今日ショッピングモールを歩いていたら100円玉を見つけた。
ちびまる子ちゃんなら今すぐこれ交番に届けようとなるが、僕は近くにあった募金箱に入れておいた。
これなら落とした人もいいことをした気分になるではないか(落とした本人は知る由もないが)。
僕は、相応以上のお金が自分の手もとにあることに違和感を覚えてしまう。なんだか居心地の悪さを感じてしまう。
以前、旅行する数日前に、知り合いから「楽しんできて」と言われ何万円かもらったことがあるのだが、どうにも居心地が悪くてコンビニの募金箱に一万円つっこんでしまった。
お金があればあるほどいいことは分かっているが、自分の場合、多すぎるとどうも不安になってしまう。「こんなにもってていのか」と思ってしまう。
こういう感覚は自分だけなのかと思っていたら、故橋本治さんも似たようなことを本に書いていた。
たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ (集英社新書)
- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/04/21
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橋本さんは、バブル期の人々の浮ついた振る舞いに違和感を感じていたという。
お金が湧くように人々は儲けていて、橋本さんももちろん儲けていたのだけど、橋本さんは自分がお金を持っていることに対して気持ち悪さを感じていたようだ。
それでなんと、バブルがはじける直前に不動産を買ってしまったらしい。不動産で一儲けするためではなく、一文無しになるために。バブルがはじけ橋本さんはお金が無くなってしまったけど、安心したらしい。
僕は現在働いてはいるが、正社員でないし、この先会社勤めをする気もない。これといって稼げる特技もない。貯金もたくさんあるわけでない。
だけど、別段将来に不安を抱えてはいない。まぁどうにかなるだろと思っている。根拠なんてものはもちろんないが。
お金というものをそこまで信用していないからだと思う。だから、お金がなくても「あぁどうしようお金がない」と不安にならないし、逆にお金が急に入ってくると何だか居心地が悪くなる。
老後2000万が必要だとか、そういう話はもちろん自分にも大きく関わってくる話なんだけど、僕にとってはそれがなんだか別世界の話のように感じる。
僕や橋本さんのお金に対するこの感覚は、普通ではないのだろうけど、僕はこの感覚を持ち合わせていて良かったと思っている。
僕はバブル期にはまだ生まれていなかったけど、もしバブル期を生きていても、他の人たちのようにバカ騒ぎしていなかっただろう。
僕がこの先お金持ちになることはないだろうけど(もし何かの拍子に大金が舞い込んできても気持ち悪くてどこかに寄付してしまうだろうから)、そのほうがむしろいいとさえ思っている。