『小さな独裁者』を観る。ずっと観たいと思っていた映画。ゲオにて借りる。
主人公ヘロルトは脱走兵で、脱走中に偶然大尉の軍服を発見する。
大尉 の軍服を着たへロルトは、他の敗残兵を従え、収容所にて脱走兵や囚人の処刑を行う。
へロルトは単なる一兵卒にすぎないのだが、軍服を着て独裁者のようにふるまっていたことで、人々は本当の大尉と見間違えてしまう。兵はみな手帳を持ち、へロルトは何度もその身がばれる機会に直面するのだが、「総統からの指示で、私には全権が与えられている!」とすりぬける。結局、収容所での権力を手にしたへロルトは、何十人もの脱走兵を処刑したのだった。
感想
映画を観終わる直前に、実話であることを知って衝撃を受けた。第二次世界大戦が終わる直前に、ドイツで実際にあった出来事らしい。こんなことが本当にあるんやな。
映画は冒頭、へロルトが軍に追われて逃げているシーンから始まる。へロルトはどうにか逃げおおせ、その後大尉の軍服を発見して、小さな独裁者へと変貌していくのだが、収容所でへロルトは自分を追っていた軍の人間と再会している。しかし軍の人間が大尉の軍服を着たへロルトの正体に気づくことはなかった。
哲学者パスカルが『パンセ』にて、「我々が本当に愛するのは、人間そのものではなくて、人間のもっている特性ということになるのである」と言っているが、『小さな独裁者』はこの格言を体現した映画だ。
人々は、へロルト本人にではなく、へロルトの着ていた大尉の軍服にひれ伏しているのだから。権力は大尉の軍服に宿っていたのであって、へロルト本人にあったわけではない。
しかし、このようなことは日常では当たり前だよなぁ。
ぼくたちはしばしば、人間の持っている特性によって、その人を信じたりあるいは信じなかったりしているのだから。学歴や社会的地位、名誉、こういうものが高い人の言うことには、疑うことなく簡単に信じてしまうことがよくある。そういえば、ショーン・kなんていう詐称だらけのコメンテーターがいたな。
まぁこのような「小さな独裁者」が生まれてしまう背景には、やはり特性を安易に信じてしまう民衆側の存在があるわけで、信じ込んでしまう側にもいくらかの責任はあると思う。
へロルトについて
最後に、『小さな独裁者』は現在大きな話題になっている映画『ジョーカー』と通底しているものがあると思った。