか。まぁでもカモというのはよくないな。以前テレビに情報商材を30万で購入して必死に勉強して成功していた人もでていたし全員が失敗するわけではないのだろう。

 

今日、有名歌手が近所のホールに来るので、仕事を二時間ばかししたあとに歌を聴きにいった。あるイベントの中のステージで、無料だったので聴きに行った次第。時間が来て歌手が登場し、早速代表曲を歌ってくれた。

うーむ、その歌手の代表曲が世に出たのは三十年近く前で、その歌手はもちろん年をとり、病気もされたということで、うーん、なんか申し訳ないが期待はずれだった。声質も違うし、ひねり?というのか、歌い方がえらく変わってしまっていた。ユーチューブで後で聴き直したが、そちらは何度聴いても素晴らしい。

で、歌手が代表曲を歌っている途中にも客が入ってきてて、自分は席の一番端に座っていて、中の方はまだ空いてたから、人が自分の列のところに来るたびに身体をずらして入れてあげた。無料だったし、期待はずれだったからそこまで腹が立たなかったけど、もっと早く来るか、後ろのほうに行けやとは思った。「ごめんなさいね」と耳元で謝ってくるおばさんもいたが、いやいやこっちは代表曲聴いてるんだから邪魔やと言いたくなった。端っこの席に座るのも考えものだな。ホールに入ったとき、後ろのほうにぽつんと一人座っている人がいて、あんなところに座らなくてもと思ったが、後から、自分も後ろのほうに座れば良かったと後悔した。

 

ホールは市の複合施設の中にあって、図書館とかプールとか遊具とかも集まっている。天気が良かったし暖かったし、イベントもあったから子どもを連れた親もたくさんいた。少子化って本当に進んでいるのかなーと思った。一方で、全国にひきこもりは160万人くらいいるけど、ひきこもりはひきこもっているから日常で見ることはほとんどない。客観的なデータと自分の感覚が一致しない。国に借金がいくらあって、一人あたり一千万くらいあると言われたところで実感がないのと同じ感じ。

 

最近は仕事やらなんやらでいろいろこなさないといけないタスクがあって、本を読んでも頭に入ってこない。読書って余裕がないとできない趣味なんだなと気づかされる。本を読まない人がものすごく多いが、読まないのではなく読めないのではないかと思った。あまりに現代は忙しいし、余裕がないから。

一方で、スマホはできるし、スマホでマンガは読んでいる。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という本が話題になって自分も読んだが、まんま自分も同じで苦笑いしてしまう。

 

 

タイミーを初めて利用して働いてみた

タイミーで昨日きのこ工場で働いた。

菌床栽培に興味があったので、どういうものか知りたくて応募した。

始業5分前に着いてQRコードを読み込んで出勤時間を打刻する。

仕事内容は、菌床と呼ばれるきのこの菌が打ち込まれたおがくずとかの塊を棚にのせる。そして、菌床を小さなプールに置いていく。すごく単純な作業だった。菌床は1個3㌔くらいあるので、いい感じの筋トレになった。

3時間勤務で交通費込の3250円。菌床栽培がどんなものかなんとなく分かって勉強になった。

単純作業は苦痛なので、3時間で済んだのは良かった。途中単調さに飽きて精神的に厳しかった。親は何十年も工場勤務してきて親のすごさを思い知る。

作業内容的にやらないといけない仕事ではあるけれど、それを正社員にやらせるのは金銭的にもったいないであろう仕事。それをタイミーにやらせるのは合理的だなと感じる。

一方で、菌床栽培がどんなものか知ることができて、なおかつお金ももらえるという自分にとっては一石二鳥の仕事。3時間というのも良かった。あれを一日やってくださいというのだったらしんどくなってしまう。

作業も時間が来たら終わり、再びQRコードを読み込んで終了時間を打刻したら即金だった。

何がいいって申し込みしたらすぐに採用されること。面接とか説明会みたいなめんどくさいのがない。先着順なので不採用がない。重くない。

労働というよりはお手伝いという感覚に近く、気軽にできる。興味があるけどやったことない仕事をちょっと体験してみたいというときタイミーを利用するのがいい。

まぁ今回は当たりだったが、ネットでタイミー関連の記事を見ていたら、家の片付けで募集していたので応募したら特殊清掃をさせられたというのがあってやばいなと思った。死体のあった部屋は感染症の危険があるし、そういう仕事は普通の片付けや清掃よりもはるかにお金がかかるからその分報酬も高くなる。なのに、ネットでみた記事では時給は安く、支給もただのマスクだけだったらしい。ありえない。闇バイトも募集されていたこともあるらしいし、本当に気をつけないといけない。

タイミーも、ウーバーイーツと同じでいろいろ批判があるが、個人的には社会のニッチをついた素晴らしいシステムだと思っているからなくならないでほしい。

 

フレネミーという言葉を知る

昨日、又吉児玉向井のあとは寝るだけの時間を聴いていたら、フレネミーについての相談が寄せられていて、初めてフレネミーという言葉を知った。

フレンド(友達)+エネミー(敵)でフレネミー。友達を装っているが、実は裏で自分の悪口を言っている人間のことをフレネミーというらしい。

フレネミーという言葉、初めて知ったが、あーこういう奴いるなぁと何人か自分の周りにもいたことを思い出した。

番組に寄せられた相談は、職場にフレネミーがいて、自分はどう対応したらよいかという内容だった。

それに対する又吉の回答が素晴らしかった。相手は人の悪口を言うかもしれないけど、自分は逆に褒めたらいいだろうという回答。悪口言われてこっちは削られてんのに、なんでこっちは褒めなあかんねんと思うかもしれんけど、回り回ってその人も変わるかもしれんというようなことを話していて、又吉、人格者だなぁと思った。実際、又吉はそうしているようで、児玉向井によれば、又吉は人のことを基本褒めるらしい。

又吉は番組内で、なんで人の悪口言うんやろうと疑問を呈していて、自分もそのとおりだなと思った次第。人はなぜ悪口を言うのだろうか?悪口を言うと脳みそが傷つくという研究が最近発表されていたような気がするが、これ聞かされてるほうも傷ついているし、気分が悪い。まぁこれで盛り上がる人もいるし、むしろ多いから悪口大会になるんだろうけど、自分は気分が悪くなる。言うなら本人に言えや、同意を求めてくるな、共犯者にしようとするな!

まぁでも大人になれば、そういう人間も切りやすくなるし、生きやすくなった。学校だと逃げ場がないから地獄だな、特に今はスマホ、ネットで学校以外でも繋がってしまうからしんどいだろう。自分が子どものときにスマホがなくて良かった。

自分も以前、又吉のように、その場にいない人の悪口を言う人間に対して、逆に褒めていたら怒られて自分に矛が向いてきたことがあった。だから、君子危うきに近寄らずじゃないけど、そういう人間とは関係を切ってしまうのが一番だと思う。