嫌われた監督-落合博満は中日をどう変えたのか 感想

母親が職場の人におススメされるほどの本。なんでも、夜が更けてもページをめくる手が止まらないらしい。ここ数年母親が本を手にしている光景なんて見たことがないし、そもそも彼女は野球を見ないし中日や落合を知っているかも怪しい、そんな人間でさえ読みたいと思わせるのだからよっぽど魅力的な本なのだろう。母親から「どっか安いところで中古のでいいから探しといて」と言われ、メルカリで購入しようかと思ったが定価近くの本以外は軒並み売り切れていた。よっぽど人気なんだろうな。仕方がないから楽天で購入した。

 

結論からいえば大変面白かった。

おそらく野球にほとんど興味がない人でもこの本を楽しめると思う。なぜならこの本は野球についての本というより、人間の生きざまについての本だったから。本書は、著者である鈴木忠平と落合のやりとりと、中日の選手やコーチなどと落合の関係性がオムニバス形式で語られる。

 

落合の中日はとても強かったが、嫌われていた。岐阜にいたとき、岐阜県民も「強いけどつまらない」と言っていた。阪神ファンの自分からすれば「贅沢な!」と思ったが。本でも語られるが、日本シリーズの優勝を決める一戦で山井が完全試合を達成しようとしていたのに、9回に岩瀬に交代したんだよな。日本シリーズ完全試合が達成されればそれは史上初の快挙だったが、そんなことより確実に抑えられる岩瀬を投入した。野球は興行だからファンを楽しませてなんぼで、そりゃみんな山井の完全試合を見たかった。でも落合は確実な勝利を欲した。落合にとっては勝利こそもっとも大事なもので、勝つからこそファンを楽しませられる。9イニング目の山井より、完璧に抑えてくれる岩瀬のほうが合理的な選択だったのだ。

 

落合の目に映る光景は人とは違ってて、だからこそ軋轢を生むし、落合は「どうせおれのことは理解されないから」と言って何もしゃべらない。しかし、落合の考えとそこからもたらされる選択は、勝つために最善のものであった。各章、どれも読みごたえがあって面白かったが、一番面白かったのは荒木の章かな。荒木井端のコンビは鉄壁の二遊間だった。荒木は二塁、井端はショート。しかしあるとき落合はこれを逆にする。荒木はショートを守るようになったが、荒木は肩に不安があって二塁よりも投げる距離が長くなるショートは不向きだった。周囲はなぜ荒木と井端を入れ替えたのかと落合を批判するが、落合は「お前らボールを目で追うようになった」と答えるだけ。守備の名手と言われた荒木はショートに替わってから多くのエラーを犯し、荒木は精神的に追い詰められ、周囲は落合を強く責めた。それでも落合は黙したまま。著者はこのことについて後に落合を尋ねると、落合は「どんな選手だって年を重ねればだんだんズレてくる。ただ荒木だけは、あいつの足の動きは8年間ずっと変わらなかった」と答えた。落合は井端の足の衰えを見抜いていた。そして目で打球を追い、それまでなら取っていたゴロを諦めるようになっていた。荒木の足の動きは変わらなかった。井端が諦める打球を、荒木は足で追いアウトにしていたのだ。荒木が失策してヒットにしてしまう数よりも、井端が諦めてヒットにしちゃう数のほうがよっぽど多かった。落合はそこを見抜いていた。荒木の失策数が多いのに、それに反して中日がリーグ優勝できた要因はそこにある。著者が駆け出しの記者のころ、ナゴヤドームのカメラマン席からグラウンドを見ていると、落合が近づいてきて「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ」と言われた。著者はその言葉の意味がやっと分かった気がした。落合はそのようにして井端や立浪の衰えを見抜いたのだ。

 

人間社会が一筋縄ではいかないのはこういうことだと思わせる一冊だった。

落合は誰からも嫌われていたが、落合はある意味で最高の教育者だといえる。多くを語らない、それは選手に徹底的に考えさせる。考え解釈することで選手は自分の価値を知り、戦力となる。落合のもとでなければ戦力にならずにクビになっていく選手はたくさんいただろう。選手だけではない。なによりこの著者自身さえも、落合の取材を続けていく中で、洞察力を磨きこの本を書いたのだ。末席の、下っ端でしかなかった著者が、落合とのやりとりをとおして成長していき、新聞の小さいスペースの雑記しか書けなかったのが、こんな分厚い読み応えのある文章を書くまでになったのだ。

 

現代ではここまで自分の信念を貫ける人はだいぶ少なくなってきているが、こういう人間はもっといたほうがいいのかな?自分のような人間は落合みたいな人はちょっと合わないなと思うしとにかく恐いが、でも成長したいならこういう人間のもとにいるのが一番いいのだ。まぁとにかく面白い一冊だった。