仕事を自己成長の場ととらえる若者が増えたのはどうしてなのか?

 最近ヤマト運輸の若い従業員に、自宅にある重い荷物を集荷しにきてもらった。

 一人で持つには重い荷物だったので手伝おうとすると、「大丈夫ですよ、一人で持てますから」と言った。

 「でもこれ重いですよ」と心配したら、

 「いや、これも筋トレなんで」と返してきた。

 彼にとって仕事は収入を得る場であると同時に、スポーツジムでもあるのだ。

 

 

 何のために仕事をするかと言えば、もちろん収入を得るためだ。

 しかし最近の若者(現在27歳の僕も含めて)にとって、仕事は単なる収入を得る手段ではなくなっている感じがある。

 僕が3月まで働いていた会社での仕事はとにかくよく歩き回る仕事で、一日2万歩を超えることもしばしばあった。よく歩く仕事なので僕はその会社に応募したのだが、なぜ応募したのかといえば、足腰を鍛えるにはちょうどいいと思ったからだ。冒頭のヤマト運輸の人と同じである。

 

 

 エン・ジャパンという会社が会社員に働く理由を尋ねたところ、20・30代の多くの会社員が「自己成長のため」「人生経験を積むため」と回答したという。

 

 このように、今の若者が仕事を成長の場ととらえるのはどうしてなのか。最近ぼんやりとこの疑問について考えていたのだが、答えらしきものがふと思いあたったので記しておく。

 

 それは、そうでも考えないとやっていけないからだ

 

 僕が会社に行っていたころ、朝早く起きて満員電車に乗って会社に行き、晩まで働き、そしてまた満員電車に乗って帰宅した。平日は仕事だけで一日が終わる。休日は、平日の疲れでボーっとする。

 

 それだけ働いてじゃあたくさん給料をくれるのかと言えば、手取りで15万そこそこ。

どう考えても割に合わない。たぶん多くの若者が僕と同じような境遇にいるだろう。

 

 仕事を単に収入を得る場と考えると、自分の労働の対価がしょぼすぎてモチベーションが保てない。だから考え方を変えざるを得ない。

 このような事情により、若者は仕事を自己成長の場としてもとらえるようになったのではないか。

 

 たとえば僕や冒頭のヤマト運輸の人みたいに、仕事をスポーツジムでもあるととらえたら、お金をもらいながら身体を鍛えているというふうに見方を変えられる。

 スポーツジムに通って筋トレしようと思ったら、当然ジム代がかかる。

 でも仕事ならお金をもらいながらスポーツジムに通っているととらえられる。健康になる仕事でもあるので医療費もかからない。

 こういう考え方をすれば、もしかしたら出費していたかもしれないジム代や医療費を抑えることができる。

 そういうふうに考えたら、自分の労働の対価は給料+αになる。

 

 仕事を単に収入を得る場だけでなく、ジムや知識・能力を身につける場としてもとらえることで自らを奮い立たせる。あるいはそうせざるを得ない。

 

 多くの若者がこう考えるのは、「会社はもう自分を守ってくれない」と認識しているからだろう。実際に経団連の会長がもう終身雇用を守ることはできないと公の場で発言している。

 

 終身雇用なら一度会社に入ってしまえば、あとは定年まで安心していられる。

 でも今の若者はそうではない。

 会社は自分の身を保障してくれない。ならば自分の身は自分で守るしかない。そのためにはどこでも通用する能力を身につけなければならない。

 

 多くの若者は、会社の利益のためではなく、自分のスキルアップのために働いていると思う。愛社精神のある若者はかなり少ないはずだ。

 

 飲み会に参加しなかったり、仕事よりプライベートを優先するのはその証拠だ。

 逆に、飲み会に参加すれば自分にとってどのような利益があるかを上司が説明できれば、若者もじゃあ参加しようと思うかもしれない。

 

 なんにせよ、今の若者の仕事観は明らかに、自分をとりまく環境によって醸成されている。どれだけ働いても給料があがる見込みはないし、終身雇用は崩壊した。それでも働かなければいけない。

 

 かつてのように、ただ給料をもらえればいいという考え方では、心も体ももたないのだ。だから無理やりにでも仕事に対する考え方を変えざるをえない。上の世代の人たちには、今の若者の考え方や自分たちを取り巻く状況について想いを巡らせてほしい。